第56話 学校~商家の子供たち
交易都市の中央区画に新設された二層建ての石造りの校舎。
先日の全校対面式を終え、本日はそれぞれの専門講義への正式配属の日だ。
実務や社会知識を学ぶ「中高合同・商業実践クラス」の教室には、地球から召喚された日本の高校生たちと、海洋都市国家からやってきた商人たちの子女・子息――「留学生」と称される若者たちが一堂に会していた。
黒板の前に立っているのは、元大手商社マンの佐々木だ。彼の柔らかな、だが芯のある声が教室に響く。
「えー、先日の対面式でも顔合わせはしましたが、本日の講義からこのクラスには海洋都市国家からの留学生4名が正式に加わることになりました。お互い学ぶべきことは多いはずです。有意義な時間を過ごしてください。では、改めて自己紹介を」
最初に一歩前へ出たのは、艶やかな栗色の髪を揺らす14歳の少女だった。
「マークス商会が長女、アンネ・マークスと申します! 交易都市の素晴らしい文化と、地球の皆様の高度な知見を学ばせていただくべくやって参りました。どうぞよろしくお願いいたしますね」
愛くるしい首傾げと完璧な淑女の礼をとるアンネ。その可憐な立ち振る舞いに、聖堂教会から保護された男子高校生たち――伊藤シンや斎藤はじめらは「おお……っ」と鼻の下を伸ばしかけた。
(……ふふ、掴みは完璧。男なんてものは、わかりやすい可愛さと適度なウブさを演出しておけば簡単に転がせるのよ)
アンネの瞳の奥では、商人としての冷徹な計算尺が目まぐるしく回転していた。
(海洋都市の商会争いも限界が見えてきたわ。狙うべきは当然、この都市の絶対的権力者であるアキラ様との縁組……! たとえ何番目の妻だろうと、あの男の寵愛さえ掴めばマークス商会は世界の覇権を握れる。もしそれが無理でも、ここの男子生徒の中で一番伸び代のある『超優良物件』を青田買いして、私の手の上で飼い慣らして囲い込む……! 私の美貌と商才なら、絶対にこの都市の利権を手に入れられるわ!)
続いて前に出たのは、肩に力が入りまくった16歳の少女、メーベルだった。姿勢を正し、あごを突き出すようにして言い放つ。
「っほん! ランド商会の次女、メーベル・ランドよ。うちの商会は人を教育し、付加価値をつけて社会に送り出す『人材育成』のプロフェッショナルなの。だからまあ……あなたたちに異世界の常識ってものを、いろいろ教えてあげても良くってよ?」
ふんっと自信満々に胸を張るメーベル。そのマウントをとるような高飛車な態度に、佐野こずえをはじめとする日本の女子生徒たちは一瞬で眉をひそめた。
「なによあの子、初対面で上から目線じゃない?」
「ねえ……ちょっと調子に乗ってない?」
女子たちがじわじわと無言の冷ややかな視線と圧をかけると、メーベルの背筋がピクッと跳ねた。視線が交差した瞬間、メーベルの瞳が泳ぎ、一瞬で顔が引きつり始める。
「あ、いや! 別にバカにしてるわけじゃなくて! その、お互い教え合いましょうって意味で……!? ほら、ギブアンドテイク的な……ね!?」
(ひええっ、なになにこの女子たち!? 目が全然笑ってないんだけど!? 威厳を見せろって父に無理やりこんなところに放り込まれて、ハッタリかましただけなのに! なんで私ばっかりこんな命懸けの苦労をしなきゃいけないのよーーっ!)
強気な発言からのあまりの動揺ぶりに、日本の女子生徒たちは顔を見合わせ、呆れつつも「あ、この子見た目だけで扱いやすい奴だ」と一瞬で見抜いた。
三人目は、静けさを纏った身のこなしの15歳の少女、ノルト。トコトコと前に出ると、深く頭を下げた。
「ノルトと申します。……ええと、実家は小さな商会を営んでおります。慣れないことばかりですが、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
一見すると控えめで慎ましやかな挨拶。しかし、彼女の無駄のない洗練された動作、指先の揃え方、そして何より着ている服の質素に見せかけた織地と仕立ては、どこからどう見ても貴族のそれだった。
(完璧……! 完璧ですわ! これぞ完璧な『平民の商人子女ノルト』の演技ですわ! これで恐ろしい子爵家三女の立場からも、あのアブラムシのような豚伯爵との毛虫も身震いする政略結婚からも永遠に逃げ切れますわ! この安全で豊かで美味しい食べ物に満ちた交易都市で、私だけを愛してくれる誠実で素敵なお婿様を見つけて、平穏に暮らすのです……!)
