第63話 聖堂教会~勇者召喚
時は遡りアキラたちが召喚される前
聖堂教会の最奥に位置する執務室には、重苦しい沈黙と、甘く濃厚な香炉の煙が立ち込めていた。
「——教皇猊下。西方の開拓領におけるお布施の集金、少々滞っているようでございますな」
豪華な装飾が施された長テーブルの端で、薄笑いを浮かべたのは枢機卿のバルドだった。その細い目が、上座に座る教皇ゼルスを粘り強く射抜く。
「魔族の動きが活発化しているという噂に、民どもが恐れをなして財を溜め込んでいるとか。……まあ、我が聖堂教会の『光の加護』に全幅の信頼を寄せておられないのは、些か嘆かわしいことではございますが」
「バルド枢機卿、言葉が過ぎるぞ」
ゼルスは苛立ちを隠そうともせず、指輪で机の木目を固く叩いた。
「加護は常に万民に与えられている。集金が滞っているのは、現地の司教どもの怠慢に過ぎん」
「お言葉ですが、猊下」
今度は対面に座る老聖職者が、皮肉たっぷりに口を挟んだ。
「民が求めているのは、抽象的な加護ではなく『目に見える奇跡』でございますよ。騎士団の派遣費用も嵩む一方。次の神託で、魔族を打ち払うような大きな動き……例えば『勇者の降臨』でも賜らねば、派閥の者たちも首を縦には振りかねますな」
(ぬけぬけと……! 私の失脚を待ち望んでおる癖に……!)
ゼルスは腹の中で激しく毒づいた。
ここに集う高位聖職者どもは、誰一人として女神への信仰など抱いていない。頭にあるのは、己の派閥の威勢と、聖堂教会が吸い上げる巨額の利権だけだ。このまま「奇跡」を示せなければ、足元をすくわれ、教皇の座から引きずり下ろされるのは時間の問題だった。
「……神託の儀は、今宵執り行う。余計な口を挟むな」
ゼルスは立ち上がり、重厚な法衣の裾を翻して部屋を後にした。背後で聞こえる、含み笑いの混ざった囁き声を背中に浴びながら。
重い鉄の扉が閉ざされ、静寂が支配する「神託の間」。
外部の喧騒も、あの忌々しい権力者どもの視線も届かない聖域で、ゼルスは一人、祭壇の前で膝をついた。
「女神よ……創世の女神よ……!」
組み合わせた手に、血が滲むほど強く力を込める。
額を床に擦り付けながら捧げる祈りは、次第に熱を帯び、濁った欲望へと変質していった。
(あの愚か者どもの鼻を明かしてやらねばならん。誰もがひれ伏す圧倒的な奇跡を……! 私の地位を盤石にするための勝利を……!)
女神よ、勇者を。
女神よ、聖女を。
女神よ、賢者を。
それだけでは足りない。敵対派閥を完全に黙らせ、世界の頂点に君臨するほどの決定的な「力」が欲しい。教皇の欲望は歯止めを失い、祈りの言葉はより過激へ、より曖昧へと広がっていく。
(もっとだ……もっと強い力を! 私に逆らう者すべてをひれ伏せさせるような……!)
「女神よ……世界に影響を与えるほど強い者を……!」
我らのために召喚ください。
なにとぞ、我らの願いを。
なにとぞ……我ら(私)に、富と名声を……!
一方その頃、天上界——。
「うっ……ゲホッ……! なにこの欲望100%のどす黒い願い……エグい、胃が痛い……」
創世の女神は、神聖な雲の台座で胃を押さえながら悶絶していた。
下界のゼルスから送られてくる祈り(という名のギラギラした強欲)は、純粋な信仰心とは程遠いドロドロとしたヘドロのような精神エネルギーとなって女神を直撃していた。
「なになに……? 『富と名声』『私に逆らう者をひれ伏せさせる』『世界に影響を与えるほど強い者』……? 大雑把すぎるでしょ! オーダーが大ざっぱだし欲望がドロドロすぎて胸やけするわ!」
あまりの胃もたれと不快感に、女神の顔は青ざめていた。このドロドロした泥水のような願いをこれ以上聞き続けていたら、神としての尊厳以前に胃に穴が空いてしまう。
「もういい! 面倒くさいから『世界に影響を与えるほど強いやつ』の条件に引っかかったやつをまとめて一括召喚しちゃえ!」
投げやりになった女神は、異世界の様子を映し出す水晶を適当に操作した。
画面に映ったのは、異世界の郊外を凄まじい速度で走る「動く鉄の箱(電車)」だった。
「あー、あの箱の中に何か強そうな存在の反応があるわね! 面倒だから箱の前方に直接召喚陣を出して、まとめてまとめてドカンと引き抜く!」
女神は雑に指を鳴らした。
パチン!
