現場は、段取り八分で決まる
第二十二話 現場は、段取り八分で決まる
出発は、夜明け前だった。
門で待っていた三人組は、悠人が見たことのない顔をしていた。
「おはようございます」
「……おう」
「早いですね」
「寝てねえ」
雷Aランクの男――ガイという名前を、悠人は昨日初めて知った――は、目の下に隈を作っていた。
「緊張してんだよ、こいつ」
「昨日ずっと素振りしてた。雷なのに」
「うるせえ! 何が起きるか分かんねえだろ!」
悠人は、笑いをこらえた。
二十日間ずっと「魔王倒すわ」と言い続けていた男が、山に登るだけで一睡もできていない。
その落差が、なんだか嬉しかった。
***
登りは、前回より遥かに楽だった。
縄が張ってある。休憩場所も分かっている。
何より、荷物持ちが三人増えた。
「ここで一回、休みます。水は半分残して」
「まだ行けるぜ?」
「行けるうちに休むんです。行けなくなってから休むと、そこで止まります」
前世で現場を回っていた頃に、荷役の親方から言われたことだった。
段取りが八分。残り二分が実作業。
段取りを削った現場は、必ずどこかで止まる。
「悠人さんよ」
「はい」
「あんた、ほんとにEランクか?」
「Eランクですよ」
「Eランクは、こんな指してねえよ」
ガイが、包帯の指を顎で示した。
悠人は、指を握って隠した。
***
岩壁で、初めて詰まった。
縄は張ってある。だが三人組は登山の経験がない。
一番若い男が、中腹で足を滑らせた。
「うわっ――!」
縄にぶら下がり、壁に体をぶつける。
鈍い音がした。
「トウマ! 大丈夫か!」
「い、いてえ……足、ぶつけた」
悠人は、下から声を上げた。
「動かないで! そのままぶら下がっててください!」
「無理、腕が――」
「無理じゃない! あと十数える間だけ持てばいい!」
セレンが上から縄を手繰り始めた。
悠人は下から回り込み、若者の足を下から支えた。
「――八、九、十。はい、足つきました」
「……つ、いた」
「よくやりました。腕、よく持ちましたね」
若者は、壁にへばりついたまま、しばらく震えていた。
十秒。
本当は二十秒近くかかっていた。
だが「あと十」と言われた人間は十まで持つ。「頑張れ」と言われた人間は、いつまで頑張ればいいか分からずに落ちる。
これも、前世の現場で覚えたことだった。
***
岩壁を越えて、森林限界。
木が消えた瞬間、悠人は空を見た。
――いない。
四羽の鳥は、やはり付いてきていない。
隣でセレンが、小さく頷いた。
「悠人さん、ここ寒っ! なんだこれ!」
「上着を着てください。荷に入れてあります」
「上着? 持ってきてねえけど」
「俺が入れてあります。四人分」
「……用意いいな、あんた」
前回、上着を持たずに来て震えた。
同じ失敗は、二度やらない。
***
森林限界を越えてすぐ、悠人は例の杭の前で足を止めた。
膝の高さの、錆びた金属の杭。
斜面をまっすぐ上へ、等間隔に続いている。
前回は「三百年前に誰かが測った」で終わらせた。
だが今日は、引っかかっていた。
「トウマさん。歩幅、測ってもらえますか」
「え? 何を」
「この杭から、次の杭まで」
トウマが、真面目に歩数を数えた。
「……十二歩です」
「次は」
「……十二歩」
「その次」
「十二歩。全部同じですよ、これ」
悠人は、しゃがみ込んだ。
――等間隔。
水路の三つの石も、等間隔だった。
街灯も、等間隔だった。
街並みが定規で測ったように整っているのも。
***
「セレンさん。街灯の間隔って、決まってますか」
「街の条例では、二十歩ごとです」
「守られてます?」
「……一歩の狂いもなく」
悠人は、杭に手を触れた。
三百年前、誰かがこの山を測った。
なぜ測る必要があった?
道を敷くためじゃない。ここに道はない。
――位置を、決めるためだ。
この世界では、何かを置く時に必ず座標が要る。
街灯も、水路の石も、監視塔も。
決めた位置に、決めた通りに置かれている。
だとすれば。
「……俺の火も、そうか」
***
悠人は、立ち上がった。
昨日まで、火は肩の上に出ていた。
体から頭一つぶん外れた、空中の一点。
あれを「そういうもの」だと思っていた。
だが違う。
――あそこは、俺の出力座標だ。
誰かが決めた位置。俺の場合、なぜかズレている位置。
だとすれば、決められるということは。
「ちょっと、下がっててください」
悠人は、十歩先の岩を見た。
そして、いつものように念じかけて――やめた。
いつもは「撃つ」と念じる。だから肩の上から出て、飛んでいく。
今日は、違う念じ方をする。
――あの岩の、真上。そこに出せ。
一拍、遅れた。
そして。
十歩先の空中に、火が生まれた。
悠人の肩の上ではなく。
飛んでもいない。
最初から、そこに在った。
***
「……は?」
ガイの声が裏返った。
悠人自身も、しばらく動けなかった。
飛ばすんじゃない。
置く。
「悠人さん、今、どうやって」
「位置を、指定しました」
「指定?」
「この世界は、位置を決めてから物を置いてる。杭も、街灯も、水路の石も」
悠人は、自分の掌を見た。
「なら、俺の火も、位置を指定できるはずだと思って」
セレンが、帳面を開いた。
手が、少し震えていた。
「……悠人さん。それ、どこまで届きます?」
「分かりません」
悠人は、もっと遠くの岩を見た。
――あの岩の、真上。
火が、生まれた。
三十歩先の空中に。
飛翔の時間はゼロ。避ける暇もない。
「……ちょっと待て」
ガイが、掠れた声で言った。
「あんた、それ……戦闘で使ったら」
「使えますね」
「反則だろ」
「反則です」
悠人は、正直に言った。
そして、少しだけ怖くなった。
――これ、規格外じゃないか?
