在庫を数えない人間が、いちばん強気なことを言う
第十六話 在庫を数えない人間が、いちばん強気なことを言う
「三月後に食糧が尽きる、ってのは誰が数えた数字ですか」
翌朝、ギルドの小部屋に押しかけて、悠人はそう切り出した。
フェルド・グラントは書類から顔も上げずに答えた。
「王都の主計官だ」
「その人、この街に来たことは?」
「ない」
やっぱりか、と悠人は思った。
在庫を数えない人間ほど、強気な数字を出す。
前世で何度も見た光景だった。倉庫に一度も入らない営業本部長が、実現不可能な出荷計画を平気で立ててくる。
「フェルドさん。今日一日、俺に街を回らせてください」
「協力者の仕事は聞き取りだろう」
「聞き取りますよ。ただし、人からじゃなく、樽から」
***
最初に向かったのは、リコの店だった。
「ユート、門閉まってるけど大丈夫なの?」
「これのおかげで、俺だけ通れるんだ」
監査院の指名書を見せると、リコは思い切り顔をしかめた。
「なにそれ。あんた、お役所の犬になったの?」
「言い方」
「だってそうじゃん」
「まあ、そうだよ」
否定できなかった。
リコは薬草の束を数えながら、少し黙った。
それから、こちらを見ずに言った。
「……で、犬は何しに来たの」
「仕入れの話を聞きたい。ここ半年で、薬草の入りはどう変わった?」
「減ってる。すごく」
即答だった。
「東の村からの分が、先月で三割減った。摘む場所は同じなのに」
「採り尽くしか」
「それもあるけど、村の人が言うには、生えるのも遅くなったって」
生えるのが、遅い。
悠人は手帳にそれを書いた。
薬草が育つ速度。
そんなものが、変わるだろうか。
「リコちゃん、他の店はどう?」
「パン屋のおばさんが、粉の値段が二倍になったって怒ってた」
「二倍」
「今月に入ってから。それまでは、ずっと同じ値段だったのに」
ずっと同じ値段。
三百二十七年、凶作の年でさえ隣街から穀物が届いていた世界。
その値段が、今月、初めて動いた。
***
昼過ぎ。悠人は倉庫街にいた。
穀物商の親父は、監査院の指名書を見るなり、堰を切ったように喋り始めた。
「あんた役所の人か! ちょうどいい、聞いてくれよ!」
「どうぞ」
「北の街道の便が、先月から半分になってんだ。荷馬車が来ねえ」
「理由は?」
「向こうの言い分じゃ『こっちも足りてない』だとよ。三百年こんなこと一度もなかったのに!」
悠人は倉庫の中を見せてもらった。
天井の高い石造りの倉。
奥まで積み上がっているはずの穀物袋が、手前の三分の一で途切れていた。
「今、何日分あります?」
「うちの分で四十日ってとこだ」
「街全体では?」
「知らねえよ。誰も数えてねえ」
誰も、数えていない。
三百二十七年間、いつも通りに届いていたから。
在庫を数える習慣そのものが、この街には存在しなかった。
「親父さん、樽と袋、数えさせてください」
「あんたが? 役人が自分で数えんのか」
「数えない役人の言うことなんて、聞く価値ないでしょう」
親父が、初めて笑った。
***
三つ目の倉で、悠人は手を止めた。
倉の主が、天秤を使っていた。
麻袋を秤の皿に載せ、分銅を三つ置く。
――かちり。
一発で、釣り合った。
「……親父さん」
「あん?」
「今の、量る前から重さ分かってました?」
「分かるかよ。ただ、この秤はいつも一発で合うんだ」
リコと、まったく同じ答えだった。
悠人は、秤に近づいた。
***
分銅を、一つ外してみる。
明らかに軽くなったはずだ。
だが皿は――ゆっくり傾いて、途中で止まった。
水平ではない。だが、傾ききってもいない。
「……止まった?」
もう一度、分銅を戻す。
かちり。水平。
外す。傾く。止まる。
戻す。水平。
悠人の背中を、ぞくりとしたものが走った。
――この秤は、重さを量っていない。
「近い値」を「同じ値」として扱っている。
外れた時は、外れた値のまま固定する。
つまり。
「……丸めてるのか、この世界」
***
悠人は、その場にしゃがみ込んだ。
前世で、在庫の端末を触った時のことを思い出した。
小数点以下を切り捨てる設定。
一円未満は誤差として扱う設定。
どんな計算系にも、必ずある。
そして、丸める幅を知っている人間は――その幅の中で、好きに動ける。
「……試すか」
悠人は立ち上がり、掌に意識を向けた。
ろうそく一本ぶんの火。
宿の塀を焦がして以来、ずっと練習してきた出力。
これまでは「なるべく小さく」と念じていた。
だから毎回、少しずつ大きさが違った。
今日は、違う念じ方をする。
――ろうそく一本。ちょうど。
指先に、火が灯った。
大きさは、ろうそく一本ぶん。
もう一度。同じ。
もう一度。同じ。
