閉店中の店ほど、中が見たい
第十一話 閉店中の店ほど、中が見たい
十の日の朝、教会の扉には木札が下がっていた。
『本日、儀式のため閉堂』
儀式。三日前、司祭は何をしているか答えなかった。
「――さて、どうするか」
正面から入れないなら、裏から入るしかない。
悠人は建物をぐるりと回った。
裏手に、腰の高さの小窓があった。掛け金は内側。
指先で、頭の中だけで、極小の火を灯す。掛け金の付け根だけを、そっと炙る。
かちり、と音がした。
「……営業先の勝手口から入るのは、初めてだな」
***
中は、記録室の裏手にあたる廊下だった。
一歩踏み込んだ瞬間、足の裏が沈んだ。
――床板じゃない。
咄嗟に半歩引く。いつもの癖だ。
次の瞬間、踏んだ石が、かこん、と一段下がった。
そして廊下の両側の壁から、鉄の棒が飛び出した。
胸の高さ。腰の高さ。膝の高さ。
三本同時に、廊下を横切って走る。
悠人は床に伏せた。
一番下の棒が、髪をかすめて通り過ぎた。
「……っ、あぶな」
棒は反対側の壁に刺さり、そのまま止まった。
震える手で、悠人はその棒を見た。
錆びていない。
三百年経った建物の中で、この棒だけが新品同様だった。
――使われていないんじゃない。手入れされてるんだ。
***
足音がした。
悠人は柱の陰に飛び込んだ。
廊下の反対側から、何かが歩いてくる。
人ではなかった。
石の像だった。
背丈は悠人の胸ほど。祈りの姿勢のまま、膝から下だけが動いている。
顔はない。のっぺりした石の面。
像は廊下の中央で止まり、飛び出した鉄の棒の前に立った。
そして、棒を掴んで――押し戻した。
かちり、と壁の中で音がして、棒が元の位置に収まった。
像は、そのまま廊下を戻っていった。
悠人の三歩手前を、素通りして。
***
柱の陰で、悠人は息を殺していた。
心臓が、うるさい。
――見なかった。
目の前を通ったのに、あの像は悠人を無視した。
侵入者を捕まえる役目ではないのか。
それとも、そもそも「侵入者」を認識できないのか。
悠人は、床の石をもう一度見た。
自分が踏んだ石。一段下がったままだ。
――踏んだら、作動した。
つまり、あの石は重さを見ている。
だが、廊下を歩いてきた自分の足音では作動しなかった。
踏んだ瞬間だけ、動いた。
「……閾値か」
前世で、倉庫の警報装置を扱ったことがある。
軽いものが載っても鳴らない。ある重さを超えた瞬間に鳴る。
そうしないと、風で飛んできた紙切れで毎回鳴ってしまう。
判定には、必ず線がある。
線の手前は「何も起きていない」ことになる。
***
悠人は、柱の陰から一歩出た。
そして、足を石の上に――そっと置いた。
体重を、乗せない。
一秒。二秒。
何も、起きない。
少しずつ、体重を移していく。
三割。五割。
七割を超えたところで、石が、わずかに沈んだ。
悠人は即座に足を戻した。
石は、鳴らなかった。
「……七割。そこが線だ」
体重の七割までなら、この床は「誰も乗っていない」と判定する。
三百二十七年、この仕掛けはそう動き続けてきた。
***
廊下の先に、もう一つ扉があった。
その手前の床に、同じ色の石が三枚並んでいる。
三枚のうち、真ん中の一枚だけ、目地の埃が薄い。
――またこの配置か。
どこかで見た並びだった。だが、今は思い出している場合ではない。
悠人は、両端の石に足を置いた。
そして、気づいた。
――両端も、たぶん判定はしている。
線が高いだけだ。埃が薄いのは、真ん中の線がいちばん低いから。
つまりこの床は「踏むな」ではなく「軽く踏め」と言っている。
悠人は、壁に手をついて体重を逃がした。
半分だけ乗せて、渡る。
何も、起きなかった。
***
扉の前で、悠人は靴を脱いだ。
像は、目を持っていなかった。
床は、重さで判定していた。
だとすれば、この建物は全部「量」で動いている。
音の量。重さの量。たぶん、他にも。
――全部に、線がある。
そして線の手前にいる限り、この世界は何も起きていないことにする。
悠人は、自分の掌を見た。
火を出す時も、同じではないのか。
どこまでが「普通」で、どこからが「規格外」なのか。
あの灰色の画面も、数字が満了した瞬間に動いた。
あれも、線だった。
「……線の手前を歩けばいいのか」
口に出してから、背筋がひやりとした。
それは、この二十六日間ずっと自分がやってきたことだった。
無意識にやっていたことに、今、名前がついた。
***
***
扉の隙間から、中を覗いた。
礼拝堂だった。
だが、三日前に見たものとは、まるで違った。
祭壇の石床が、丸ごと横にずれていた。
その下から、鈍く光る金属の円盤が迫り上がっている。直径は、大人が三人立てるほど。
円盤の表面には、細い溝が同心円状に走り、その溝の中を淡い光が回っていた。
そして円盤の脇に、司祭が立っていた。
祈ってはいない。円盤の縁に手を当て、じっと動かずにいる。
「……何だ、あれ」
円盤の中央の空間が、揺らいだ。
陽炎のような歪みが立ち上がり、その中から――人が、落ちてきた。