自分の完璧な変装と演技に満足し、心の中でガッツポーズを決めるノルト。だが、アンネをはじめとする本物の商人子女たちは、一目でその正体を察していた。
(……絶対貴族でしょあの子。育ちの良さが隠せてなさすぎるわ)
(家出ね……事情はなんとなく察するけど、これで隠せてると思ってるのが逆に可愛らしいわね)
誰も突っ込まない。それが、腹に一物抱えた異世界の商人たちの静かなる優しさだった。
最後に出てきたのは、18歳の青年、ロノットだった。
「ホープ商会の長男、ロノットだ。我が商会は広大な穀物ルートを握っている。交易都市が誇るサツマイモや高品質な穀物の取引ルートを開拓するために来た。まあ、男として実務を仕切る立場だからな。色々と指導してやるよ」
自信満々に語るロノットだったが、その言葉に含まれたかすかな「男尊女卑」のニュアンスを、クラスの女子たちは見逃さなかった。
「ふーん……指導ねぇ」
こずえが冷ややかな視線を送る。男子のシンたちも「なんか鼻につく奴だな」と眉をひそめた。
昼休み。交易都市の学食となっているのは、脳梗塞後遺症から回復した松本さつきと娘のさなえが切り盛りする「おふくろの味」食堂だ。
「はいよ、今日の定食はサツマイモと豚肉の甘辛炒めに、お味噌汁、炊きたてのご飯だよ!」
湯気が立ち上る料理が運ばれてくると、留学生たちの目が丸くなった。
「これが噂の……! 塩加減も出汁の旨味も、海洋都市の高級料亭以上じゃない……!?」
アンネが目を見開いて舌鼓を打つ。
その時、食堂の入り口からアキラが入ってきた。その後ろには、特別聴講生として授業を受けつつも護衛を自負するサクラが、気配を消した静かな足取りでぴたりと従っている。
「おーい、さつきさん。午後の農作業用に、おにぎり追加で頼めるか?」
「はいよ、アキラさん!」
アキラの姿を見た瞬間、アンネの「目ざとり商人センサー」が限界突破で跳ね上がった。
(あの人が……この交易都市の主、アキラ様……! 50代とは思えない引き締まった体躯、醸し出される圧倒的な包容力と大人の色香……まさに超・超優良物件……!!)
アンネは瞬時に可憐な笑みを張り直し、計算し尽くされた角度でアキラの元へ歩み寄ろうとした。
「初めまして、アキラ様! 私、海洋都市から参りましたアンネと――」
「アキラさん、午後の行政会議の資料、こちらにまとめておきました」
すっと、凛とした立ち姿の志保が軽やかに歩み寄り、アキラとアンネの間に自然に割り込んだ。志保はアキラの隣を完璧にキープし、静かにアンネを見つめる。かつて車椅子に縛られていた陰りは消え去り、穏やかだが揺るぎない意志の宿る瞳には「これ以上近づくな」という無言の圧が漂っていた。
さらに、アキラのすぐ後ろに控えていたサクラも、腰の短刀の柄にそっと手を添えたまま一歩前に出た。古風な気品を漂わせ、鈴を転がすような声で呟く。
「アキラ様、本日の農園の見回り、私も同行いたしますね」
「おう、助かるよサクラ、志保」
アキラ本人は二人の打算なき深い情愛と完璧な防衛線にまったく気づいておらず、呑気に笑っている。
アンネは背筋に氷を突きつけられたような冷や汗が流れるのを感じ、引きつった笑顔のまま一歩引き下がった。
(……待って、やばい。あの落ち着いた大人の女性の絶対的なポジション取りと、あのポニーテールの少女の隙のない殺気……! アキラ様の本妻・側室ラインが強固すぎる……! これ以上踏み込んだら社会的に、あるいは物理的に消されるわ……!)
