値引きを断ったら、量を減らされた
第十九話 値引きを断ったら、量を減らされた
返事は、三日後の朝に来た。
紙ではなかった。
「――ユート! 大変、大変!」
宿の戸を叩く音で、悠人は飛び起きた。
リコが息を切らして立っていた。
「畑が! 東の畑が!」
「落ち着いて。何があった」
「麦が、いっぺんに実ってる!」
悠人は寝間着のまま外へ走った。
***
東の農地は、一面の金色だった。
三日前は、まだ青かったはずの麦が、収穫期そのものの色になっている。
農夫たちが呆然と立ち尽くしていた。
「こんなこと、あるかよ……」
「三日だぞ。三日で実るわけがねえ」
「だが、実ってる」
悠人は畑に入り、麦の穂を一本折った。
粒は硬く、しっかり詰まっている。
未熟でも、腐ってもいない。
正真正銘の、収穫できる麦だった。
「……返事だ」
隣に追いついたセレンが、息を整えながら言った。
「返事、とは」
「報酬表の改定申請と、崩壊予告。二通出したでしょう。その返答です」
「食糧を増やした、と?」
「増やしました。求めてないものを」
悠人は、折った穂を握りしめた。
こちらが出した申請は、報酬の改定だ。
物価に合わせて、賃金を上げてくれという話だった。
返ってきたのは、収穫量の増加。
「値引き交渉を断って、代わりに量を増やしてきた」
「……どういう意味です」
「値段の話には触れたくない、ということです」
前世で、何度も見た手だった。
単価を下げてくれと頼むと、単価は据え置きのまま「その分おまけを付けます」と返してくる取引先。
一見、譲歩に見える。
だが単価表だけは、絶対に動かさない。
「なぜ、そこまで単価にこだわるんです」
「一度でも動かしたら、動かせるものだと知られるからです」
***
その日の午後には、街の空気が完全に変わっていた。
麦が実った。飢えは回避される。
誰もがそう言い合い、酒場は昼から賑わっていた。
「悠人さん! 聞いたか、大豊作だってよ!」
「神様が助けてくれたんだ!」
「教会の司祭様が祈ってくれたって話だぜ!」
雷Aランクの三人組が、上機嫌で杯を掲げている。
昨日まで倉庫前で殴り合いそうだった連中が、今日は肩を組んで笑っていた。
「……よかったですね」
「あんたも飲めよ! 奢るぜ!」
「いえ、俺はちょっと」
悠人は笑って断り、酒場を出た。
外に出た瞬間、笑顔が消えた。
***
ギルドの小部屋。
フェルドは書類の山を前に、渋い顔をしていた。
「監査院の報告書は、昨日の朝に王都へ出した」
「返事が来たのが、今朝の畑ですね」
「早すぎる。王都まで馬で四日だ」
つまり、紙は関係ない。
書いた内容が、書いた時点で読まれている。
「……我々は、常に見られているということか」
「たぶん、書いた瞬間に」
セレンが、静かに言葉を挟んだ。
「悠人さん。街の人は喜んでいます。あなたは、喜んでいないように見える」
「喜べないんですよ」
「なぜです」
悠人は、机の上に麦の穂を置いた。
「これ、三日で実ってます。正常な速度じゃない」
「……ええ」
「できるんですよ、あいつら。作物の育つ速度を、自由に変えられる」
部屋が、しんと静まった。
「だとしたら、逆もできます」
フェルドの顔色が変わった。
「……止められる、ということか」
「はい。今回は増やした。でも同じ手で、明日から一粒も実らないようにもできる」
三百二十七年、凶作の年でさえ隣街から穀物が届いた世界。
その安定は、恵みではなかった。
蛇口を握られていた、というだけだ。
***
「じゃあ今回の返事は、こういうことです」
悠人は、三本指を立てた。
「一つ。要求は聞かない。単価表は動かさない」
「二つ。だが飢え死には避けさせる。街が壊れるのは困るから」
「三つ。――そして、いつでも止められると見せつけた」
セレンが、青い顔で呟いた。
「……脅されている」
「いえ、たぶん脅してすらいません」
悠人は首を振った。
「脅すってのは、相手を対等な交渉相手だと認めてる時にやることです。あいつらは、たぶん俺たちを――」
そこで言葉を切った。
言いたくない結論だった。
だがフェルドが、代わりに言った。
「――畑の作物と、同じ扱いということか」
***
夕方、悠人は一人で麦畑に戻った。
金色の穂が、風に揺れている。
三日前まで青かった畑。
たぶん明日には、村の人間が総出で刈り入れを始める。
彼らは喜ぶだろう。今年は豊作だと。
そして来年も、その次も、同じように喜ぶ。
実る速度を誰かが決めていることを、知らないまま。
「……ヨシムラさんも、こういうの見たのかな」
三百年前の先人。
空を調べ始めて、沈黙した男。
彼が空を見ようと思った理由が、少しだけ分かった気がした。
畑を見ても、街を見ても、この星の中には答えがない。
この星の中身は全部、誰かが決めた通りに動いているからだ。
答えは、外にしかない。
悠人は、空を見上げた。
天頂の脇。動かない光。
「なあ。あんたに聞きたいことがあるんだ」
返事はない。
だが今朝、麦は実った。
「聞こえてるんだろ。じゃあ、次は――」
悠人は、そこで言葉を止めた。
見上げた空に、灰色の影がよぎった。
鳥だった。
一羽、二羽、三羽――四羽。
畑の上を、ゆっくりと旋回している。
***
手帳を開く。
・返事は紙ではなく現象で来た。三日で麦が実った(異常な生育速度)
・要求(報酬の改定)は無視。代わりに量を増やした=単価表は絶対に動かさない
・報告書は書いた翌日に反応があった。紙が届く前に読まれている
・作物の速度を操作できる=止めることもできる。三百年の安定は蛇口を握られていただけ
・鳥が四羽に増えた
ペンを止めて、悠人は最後に一行だけ足した。
・脅しですらない。畑と同じ扱い
窓の外では、街の人々がまだ豊作を祝っている。
彼らの笑い声を聞きながら、悠人は明日やることを決めた。
――刈り入れの日に、街の外へ出る。
全員が畑に出ている日なら、門の警備も手薄になる。
空に近い場所へ行く。
この星でいちばん高い、あの山へ。
(――続く)