日本の郊外、疾走する鉄の箱の目と鼻の先に、巨大な光の魔法陣が唐突に出現する。
ガツンという衝撃音とともに、空間ごと強烈な引力が働き、鉄の箱の中にいた「条件に当てはまった者たち」が一気に光の中へと吸い込まれていった。
『——魔の森の中央に、召喚する——』
女神はそれだけ告げると、「ふぅ……胃薬飲も……」と呟いて神託の通信をブツリと切った。
「おお……! おお、女神よ……!!」
神託を受けたゼルスは、脳内に直接響いた声に歓喜の涙を流した。すべてが己の思惑通りに進んだと確信し、歓喜に全身を震わせる。
即座に目的の人物の特徴を伝えられた精鋭兵たちが、魔の森へ回収に向かった。
数日後。大聖堂の拝殿に連れてこられたのは、異国風の珍しい衣装と艶やかな黒髪を持つ若き勇者、可憐で麗しい聖女、そして知的で隙のない賢者といった、文句の付けようもない完璧な「駒」たちであった。なお、彼らの背後に転がっていたような「有象無象」は、何の価値もない廃棄物として森の中にそのまま棄て去っていた。
「ハッハッハ! 見よ! これぞ我が祈りに応え、創世の女神が遣わしたまいし光の勇者たちである!」
ゼルスは両腕を高く掲げ、大聖堂に集まった聖職者たちを見下ろして高らかに謳いあげた。その顔は全能感と悦楽に歪み、狂喜に満ちあふれている。
「魔族の脅威など、この勇者たちの前には塵に等しい! これより我が聖堂教会は、全土の信仰を一身に集め、新たなる黄金期を迎えるのだ!」
勝利を確信したゼルスの咆哮が響き渡る中、長テーブルの端に並ぶ反教皇派の面々は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「チッ……」
バルド枢機卿は、扇子の陰で露骨に小さく舌打ちをした。隣の老聖職者もまた、悔しげに眉間を寄せている。ハッタリで終わるはずだった神託が結実し、ゼルスの足元をすくう絶好の機会が潰されたのだ。
だが、バルドの細い目はすぐさま鋭く細められた。目の前で不安そうに身を寄せ合う、異世界から来た世間知らずの黒髪の若者たち——「勇者一行」へと視線を走らせる。
(……待てよ。あのゼルスが召喚したとはいえ、勇者たちが奴個人の忠実な犬とは限らん)
ゼルスが勇者たちを自慢気にお披露目している隙に、バルドは背後の側近や老聖職者へ小声で耳打ちした。
「おい、見たか。あの勇者ども、己の置かれた状況もよく分かっておらん顔だ。ゼルスに言われるがまま頷いているだけに過ぎん」
老聖職者が低く囁き返す。
「……ええ。器は上等ですが、中身はまだ右も左も分からぬヒヨッコ。御しやすいと言えますな」
「ククッ、その通りだ。ゼルスが全権を握った気になっている今こそ好機。召喚の儀に奔走した教皇派の鼻を明かし、あの勇者どもを真っ先に我が派閥に取り込むぞ」
バルドは腹の中で狡猾な算段を巡らせていく。
「まず、彼らの滞在する離宮の世話係に見目の良い身内を送り込め。言葉巧みにゼルスへの不信感を植え付け、我らこそが正当な支援者だと吹き込むのだ。そして騎士団の遠征費という名目で、勇者たちの管轄権の一部を我が派閥が抱え込む……」
「なるほど。勇者の威光と武力を我が派閥の看板にできれば、西方の集金権どころか、騎士団の主導権まで根越し奪えますな」
「ふん、ゼルスめ。躍り上がって喜んでいる間に、勇者の『手綱』は私が奪ってやるわ」
バルドたちは静かに含み笑いを漏らし、獲物を狙う鷹のように勇者たちへ冷ややかな視線を注いだ。
自らの権力を盤石にし、富と名声を手に入れたと確信するゼルス。
その裏で、勇者という巨大な利権を巡って早くも醜い派閥争いを始める枢機卿たち。
そして、胃もたれの勢いで雑な召喚作業を終えた創世の女神。
だが、彼らの誰一人として、まだ気づいていなかった。
教皇の曖昧な願い。
女神の雑な解釈。
そして、召喚場所の確認不足。
その三つが重なった結果――
勇者たちだけではなく、アキラと43人の乗客、そしてダンジョンワールドそのものまで召喚されてしまったことを。
そう。
異世界召喚史上、類を見ない「召喚事故」である。
作者より
召喚の多重事故が回収されました。
報告・連絡・相談は大切です。




