閉じている日と、開いている日
第十話 閉じている日と、開いている日
「教会? そりゃ十日に一度、閉まるよ」
朝、水路の泥さらいで一緒になった例の老人が、あっさり答えた。
「十日に一度?」
「ああ。決まってる。十の日は閉まる。爺さんの爺さんの代からな」
「じゃあ、半年前から時々閉まるようになった、ってのは?」
「そりゃ違うな。増えたんだ、閉まる日が」
悠人はスコップを止めた。
「増えた」
「昔は十の日だけだった。今は、五の日にも閉まる。半年前からだ」
十日に一度が、五日に一度になった。
半年前から。転生者が現れ始めたのと、同じ時期に。
「ちなみに、今日は」
「八の日だ。開いてるよ」
***
教会は、街の中心から少し外れた石造りの建物だった。
中は薄暗く、人影は数人。祈っているというより、涼みに来ているように見えた。
奥に、記録室の入口があった。
「読み書きができる方ですか」
声をかけてきたのは、初老の司祭だった。柔和な顔で、目だけがよく動く。
「ええ。街の歴史を調べたくて」
「珍しい。転生者様が歴史を?」
「昔から古い建物が好きで」
嘘ではない。営業で地方を回っていた頃、下見の合間に古い神社を見て回るのが好きだった。
「どうぞ。ただし、書架の奥は入らぬように」
司祭はあっさり通した。
拍子抜けするほどの警戒のなさだった。
***
記録室には、この街の年代記が並んでいた。
悠人は最も古い一冊を手に取り、最初の頁を開いた。
――そして、二度読み返した。
年代記は、三百二十七年前から始まっていた。
それより前がない。
「建国」も「開拓」も「移住」もない。
ただ、こう書かれていた。
『第一年。人々が目を覚ました。畑があり、家があり、水があった』
目を覚ました。
「……用意されてた、ってことか?」
家も畑も水路も、最初からあった。
人々はある日、それらの中で目を覚ました。
三つの石が水路に据えられていたのも、街並みが定規で測ったように整っているのも、当然だ。
誰かが先に作って、あとから人を置いたのだ。
***
悠人は年代記を三冊、四冊とめくった。
戦争がない。飢饉がない。疫病がない。
三百二十七年の記録に、大きな災厄が一つもなかった。
凶作の年はある。だが必ず「隣街から穀物が届いた」と続く。
営業で扱った数字なら、こういうグラフを何度も見た。
――これは、実績じゃない。計画値だ。
そして最後の一冊、直近の記録に辿り着いた時、悠人の指が止まった。
半年前の頁から、筆跡が変わっていた。
それまでは、几帳面な、教科書のような字。
半年前を境に、明らかに別人の、荒い筆致になっている。
内容も変わっていた。
『異界より人来たる。数を記す』
『三十七名』
『百二名』
『四百十九名』
日付と、数字だけ。
そして、いくつかの頁に、朱色で線が引かれていた。
線が引かれているのは、数字ではなく、その隣の余白だった。
余白には、何も書かれていない。
「……消したのか?」
目を凝らす。
紙の繊維が、わずかに毛羽立っている。削り取った跡だ。
悠人は、その頁を明かりに透かした。
削られた文字の、圧痕がうっすら残っていた。
読めたのは、二文字だけ。
――『帰』と、『還』。
***
「見つかりましたか」
背後からの声に、悠人は年代記を閉じた。
司祭が、いつの間にか立っていた。
「いえ。思ったより、古い記録がないですね」
「三百二十七年。それがこの街の全てです」
「それ以前は?」
「ありません」
即答だった。
迷いも、考える間もない。
「司祭様。妙なことを聞きますが」
「どうぞ」
「十の日と、五の日。教会が閉まる日、ここで何をしてるんですか」
司祭の柔和な顔が、そのまま固まった。
表情が消えたのではない。表情が、貼り付いたまま動かなくなった。
「……お帰りください」
「司祭様」
「お帰りください」
二度目は、最初と一音も違わない、まったく同じ抑揚だった。
悠人は、ゆっくりと後ずさった。
癖の半歩ではなく、意識して、大きく。
「失礼しました」
扉を出る間際、悠人は振り返った。
司祭はまだ、同じ姿勢で立っていた。
両手を胸の前で組み、柔和な顔のまま、瞬き一つしない。
――あの鳥と、同じだ。
***
外に出ると、日差しが痛いほど明るかった。
悠人は路地に入り、壁に背を預けて、大きく息を吐いた。
手が震えていた。
「……人形かよ」
いや、と思い直す。
違う。あの司祭は、書架の奥に入るなと言った。歴史を調べたいと言えば通した。
判断している。会話が成立している。
ただ、決められた問いには、決められた答えしか返せない。
営業で言えば、マニュアルしか読めない受付だ。
ただし、こちらのマニュアルは、外れた瞬間に会話そのものが終わる。
***
その夜。宿の部屋で、悠人は手帳を開いた。
・教会は十の日に閉まる。半年前から五の日にも閉まるようになった(転生者出現と同時期)
・街の記録は三百二十七年前から。それ以前がない。『人々が目を覚ました。畑があり、家があり、水があった』
・三百二十七年間、戦争も飢饉も疫病もなし。凶作は必ず救援が届く
・半年前から筆跡が変わり、内容が「異界より人来たる、数を記す」だけになった
・削られた文字の圧痕。読めたのは『帰』『還』の二文字
・「閉まる日に何をしているか」を聞いた瞬間、司祭が固まった。二度目の返答は一音も違わなかった
書き終えて、悠人はペンを置いた。
用意された街。実績ではなく計画値の歴史。
決められた答えしか返せない司祭。
そして、誰かが削った『帰還』の文字。
「……帰れるのか? 俺たち」
声に出してから、悠人は自分で驚いた。
九日間、一度も考えたことがなかった。
異世界転生ものの主人公は、元の世界に帰らない。それが当たり前だと思っていた。
だが、この世界の誰かは、それを記録し、そして削った。
明日は九の日。
明後日は、十の日だ。
閉まる日に、教会で何が行われているのか。
悠人は手帳を閉じ、灯りを消した。
窓の外では、揺れない炎が、今夜も等間隔に灯っていた。
(――続く)




