第52話 閑話 聖女様(仮)の困惑と朝の祈り
朝の光が爽やかに降り注ぐ交易都市・第一区画。「職業安定相談所」の門前は、本日も派遣先へと出発する労働者たちの活気に満ちあふれていた。
綺麗に洗濯された服を身に纏い、帳簿や文房具を鞄に詰めた彼らの表情に、かつて奴隷として闇に怯えていた影は微塵もない。己の文字で名前を書き、計算を学び、自分の足で誇りを持って生きる希望に満ちあふれていた。
そこへ、日課である水濠での祈りを終えた修道服姿の少女――シスター・リゼが、幼い獣人の少女ミーナの手を引いてトコトコと通りかかった。
「皆様、おはようございます! 本日もお気をつけていってらっしゃいませ〜!」
リゼが花が咲くような柔らかい笑顔で手を振ると、荷物を抱えていた元・逃亡奴隷の青年たちが一斉に足を止め、バッと背筋を伸ばして深々と頭を下げた。
「「「おはようございます、リゼ様!!」」」
「……は、はい……? 『様』……!?」
思いもよらない重々しい敬称に向けられた瞬間、リゼの顔から笑顔が消え、一瞬で蒼白になった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいな! なぜ『様』なのですの!? 私は創世の女神様に身を捧げるただの見習いシスターですわ! そんな聖女様か高貴な貴族様に対するような呼び方はおやめくださいまし〜っ!」
両手をパタパタと振りながら大パニックを起こすリゼに、先頭にいた青年が感動に目を潤ませながら身を乗り出した。
「いいえ! 最初にあの恐ろしい魔の森で俺たちを抱きしめ、無条件の温かい手を差し伸べてくださったのはリゼ様です! リゼ様があの時あきらめずに助けてくださらなければ、俺たちは文字も知らず、地下で死んでいくはずでした……!」
「そうです! リゼ様のおかげでアキラ様やタマモ様と出会い、こうして人として自立して生きる道を開いていただいたのです! 俺たちにとって、リゼ様は救いのきっかけをくださった大恩人……いいえ、慈愛の聖女様です!」
「……俺たちのような者に対しても、これほどまでに謙虚でお優しい……!」
「ご自分の偉大な功績を一切誇らず、ただ無条件の愛を注いでくださる……。本物の聖女様だ……っ!」
一人が感極まってその場にガタリと膝をつくと、まるで波紋が広がるように、数十名の派遣労働者たちが一斉に石畳へ膝をつき、胸の前で強く手を組んで祈りの体勢に入ってしまった。
「「「リゼ様、本当にありがとうございます!!」」」
「おお、救いの聖女・リゼ様……! あなた様がくださったこの温かい手と、学ぶ機会を一生忘れません……!」
「ち、違います! 違いますわ〜っ! 私を拝んでも何も出てきませんし、ご利益もございませんのよ〜っ! 創世の女神様、どうか彼らをお赦しくださいまし〜っ!」
目の前に広がる「聖女降臨」のような神々しい光景に、リゼは完全にパニックを起こし、自らも石畳に膝をついて天を仰ぎ、泣きそうな顔で創世の女神へ祈りを捧げ始めるという謎の連鎖祈祷が始まってしまった。その横で、ミーナも「りぜさま、すごーい!」と一緒になって無邪気にぺたんと座り込み、可愛らしく手を合わせている。
「……おいおい、新手の新興宗教でも始まったのか?」
奉行所の二階テラスからその惨状を見下ろしていたアキラが、呆れ果てた顔でお茶を口にした。
隣で九本の白い尾をパタパタと揺らしていた管理AIのタマモが、いたずらっぽくにっこりと微笑む。
「ふふ、どれほどマスターが『教育と市場の仕組み(ハローワーク)』という完璧なロジックで彼らを救おうとも、人々の心が最初に捉えるのは『最初に手を差し伸べてくれた個人の温もり』にございます。リゼ様の無自覚な聖女属性は、もはや不可抗力ですね」
「まあ、リゼがどれだけ『違います!』って叫んでも、あいつらからすれば『あぁ、なんて奥ゆかしいお方だ……』ってさらに信仰が深まる悪循環だな」
アキラは頭を掻きながら苦笑し、手元の湯呑みを置いた。
「よし、そろそろ助けてやるか。このままだと海洋都市のマークスたちの船が出航できなくなっちまう」
作業着の袖を捲り上げたアキラは、テラスから一階の広場へと声を張り上げた。
「おーい! 祈りを捧げるのは結構だが、遅刻したら派遣先で一時間一分単位で遅刻控除されるぞ! 自分の足で立って稼ぐのが『本当の自由』なんだろ!」
アキラの一言に、膝をついていた労働者たちがハッと正気に戻った。
「し、しまっ……! ハローワークの勤怠ルール違反になってしまう!」
「リゼ様のお教えと自立支援の顔に泥を塗るわけにはいかん! 行くぞみんな!」
「「「はいっ!!」」」
労働者たちは素早く立ち上がると、最後にリゼへ向かって一礼し、颯爽と第一区画の外門へと駆け出していった。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思いましたわ……」
その場にペタンと座り込んだまま、ぐったりと肩を落とすリゼ。ミーナが「リゼさま、だいじょうぶ〜?」と心配そうに頭を撫でている。
アキラは階段を下りてくると、冷たいお茶の入ったボトルをリゼに差し出した。
「お疲れさん、リゼ『様』」
「アキラ様までからかわないでくださいましぁぁぁっ!」




