第6話 癌治療
医療都市である第18階層の診察室は、どこか穏やかで温かい光に包まれていた。
第1階層の広場では、軽度の疾患や不調から解放された人々が身体の軽さに歓声を上げている。しかし、この医療エリアの奥深くには、まだ重い静寂が立ち込めていた。
そこに残されていたのは、早期および進行性の「癌」と診断された3名と、その家族たちだった。
「本当に……治るんですか……? もう、手遅れだって地球の病院では言われていたのに……」
震える声でそう尋ねたのは、進行性の癌を抱える五十代の男性だった。彼の隣には、長い闘病生活を共に支え、やつれ切った妻が心配そうに身を寄せ合っている。
地球にいた頃は、激しい痛みと抗がん剤の副作用に苦しみ、カウントダウンされていく日々に絶望する毎日だった。異世界に召喚されたと知った時も、「どうせここで野垂れ死ぬだけだ」と諦めかけていたのだ。
「当施設の医療技術にお任せください」
担当する医療AIが、落ち着いたトーンで答える。
「当施設で行う治療は、ナノマシンと魔法医療を組み合わせた細胞再構築です。正常な組織や細胞には一切の損傷を与えず、体内の癌細胞のみを特定して完全に消滅させます。さらに、病巣によって破壊された臓器の組織もその場で再生・修復いたします」
ホログラムモニターに、男性の体内の立体映像が映し出される。そこには、黒く変質した病巣が生々しく刻まれていた。
「治療にかかる時間は約15分。痛みや体調不良を伴う副作用は一切ございません」
「15分……? そんな馬鹿な……」
男性の妻は信じられないといった様子で首を振った。
「何年も苦しい思いをして、高額な治療費を払って……それでもダメだったのに、そんな短時間で……?」
「疑われるのは当然です」
静かに進み出て声をかけたのは、様子を見に来ていたアキラだった。
「俺も最初聞いた時は信じられませんでした。でも、ここのAIや医療設備は本物です。無理に信じろとは言いません。ここにいる皆さんの病気を治すために、この設備はあります。……賭けてみる価値はあるんじゃないですか?」
アキラの飾らない言葉に、男性と妻は顔を見合わせた。
男性はゆっくりと深呼吸をし、意を決したように頷いた。
「……お願いします。生きたいです……もう一度、妻と笑って過ごしたい……!」
治療室のベッドに男性が横たわると、柔らかい淡い光の層が身体を優しく包み込んだ。
『癌細胞の特定完了。消滅プロセスを開始します』
モニター上で、黒く濁っていた病巣が、光の粒子に分解されるように瞬く間に消えていく。続いて、ダメージを受けていた臓器の組織が元の健康な状態へと急速に再生されていった。
『組織再生完了。体内の癌細胞、完全に除去されました。治療を終了します』
「え……?」
男性が恐る恐る体を起こす。
いつも身体の奥を苛んでいた、重く鈍い痛みが綺麗さっぱり消え去っていた。息を吸うのも楽になり、全身に血が巡る温かい感覚が戻ってくる。
「痛くない……体が、全然重くない……!」
男性は自分の腹部に手を当て、何度も確かめるように押さえた。
医療AIがモニターの数値を提示する。
「腫瘍マーカー、画像診断ともに異常なし。完全な寛解状態です。早期癌の2名の方につきましても、同様の処置で治療が完了いたしました」
「あなた……! あなたぁっ……!」
妻が男性に抱きつき、声を上げて泣き崩れた。男性もまた、妻を強く抱きしめ返し、ボロボロと涙を流した。
「ありがとう……ありがとうございます……! 未来が、また戻ってきた……!」
早期癌と診断されていた残りの2名とその家族も、奇跡のような結果を目の当たりにして涙を流し、互いに手を取り合って喜びをかみしめていた。
治療を終えた人々が診察室を後にする姿を、アキラとタマモは静かに見送っていた。
「これで癌患者の方々の治療は完了いたしましたね、マスター」
タマモが九本の尻尾を優しく揺らしながら微笑む。
「ああ。……だけど、病気が治ったからって全部解決ってわけじゃないんだよな」
アキラは広場の方を見つめながら呟いた。
「病気で失った時間や、心に負った傷、これからの異世界での生き方……。治った後にどう生きていくかは、本人次第だ」
「はい。ですが、命と健康さえあれば、何度でもやり直すことができます」
タマモは誇らしげに胸を張った。
「重篤な患者様方の希望を取り戻した第一歩です。マスターが作られたこの世界は、確実に人々を救っておりますよ」
「俺は何もしてねぇよ……」
照れ隠しに頭を掻きながら、アキラは歩き出した。
絶望の淵から救われた人々が、新たな世界で歩み出す一歩。その足取りは、地球にいた頃よりも遥かに強く、軽やかだった。