自分の区分を「検証用個体」に書き換えて以来、ログは出ない。
だから、どれだけ外れても分からない。
分からないまま、外れ続けている。
***
山頂に着いたのは、日が高くなってからだった。
円形の基礎。土に半分埋もれた黒い板。
三人組が、ぽかんと口を開けた。
「なんだこれ……」
「石じゃねえよな。鉄?」
「教会の祭壇に似てる」
悠人は、内心で舌打ちした。
――気づくのか。
Fランクのまま燻っていても、彼らは転生者だ。
前世の記憶を持っている。見たものを、前世の知識で照合してしまう。
「似てますね。俺もそう思いました」
隠すより、認める。
下手に否定すると、そこが引っかかりになる。
「じゃ、始めましょうか。ガイさん」
「お、おう」
「この板に、雷を落としてください」
「……は?」
ガイが、間の抜けた声を出した。
「明かりって話じゃなかったのか」
「明かりも要ります。でもその前に、こっちを」
「なんで板に雷を?」
「動くかもしれないので」
三人が、顔を見合わせた。
「動くって、これが?」
「三百年前に止まった設備です。電気が足りなくて止まってる。なら、電気を入れれば動く」
これは、全部本当だった。
本当のことだけを言って、なぜそれを調べたいのかだけを言わない。
「……悠人さん」
ガイが、真面目な顔で言った。
「あんた、麦の話じゃなかったのか」
「麦の話です。三日で麦が実った。それを起こしたのが何なのか、この設備が知ってるかもしれない」
沈黙が、数秒。
ガイは、頭をがりがりと掻いた。
「……分かった。聞かねえ」
「いいんですか」
「聞いたら、たぶん俺、怖くなるからな」
悠人は、その言葉に胸を突かれた。
この男は、馬鹿じゃない。
分かった上で、聞かないことを選んでいる。
セレンと、同じだった。
***
「全員、円から出てください。十五歩」
悠人は、地面に線を引いた。
「ガイさん、詠唱は?」
「長え。八呼吸ぶん」
「途中で止められますか」
「無理。始めたら最後まで行く」
「……分かりました。じゃあ、俺が合図します。始めたら、俺のことは気にしないで」
ガイが構えた。
そして、詠唱を始めた。
「――天の理よ、雲海の裂け目より来たれ、砕く者の名において――」
空気が、変わった。
髪が浮く。指先がぴりぴりする。
Aランク。使いこなせないと言われ続けた男の、本気の雷。
悠人は、初めてこの男を「強い」と思った。
「――サンダーボルト!!」
閃光。
音が、遅れて山を叩いた。
悠人は、思わず耳を塞いだ。
***
目を開けると、黒い板が――光っていた。
緑の文字が、板いっぱいに浮かび上がっている。
――――――――――――――――――
【地表管理施設 第七監視塔】
外部電力を検出――暫定起動
稼働可能時間:一二分
――――――――――――――――――
「十二分!」
悠人はセレンに叫んだ。
「前と同じです、役割分担! 俺が送る、あなたが読んで覚える!」
「はい!」
「な、なあ悠人さん、これ――」
「ガイさん! もう一発いけますか!」
「あ、ああ、あと二発は」
「温存で! 切れたらお願いします!」
言いながら、悠人はもう板の前にいた。
十二分。
前回の四倍だ。
雷は、指より遥かに強い。
***
最初の画面。
――――――――――――――――――
【監視塔 任務記録】
第七監視塔:地表活動監視/気象調整の中継
上位接続:軌道station 接続断(現地暦309年)
――――――――――――――――――
「軌道……ステーション」
「セレンさん、これ読めますか」
「読めませんが、覚えます」
悠人の指が震えた。
軌道。
空の、動かない光。
あれには、名前がついている。そして、この塔はそこと繋がっていた。
三百年前までは。
「気象調整の中継……セレンさん、麦です」
「麦?」
「三日で麦が実った。あれは気象調整だ。誰かが天気をいじってる」
「この塔が?」
「いや、この塔は止まってる。だから――」
悠人は、空を見上げた。
「――今は、上から直接やってるんだ」
***
画面を送る。
記号の羅列。飛ばす。飛ばす。
残り八分。
現地の文字が混ざる頁で、悠人の指が止まった。
――――――――――――――――――
現地暦309年 監視塔 最終報告
対象個体 YOSHIMURA 当塔に到達
当塔にて 軌道への通信を試行
――――――――――――――――――
「――ヨシムラ」
声が、掠れた。
三百年前、ここに来た男。
彼はこの塔から、空へ通信を試みた。
「セレンさん、次!」
「はい!」
――――――――――――――――――
通信 成立
応答 あり
――――――――――――――――――
悠人の背中を、汗が伝った。
応答が、あった。
三百年前に、誰かが空と話をした。
「何を、話したんだ……!」
画面を送る。
――――――――――――――――――
以降の記録は上位権限による削除済
――――――――――――――――――
「削除――!」
残り、五分。
悠人は舌打ちして、画面を戻した。
削られた記録の周辺に、何か残っていないか。
そして、最後の頁の隅に。
記録ではない、粗い書式の一行があった。
手で打ち込まれたものだった。
――――――――――――――――――
ツギニ ココヘ クル ヒトヘ
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「――セレンさん!!」
声が裏返った。
次に、ここへ、来る人へ。
三百年越しの、手紙だった。
(――続く)