十回撃って、十回とも、寸分違わなかった。
「……揃った」
これまで、揃ったことなど一度もなかった。
理由は簡単だった。
――値を指定していなかったからだ。
「小さく」ではなく「この値」と念じれば、世界はそれに丸めてくれる。
秤が一発で釣り合うのと、同じ仕組みで。
***
「兄ちゃん、何してんだ」
「すみません。……あの、棚の上の袋、数えたいんですけど」
「梯子はねえよ。俺は腰が悪くて登れねえ」
「大丈夫です」
悠人は、棚の前に立った。
半歩、後ろに下がる。
頭の中で、値を決めた。
――倉の奥まで届く明るさ。ろうそく十本ぶん。ちょうど。
光が、肩の上に生まれた。
そのまま棚の上へ、ゆっくり動かす。
暗がりに沈んでいた袋の列が、狙った通りの明るさで、きっちり照らし出された。
眩しすぎず、暗すぎず。
「二十二、二十三……二十四袋。ありがとうございました」
「あんた、明かり持ってなかったろ」
「持ってました。手にじゃないですけど」
倉の主はぽかんとしていた。
悠人は、自分の掌を見つめていた。
――出力が、初めて言うことを聞いた。
二十日以上、ずっと「加減」だと思っていたものが、実は「指定」だった。
暴発も、過剰納品も、もう起きない。
十五歳の子が「いい天秤だから」と言った、あの一言から始まった話だった。
***
夕方までに、悠人は倉庫を六つ回った。
***
夜。ギルドの小部屋に、三人が集まった。
フェルド、セレン、そして悠人。
「――結論から言います。三月後じゃない」
悠人は、六つの倉庫の数字を並べた紙を机に置いた。
「街の在庫は、今のペースで五十二日分。北の街道の便が半減してるので、補充は追いつきません」
「五十二日……」
フェルドの声が、低くなった。
「王都の試算より、二ヶ月早い」
「王都は『例年通り荷が届く』前提で計算してます。でも現に、届いてない」
セレンが手帳を開き、鋭く言った。
「北の街道の便が減った理由は?」
「向こうも足りてない、と」
「では隣街でも同じことが起きている。……これは、この街だけの問題ではありませんね」
フェルドが、椅子の背に体を預けた。
「厄介だな。王都に報告するにも、根拠が要る」
「根拠なら、ここにあります」
悠人はセレンを見た。
「ただし、俺が並べたのはただの数字です。これを王都が読める形の報告書にできるのは、調査官の仕事だ」
フェルドの視線が、セレンに移った。
セレンは、一瞬だけ悠人を見て――それから、いつもの事務的な調子で言った。
「監査院が求めるなら、三日以内の帰還命令は延期できます。書式と署名の権限は、調査局にありますので」
「……ふん」
フェルドはしばらく黙り、それから短く言った。
「ヴェイル調査官。当街の食糧調査を、監査院の名で命じる。期限は追って伝える」
「承知しました」
セレンが、帰らずに済んだ。
悠人は、机の下で小さく息を吐いた。
***
解散した後、廊下でセレンが立ち止まった。
「……悠人さん」
「はい」
「昨日の今日で、よく用意しましたね。私が残る理由を」
「用意したというか、拾い集めただけです」
悠人は、正直に言った。
「フェルドさんは食糧を止めたい。あなたは数字を出せる。街には数えてない在庫がある。三つとも、もともとそこにあったものです」
営業の鉄則その六。
自分が売るものを作るな。相手が困っているものを、探せ。
売り込みが上手い人間より、探すのが上手い人間の方が、結局は長く食える。
「……あなた、本当に営業だったんですね」
「二度目ですよ、それ」
***
その夜、悠人は宿の窓から空を見上げた。
天頂の脇。動かない小さな光。
薬草が育つのが遅くなった。
穀物が北から来なくなった。
三百二十七年、一度も動かなかった値段が動いた。
――計画値の世界が、崩れ始めている。
十一万人。
その全員がこの星に落ちてきたら、どうなるかを、送り主は計算していなかったのか。
それとも。
「……計算した上で、やってるのか?」
手帳を開き、今日の分を書いた。
・天秤の謎が解けた。この世界は値を丸めている。「近い値」を「同じ値」として扱う
・だから出力も「小さく」ではなく「この値」と指定すれば、そこに丸められる
・十回撃って十回とも同じ大きさ。加減じゃなく、指定だった
・王都の試算は現地を見ていない。実際の在庫は五十二日分
・薬草の生育が遅い。北の街道の便が半減。粉の値段が今月初めて二倍に
・隣街でも同じことが起きている可能性が高い
・セレンの帰還命令、延期に成功
・世界の「計画値」が、初めて狂い始めている
最後に、悠人はもう一行足した。
・この星は、十一万人を養えるのか?
窓の外で、鳥が二羽、動かずにこちらを見ていた。
(――続く)