若い男だった。スーツ姿。手にスマートフォンらしきものを握ったまま、円盤の上に尻もちをついている。
「……え? は? ここ、どこ?」
その反応を、悠人は知っていた。
十一日前の、自分自身だ。
司祭が、男に向かって口を開いた。
「異界からの来訪者様。ようこそ」
「い、異界? え、俺、駅のホームにいて……」
「ご無事で何よりです。詳細は街のギルドでお伺いください」
司祭の声は、三日前に悠人が聞いたものと、まったく同じ抑揚だった。
一音も違わない。
男は司祭に手を引かれ、ふらつきながら礼拝堂を出て行った。
そして円盤は、静かに石床の下へ沈み、祭壇は元通りになった。
数秒後、また祭壇がずれ、円盤が上がってくる。
次の陽炎。次の人影。
「――流れ作業かよ」
悠人は、口の中でそう呟いた。
十の日と、五の日。
教会が閉まる日。
それは、儀式の日ではない。
――納品日だ。
***
三人目が運ばれた後、悠人は廊下を戻ろうとした。
そこで、足が止まった。
廊下の先、記録室の扉が、細く開いている。
中に、灰色の外套の背中があった。
「……調査官殿」
セレン・ヴェイルが、ゆっくり振り返った。
手には、開いた年代記。悠人が三日前に見た、あの最後の一冊だった。
数秒、二人は見つめ合った。
「あなたも、勝手口から?」
「表から入ると、木札が下がってましたので」
「私もです」
「廊下の罠は」
「三本の棒ですね。伏せてやり過ごしました」
「あの床、どう渡りました?」
「這いました。手と足に体重を散らせば、鳴りません」
悠人は、思わずセレンを見た。
同じ答えに、別の道で辿り着いている。
「……線が、あるんですよね」
「ええ。役所の書式と同じです」
セレンは、自分の足元を見た。
彼女も、靴を脱いでいた。
「基準を満たさない書類は、受け取られない。逆に言えば」
「満たさなければ、無かったことになる」
「……そういう世界です、ここは」
沈黙。
先に口を開いたのは、セレンだった。
「見ましたか」
「はい」
「何を見たか、言ってみてください」
「――先に、そちらが言うべきでは?」
セレンの目が、わずかに細くなった。
それから、彼女は年代記を閉じて、言った。
「石の床が動いて、光る円盤が出てきた。そこから人が落ちてきた。三人」
「……四人です。俺が見た限りでは」
「四人。訂正します」
互いに一枚ずつ、手札を置いた。
交渉のテーブルが、開いた音がした。
「調査官殿。前回、教会の件は調査対象外だと仰いましたね」
「ええ」
「なのに、ここにいる」
「対象外だから来たんです」
彼女は淡々と続けた。
「王都から下りてくる指示に、『教会は調査するな』という一文があった。転生現象を調べろと言いながら、転生者が最初に運ばれてくる場所を調べるなと言う。おかしいでしょう」
「おかしいですね」
「命令を出した人間が、あの円盤を知っている。そう考えるのが自然です」
悠人は、頭の中の手帳に一行を書き足した。
――王都の上層は、これを知っている。
***
セレンは、閉じた年代記を悠人に差し出した。
「削られた頁を見ましたか」
「圧痕だけ。『帰』と『還』が読めました」
「私は三文字読めました。もう一つは、『不』です」
帰還不――。
続く文字は、想像がついた。
不可。不能。
「……帰れない、ってことですか」
「断定はできません。ですが、そう書かれていた可能性が高い」
誰かがそれを記録し、誰かが削った。
「調査官殿。一つ提案が」
「どうぞ」
「情報を交換しませんか。俺が街で拾ったものと、あなたが王都で拾ったもの」
「私が、あなたを疑っていると言ったのを覚えていますか」
「覚えてます。だから今、こうして手札を一枚ずつ置いてる」
セレンは、しばらく黙っていた。
それから、初めてわずかに口の端を上げた。
「あなた、前世は何を?」
「営業です。法人相手の」
「なるほど。道理で」
***
その夜。宿の部屋で、悠人は手帳を開いた。
・裏の廊下に罠(三本の鉄棒)と、それを直しに来る石の像
・この建物は「量」で判定している。床は体重の七割までなら反応しない
・判定には必ず線がある。線の手前は「何も起きていない」ことになる
・俺がやってきたのは、たぶんずっとこれだ
・十の日、教会の祭壇の下から金属の円盤が出てくる。そこから転生者が落ちてくる
・司祭が受け入れ、ギルドへ送る。完全な流れ作業。司祭のセリフは毎回一音も同じ
・十の日と五の日=納品日
・セレンも独自に調べていた。王都から「教会は調査するな」という指示が出ている
・削られた文字はおそらく「帰還不可」または「帰還不能」
・セレンと情報交換の合意
書き終えて、悠人はペンを止めた。
十一日前、自分もあの円盤の上に落ちたはずだ。
だが、記憶がない。
気がついたら、森にいた。
「……なんで俺だけ、教会じゃなかったんだ?」
四千人が円盤から落ちてきて、司祭に迎えられ、ギルドに登録される。
そういう手順になっている。
自分だけ、その手順を通っていない。
手帳の余白に、悠人は小さく書いた。
・俺は、どこから来た?
(――続く)