「あ、いえ! ご挨拶だけでございます! 失礼いたしましたー!」
アンネは引き際の美学を発揮し、サッと自分の席へ撤退した。
一方、ロノットは運ばれてきたサツマイモの甘辛炒めを口にし、そのあまりの美味さと素材の質の高さに絶句していた。
「な、なんだこれは……!? 繊維が信じられないほど柔らかく、甘みが強い……! これがサツマイモ……? 我が商会の仕入れる安物の芋とは根本的に違う……!」
「だろ?」
おにぎりを受け取ったアキラが、ロノットの皿を覗き込んで気さくに笑いかけた。
「土作りと品種改良、それに適切な貯蔵管理でデンプンを糖化させてるんだ。農業は科学だからな。根気さえあれば、お前さんの国でもいい芋が育つようになるぞ」
「の、農業が科学……? 土作り……!?」
自慢の穀物知識を完膚なきまでに打ち砕かれ、ロノットは絶句した。
目の前の「ただの農家に見える中年男」が持つ膨大な知見の深さに、背筋が寒くなる。自分の薄っぺらなプライドも、男尊女卑の慢心も、すべてが見当外れだったのだと突きつけられたようだった。
(俺の知っていた農業と、まるで違う……!?)
アキラたちが談笑しながら食堂を去っていく背中を、ロノットは箸を止めたまま、ただ呆然と見送ることしかできなかった。
だが――次の瞬間、商人の長男としての計算と執念が彼の頭を駆け巡った。
(……いや、待てよ? 農業の技術そのものは一朝一夕には奪えん。だが、この圧倒的な素材の味を引き出し、極上の料理に仕上げているのは……この食堂の料理人だ!)
ロノットはガタッと椅子を蹴って立ち上がると、厨房で忙しく立ち働く松本さつきとさなえの元へ素早く歩み寄った。
「おい、料理人の女たち!……いや、料理長殿!」
「あら? お代わりかい、お兄さん?」
さつきが笑顔で振り返ると、ロノットは身を乗り出し、真剣な眼差しで熱弁を振るい始めた。
「俺は海洋都市群・ホープ商会の長男ロノットだ。貴女方のその料理の腕前、完璧な出汁の引き方と火加減……我が商会の専属料理人として引き抜きたい! 給金は現在の三倍……いや、望むだけの額を出そう! 海洋都市の高級料亭の料理長としての地位も約束する!」
突如始まった大口の引き抜き工作に、食堂内が一瞬静まり返った。
しかし、さつきは驚く風もなく、困ったような笑顔でパタパタと手を振った。
「やだねぇお兄さん、ありがたい話だけど断るよ。あたしらはアキラさんや街のみんなに命を救ってもらったんだ。ここでみんなに温かいご飯を食べて喜んでもらうのが、一番の生きがいなんだから」
「なっ……!? 提示額が足りないというのか!? 料理人としての名声も、富も手に入るのだぞ!?」
食い下がるロノットに、今度は娘のさなえが「はいはい、邪魔邪魔ー」とお盆でロノットを軽く追い払いながら呆れ顔で言った。
「お兄さん、それ以上しつこいと『出禁』にするわよ? うちの母さんの料理が食べたいなら、ちゃんとこの街で生活してお金を払って食べに来なさいな」
「で、出禁……!?」
「それにね」
さなえはニヤッと不敵な笑みを浮かべ、厨房の奥を指さした。
「うちの食材、アキラさんの農場から毎日直送されてる最高の野菜や肉なの。うちを連れて行ったところで、アキラさんの食材がなきゃこの味は絶対に出せないわよ?」
「ぐっ……!!」
完璧すぎる論理的反撃に、ロノットはぐうの音も出ず言葉を詰まらせた。
一部始終を見ていた日本の女子生徒たち――こずえやクラスメイトたちが、クスクスと意地悪な笑みを浮かべる。
「あーあ、振られてやんの」
「商人ぶって威張ってたのに、さつきさんたちに一蹴されてやんのー」
「格好悪ーい」
女子たちの冷ややかな視線と笑い声が突き刺さり、ロノットの顔は見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
技術でも、料理人の引き抜きでも、そして自分のプライドでも何一つ勝てない――完敗だった。
(くっ……なんだこの都市は……! 男も女も、料理人までもが規格外すぎる……!!)
ロノットは逃げるように自分の席へ戻り、冷めかけたサツマイモの甘辛炒めを、悔し涙目になりながら口に押し込むのだった。




