第62話 閑話 乙女の危機
異世界の穏やかな日常生活の裏で、志保やこずえをはじめとする日本の女子学生たちは、突如として持ち上がった深刻な危機に直面していた。
放課後のお茶会、和気藹々とした女子会、そして街で見つける珍しい食べ歩きグルメ――それらの魅惑的な習慣が積み重なった結果、彼女たちの体に明確な変化が訪れていたのだ。
そう、体重の増加である。
「……おかしいわね。スカートのウエストが、ほんの少しきつくなっている気がするの」
「気のせいじゃないよ、志保さん! 私も最近、鏡を見るのが怖くて……!」
青ざめる彼女たちは、現状を把握するために周囲の留学生や他国の生徒たちにそれとなく探りを入れ始めた。しかし、返ってきた答えは思わぬ文化の違いであった。
「えっ、何をそんなに気にしていらっしゃいますの?」
首を傾げたのは、海洋都市の商人子女であるアンネだ。
「豊満さや健康的な体つきは、裕福さや生活の余裕を示す立派なステータスですわ! この都市の食生活の豊かさを証明する最高の宣伝ですのに」
隣に立つメーベルも大きく頷く。
「そうよ! うちの商会でも『しっかり食べて肥えた人材』の方が信頼されるんだから。服を新調するのも、今の豊かな体型に合わせる方がずっと誇らしいわ」
あまりにポジティブかつ現実的な価値観に、志保たちは言葉を詰まらせる。
「あの……ノルトちゃんはどう思う……?」
藁にもすがる思いで尋ねると、隠れ貴族であるノルトはどこか遠い目をして、そっと囁いてきた。
「志保さん、貴族のドレス用コルセットをお貸ししましょうか? これを極限まで締め上げれば、肋骨をほんの少し押し潰すだけでウエストが5センチは細く見えますわ」
「ノルトちゃん!? それ絶対痛いやつでしょ!? 平民のフリしてるのに、なんでそんなガチなコルセット術知ってるの!?」
こずえの突っ込みに、ノルトは
「あ、あはは……昔、本で読んだことがあって」
と慌てて目をそらした。
他者の状況を観察してみても、絶望は深まるばかりだった。
ノルト自身は根っからの小食であるため太る気配すらなく、魔王国三姉妹はそもそも太りにくい体質という羨ましい限りの性質を持っていた。
「体重の増加……? それは単に摂取カロリーに対する魔力消費および運動量の不足ではありませんか? 魔法講義での魔力放出量を1.5倍に増やせば、即座に代謝される計算ですわ」
シュティトの冷酷なまでに理路整然とした指摘に、胸を刺される女子たち。
日頃から武芸の鍛錬に励んでいるサクラでさえ、
「最近、胴当てが少しキツイ気がいたしまして……」
と控えめに悩みを吐露する始末である。
「こうなったら、現代の知恵……ううん、魔法と未来技術の力に頼るしかないわ!」
追い詰まった女子生徒たちは、知識と技術の宝庫であるタマモのもとへと押しかけ、藁にもすがる思いで秘密裏にダイエットの相談を持ちかけたのだった。
「なるほど、減量支援のご要請ですね。では、適切なトレーニングメニューおよび栄養管理プログラムの策定にあたり、まずはマスターに状況を正確に報告し、設備の利用許可と協力を仰いできます」
タマモが無表情のまま至極まっとうな提案を行い、端末を手にすっと立ち上がってドアへと歩き出した――その瞬間。
「「「ダメーーーーーッ!!!!!!」」」
室内に響き渡る、悲鳴にも似た絶叫。
次の瞬間、志保を筆頭に女子生徒たちが一斉にタマモへと飛びかかった!
「待って! 待ちなさいタマモちゃん! アキラさんには絶対に言っちゃダメ!!」
「お願いだから踏み止まって! アキラさんにだけは……私たちが太ったなんてバレたら、私、生きていけない!!」
それまで冷静を装っていたアンネやメーベルも青ざめて参戦する。
「ちょっと待ちなさい! アキラ様に買い食いで太ったなんて知られたら、私の『可憐な淑女』のブランディングに致命的な傷がつきますわーーっ!」
「解せません。マスターに報告し、専門の医療・栄養プログラムを導入するのが最も効率的ですが」
「効率とかそういう問題じゃないのよ!! 乙女のプライドがかかってんの!」
無感情に歩みを進めようとするタマモの腰に志保が抱きつき、右足にはこずえが、左足にはサクラが涙目になりながら全力でしがみつく。さらにノルトやアンネまで裾を引っ張り、九本の白い尾が困惑したようにパタパタと揺れた。
「マスターへの報告は管理AIとしての基本プロトコルに規定されています。離してください」
「嫌! 絶対離さない! アキラさんに『最近太ったんじゃないか?』なんて言われたら、私の青春が終わっちゃうの!!」
「頼むよタマモちゃん! ここは女同士の友情に免じて秘密にして!!」
必死の形相でタマモを総がかりで拘束し、なりふり構わず全力でアキラへの報告を阻止しようとする女性陣。
こうして、乙女たちの尊厳とプライドをかけた、絶対にアキラに知られてはならない秘密の戦いが開幕したのだった。
翌朝。
交易都市の街壁の上を、朝日を浴びながら走る女子たちの姿があった。
志保、こずえ、サクラ、ノルト、アンネ、メーベル――。
普段なら朝食の時間までまだ余裕のある時刻である。
「はぁ……はぁ……! もう少し!」
「志保さん、頑張って!」
「アンネ! 昨日、甘い物を三つ食べたのは誰よ!」
「そ、それは……今は言わない約束でしょう!?」
そんな声を遠くに聞きながら、執務室の窓辺に立つアキラは、朝日に目を細めていた。
「……?」
街壁の上を走っている女子たちを見つめる。
「珍しいな。朝から走ってるのか」
その隣では、タマモが静かに書類を整理していた。
「はい。健康管理の一環かと思われます」
「へえ。学校でも何かあったのかな?」
「……さあ、どうでしょう」
タマモはいつもの無表情のまま答えた。
アキラはしばらく窓の外を眺めていたが、
「まあ、運動するのはいいことだな」
そう言って、執務机へと戻っていった。
その姿を確認したタマモは、そっと窓の外へ視線を戻す。
街壁の上では――
「タマモちゃん! こっち見てないで助けてーー!」
「自己責任です」
「冷たい!」
今日も交易都市は、平和だった。




