第67話 聖堂教会~リゼの旅
朝靄がうっすらと漂う早朝、聖堂教会本部を旅立ったリゼは、重厚な石造りの街門を静かにくぐり抜けた。
胸元に抱いた木彫りの聖印にそっと手を添え、創世の女神への祈りを胸に一歩を踏み出す。聖堂教会でシスター見習いをする彼女が向かう先は、人々の間で恐れられている魔族に与する集落であった。
初日は運良く、同じ方角へ向かうという商人のキャラバンと出会うことができた。事情を話すと、親切にも馬車へと同乗させてくれたのだ。
道中、夜営の場所ごとに様々な家族連れの旅人たちと出会い、シスター見習いであるリゼに対し、人々はお布施という意味合いを込めて温かい食事を分けてくれた。
だが、ふとリゼは不思議に思った。差し出されたスープの具材には、彼女が幼少期から大好物だった珍しい山菜がたっぷり入っていたのだ。それだけでなく、次に渡されたパンも、保存によく使われる癖の強い薬草の粉末が綺麗に抜かれ、ほのかに甘い麦の風味のみに仕上げられている。まるで誰かが事前に自分の好みを把握し、完璧に調理したかのようだった。
「あの……私の好みをどこかでご存じだったのですか?」
リゼが尋ねると、旅人は一瞬だけ硬直したようなぎこちない笑顔を浮かべ、
「い、いいえ! たまたまですよ、シスター。女神様のご加護でしょう!」
と素早く答えた。
「まあ……! 女神様、今日も私の好みをご存じのうえで、温かい恵みをくださりありがとうございます……」
疑問はあっさりと感謝へと上書きされ、順調に旅は進むかに思われた。
ところが、旅は決して平穏なことばかりではなかった。
ある日は突然の大雨に見舞われ、街道沿いの橋が激流によって崩落してしまっていた。途方に暮れたリゼが意を決して服を脱ぎ泳いで渡ろうとすると、川の上流から偶然にも「流木調査中」だという木こりの集団が現れた。彼らは手際よく巨大な丸太を渡し、あっという間に安全な仮設橋を作り上げて渡らせてくれたのだ。
またある日は、お腹を空かせたリゼが道端で見つけた色鮮やかな野草に手を伸ばそうとした瞬間、空から急降下してきた一羽の鷹(のような機械)が野草をかっさらっていった。直後、通りがかった薬師の行商人が「シスター! それは猛毒の痺れ草ですよ!」と声をかけ、代わりに甘く熟した果実を分けてくれた。
さらに別の日には、街道の脇の草むらが大きく揺れ、低い唸り声を上げて巨大な狼の魔物が飛び出してきた。鋭い牙と爪を向けられ、リゼは思わず身をすくませる。
「創世の女神様! お救い下さい……!」
ぎゅっと目を閉じ、必死に祈りを捧げる。
——ドスン!
重い衝撃音が響き、恐る恐る顔を上げると、そこには倒れた狼の姿と、弓を手にした一人の猟師が立っていた。狼を追っていたというその猟師は、手際よく獲物を仕留めてくれたのだった。
「驚かせてしまったね、シスター。こんなところで怪我をさせなくてよかった」
猟師は危険に巻き込みかけたお詫びとして、近くにある自宅へリゼを招き、一夜の宿を提供してくれた。家には心優しい奥様と可愛らしい娘さんがおり、リゼは暖かい家族の団らに心をほころばせた。
(それにしても、こんな深い山奥に、どうしてこんなに立派で真新しいお家があるのかしら……?)
部屋の隅に置かれた見たこともない精巧な金属製の調度品や、あまりに生活感のない綺麗な壁に首をかしげたものの、リゼは「これも女神様が整えてくださった聖域なのだわ」と納得することにした。
翌日、山越えのふもとにある村に到着したリゼは、村人から気になる噂を耳にする。
「この先の峠には粗暴な盗賊たちが住み着いていてね。一人旅なんて危険すぎるよ」
だが、リゼの決意が揺らぐことはなかった。
「でも、歩みをとめるわけにはいきません。女神様が一緒にいてくださるのですから」
村人の心配を背に受けて険しい峠道を上り始めたリゼ。いよいよ噂の根城とされる岩場に差し掛かり、彼女は息をのんで聖印を強く握りしめた。
……だが、街道は不気味なほど静まり返っていた。よく見ると、岩陰には何か重いものを引きずったような真新しい痕跡や、焦げたような怪しい跡が残っていたが、盗賊らしき姿は影も形もない。
「皆様、お休みでしょうか……? それとも、改心して旅立たれたのでしょうか」
首をかしげつつも特に危険に晒されることなく峠を越え、そのまま歩みを進めて7日後、リゼはようやく目的の地である『魔の森』の入り口へと到着した。
魔の森の入り口にある夜営場所で腰を下ろしていると、交易都市から帰る途中だという商人から声をかけられた。
「こんなところでシスターかい? これ、パンと飲み水だ。お布施だと思って受け取っておくれ」
「まあ、ありがとうございます。女神様、感謝いたします」
受け取ったパンを大切そうに噛み締めながら、リゼはこれから足を踏み入れようとする深い森を見つめた。
その頃、交易都市の中央区画に位置する執務室にて。
ホログラムモニターに映し出されたリゼの映像を前に、アキラがお茶をすすりながら深くため息をついていた。
隣に立つ管理AIのタマモが、九本の白い尾を優雅に揺らしながら端末を操作する。
「マスター、聖堂教会からこちらへ向かっていたシスターが、最終チェックポイントに到着いたしました。これより、街道沿いに展開していた『接待・護衛用生体アンドロイド群』、急造土木建築部隊、毒物回収ドローン、ならびに盗賊無力化部隊の全機撤収を開始いたします」
「……ああ、本当にご苦労さん」
アキラはぐったりとデスクに突っ伏し、モニターに流れる無数の監視ログを眺めた。
「しかし……まさか一人で、しかも本当に無一文でやってくるとは思わなかったな。毒草を食べようとするわ、増水した川にそのまま飛び込もうとするわ……あいつ一人の移動のために、こっちは付きっきりだったぞ」
「はい。生体スキャンの結果、所持金ゼロ、武器・防具ゼロ、危機管理能力ゼロの完全なる丸腰でございました。マスターの指示でアンドロイドによるロールプレイ派遣を行っていなければ、服毒するか流されるか魔物の餌食になっていたかと推測されます」
「まあ、無事に届いて良かったよ。あいつ、道中に出会った親切な人たちがアンドロイドだったなんて夢にも思ってないんだろうな……」
アキラの呟きに、タマモは狐耳をぴくっと揺らし、いたずらっぽくにっこりと微笑んだ。
「ふふ、良いのではないでしょうか。本人は『すべて創世の女神様のご加護とお導き』と信じて大満足されているようですから。」
本人が全く無自覚なまま、過保護なテクノロジーのフルサポートに守られたシスターの旅が終わろうとしていた。




