名刺を出すのは、いつも向こうから
第十二話 名刺を出すのは、いつも向こうから
朝、宿の窓を開けると、灰色の鳥が窓枠に止まっていた。
一メートルもない距離。手を伸ばせば触れる。
今までは、屋根の上や木の枝からだった。
「……近づいてきたな」
悠人は窓枠に肘をつき、鳥と目線を合わせた。
鳥は瞬きをしない。羽づくろいもしない。
「なあ、お前。誰の使いだ?」
返事はない。
当然だ。相手は鳥だ。
――だが、次の瞬間。
鳥の目が、二度、点滅した。
生き物の瞬きではない。灯りが点いて消えるような、明らかに機械的な明滅。
「うわ」
悠人が身を引くのと同時に、鳥は飛び立った。
東へ。街の外へ。
***
「――追ってきた、というわけですか」
東街道の外れ、林の入口で、悠人はセレンと合流していた。
昨夜のうちに、鳥のことは伝えてある。
「今日は、はっきり誘われてる感じがします」
「罠だと思いますか」
「思います。でも、罠だと分かってる商談ほど、行く価値がある」
林の中は、静かだった。
鳥の姿は、木々の間を縫うように前を行く。悠人たちが遅れると、必ず止まって待った。
やがて、開けた場所に出た。
そこには、崩れた石の建造物があった。
教会と同じ石材。だが、明らかに古い。蔦に覆われ、屋根は落ちている。
「……もう一つの教会?」
「王都の記録にも、こんな建物はありません」
鳥が、崩れた入口の上に止まった。
そして、また目を二度、明滅させた。
***
中は、瓦礫と土に埋もれていた。
だが奥の壁だけが、不自然なほど綺麗に残っていた。
その壁に、円盤があった。
教会で見たものと同じ形。ただし、こちらは動いていない。
溝の中の光は消え、金属の表面は曇っていた。
そして円盤の中央に――文字が刻まれていた。
風化して、ほとんど読めない。
悠人は膝をつき、指で表面の土を払った。
浮かび上がったのは、見覚えのある書式だった。
GEN-1994-RESTORE
「……1994?」
悠人の指が止まった。
自分のステータスに刻まれていたのは、GEN-2038-RESTORE。
数字だけが、違う。
「セレンさん、これ」
「読めますか」
「ええ。……これ、俺のパネルに出てるのと、同じ形式の文字です」
セレンが息を呑む音がした。
「あなたのパネルに?」
「種族欄の注釈に。GEN-2038-RESTORE、と」
「2038。そちらの数字は」
「――俺が死んだ年です」
言ってから、悠人は自分で口を押さえた。
話しすぎた。
だが、もう遅い。
セレンは、しばらく黙って円盤を見ていた。
それから、静かに言った。
「では、この円盤は。1994年に死んだ誰かのための、ものだった?」
***
その時、円盤が――一度だけ、光った。
溝の中を、淡い光が半周して、消えた。
それだけだった。
だが、悠人のパネルが、勝手に開いた。
そして右下の隅に、十一日ぶりに走り書きが流れた。
legacy node detected
照会:GEN-1994-RESTORE
状態:終了済(帰還者 0)
レガシー・ノード。
前世で、社内の古い在庫管理システムを触った時に見た言葉だった。
ノードというのは、要するに一つの拠点、一つの単位のことだ。
――つまり、ここは「一回分」だ。
悠人は、その意味を噛み砕いた。
同じことを、区切って、何度もやっている。
その一回ぶんが、この円盤。
そして今の自分たちも、たぶん別の「一回分」。
帰還者、ゼロ。
「……ゼロ、か」
かつて、ここにも人が来た。
そして、誰も帰らなかった。
削られた文字の意味が、ようやく形を持った。
帰還不可。
三百二十七年の歴史。
半年前から始まった転生現象。
1994年の、終了済みの一回分。
――今回が、初めてじゃない。
営業でいう、リピート案件だ。
何度も同じことをやっている。今回はたまたま、規模が桁違いに大きいだけで。
***
外に出ると、鳥はまだそこにいた。
崩れた石の上に止まり、悠人をまっすぐに見ている。
悠人は、深く息を吸った。
「……なあ。お前を寄越したやつに、伝言を頼めるか」
鳥は動かない。
「俺は、まだ何も見てない。何も気づいてない。ただの、薬草を摘んでるEランクだ」
嘘だ。
全部、嘘だ。
だが、この嘘を言うために、悠人はここまで来た。
――交渉のテーブルにつくには、まず相手に「こちらは無害だ」と思わせる必要がある。
本当の値札を見せるのは、相手が席に座ってからでいい。
鳥は、しばらく悠人を見ていた。
そして、目を三度、明滅させた。
二度ではなく、三度。
初めて、パターンが変わった。
「……返事、か?」
鳥は飛び立ち、空の高みへ消えていった。
***
その夜。宿の部屋で、悠人は手帳の新しい頁を開いた。
十二日分の記録が、もう手帳の半分を埋めていた。
・十の日の教会=転生者の受け入れ口。流れ作業
・王都上層はこれを知っていて、調査を止めている
・東の廃墟に、古い円盤。GEN-1994-RESTORE、帰還者ゼロ
・つまり、今回が初めてではない
・灰色の鳥は機械。誰かが俺を見ている。そして今日、返事をした
ペンを止めて、悠人は最後の行を書いた。
・俺は、まだ何も気づいていないフリをする
明日も薬草を摘む。
ギルドで雑談をする。リコの店に顔を出す。
何も知らない、平凡なEランクとして。
そうやって、相手が席に座るのを待つ。
「……長期戦だな」
灯りを消す前に、悠人はもう一度だけ、窓の外を見た。
揺れない炎が、等間隔に灯っている。
三百二十七年間、ずっとそうしてきたように。
「あんたら、いつからそこにいるんだ」
返事はない。
だが十二日前とは違い、悠人はもう、それを「異世界の風景」だとは思っていなかった。
(――第一部・完)




