第42話 交易都市の影響~東方国諸島2
重苦しい静寂と格式が支配する宮中の大広間に、ひとつの奇跡が生んだざわめきが広がっていた。
死病に侵されていたはずのコノエ前公爵が、肌につやをたたえ、歩調も力強く参内を果たしたからである。その隣には、共に東方の危機を乗り越えた現公爵が堂々と佇んでいる。
「……コノエ前公爵、真に無事の快癒、何よりである」
玉座に鎮座する東方国の皇女ヒミコは、威厳を保ちつつも安堵の息を漏らした。だが、コノエ親子が恭しく献上したのは、単なる全快の報告だけではなかった。
「ハッ。大森林の『交易都市』にて大使を務めます娘、サクラより、ヒミコ様へ宛てた私信を預かってまいりました」
受け取った手紙を開き、目を通したヒミコの表情が、一瞬で凍りついた。
(……はい? 『太陽の女神様と月の女神様が降臨されており、現在は街の民と共に仲良く暮らしております』……?)
あまりに現実離れした記述に、ヒミコは思わず目を擦り、二度、三度と読み返した。文面から滲みでるのは、冗談や誇張ではない真実の響き。頭の中で理解がまったく追いつかず、耐えかねたヒミコの口から、心の声がそのまま大広間に響き渡った。
「か、神々が降臨して民と一緒に暮らしている……!?」
重厚な大広間に、皇女らしからぬ素の叫びが素っ頓狂にこだました。
「「「な、なんですとーっ!?」」」
その一言に、宮中は一瞬にして大混乱に陥った。大臣や貴族たちは互いに顔を見合わせ、声を限界まで張り上げて騒ぎ立てる。
「神々が降臨だと!? 太陽と月の女神様が!?」
「そのようなバカな! まさかコノエ家は幻覚でも見せられているのではあるまいな!?」
「落ち着かれよヒミコ様! たとえサクラ様の文であっても、惑わされてはなりませぬ!」
場が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる中、ヒミコは手紙の続きへと視線を落とした。だが、さらなる衝撃が彼女を襲う。サクラの筆致はますます熱を帯びていたのだ。
『――や立場を忘れ、この街を治める遠藤アキラ様への想いが、日に日に抑えきれなくなっております。私は、アキラ様の伴侶となり、生涯をお支えしたいのです』
「〜〜〜〜っ!?」
ヒミコの顔が、一気に耳まで真っ赤に染まった。
サクラの恋慕の情と、あまりにもストレートな「夫婦になりたい」という願望。普段は気高く淑やかなサクラが、ここまで熱烈に己の情念を記しているのだ。
(サ、サクラ……! 恋に恋する乙女のようなことを書いて……! というか、夫婦になりたいだなんて……! まさか、私より先に殿方を射止めるつもりなのですか……っ!?)
神々の降臨どころではない、まさかの先を越されかねない致命的な危機感と気恥ずかしさに、ヒミコは頭に血が上り、顔だけでなく首筋まで朱に染めてプルプルと震え出した。
しかし、その姿を見た大臣たちの目には、まったく別の意味として映っていた。
「お、ご覧くだされ……! ヒミコ様が怒りのあまり、顔を真っ赤にして震えていらっしゃるぞ……!」
「なんと恐ろしい激怒……! まさか手紙の中に、それほどまでに不敬で恐ろしい内容が書かれておったとは……!」
「サクラ様の繰り出す無礼な戯言に、ヒミコ様のお心が限界を超えてしまわれたのだ!」
乙女の焦りと恥じらいによる赤面を「国家を脅かす暴挙に対する怒髪天の激怒」と盛大に勘違いした重臣たちは、ここぞとばかりにコノエ親子へ怒号を浴びせかけた。
「コノエ前公爵! ヒミコ様をここまでお怒りさせるとは、正気の沙汰ではないぞ!」
「独断で未知の異国と国交を結び、サクラ様を人質同然に置いてきた挙句、ヒミコ様にこのような不敬を働くとは!」
「国家の威信を損ねる不敬、断じて容認できん! 今すぐ説明せよ!」
ヒミコは(ち、違うのです……! 激怒しているわけでは……いや、サクラには怒りもありますがそういう怒りでは……!)と必死に訂正しようとしたが、真っ赤な顔のまま言葉を詰まらせたため、かえって憤怒の度合いが増したようにしか見えない。公爵親子に詰め寄るように立ち上がり、玉座の肘掛けを固く握りしめた。
「コ、コノエ前公爵……っ! この手紙の内容は……! サクラはいったい向こうで何を企んで……いえ、何をしているのですか……!?」
動揺と焦燥を隠せない皇女の問い掛けに対し、当事者であるコノエ前公爵は、風にそよぐ柳のように涼しい顔で、髭を優しく撫でながら応じた。
「――サクラも恋する乙女にございますれば」
「「「な……っ!?」」」
あまりにも悠然とした、そして核心を突く返答に、宮中は再び絶句した。
ヒミコは「〜〜〜っ!?」とさらに顔を沸騰させ、大臣たちは「こ、この期に及んで何を戯言をーっ!?」と泡を吹かんばかりに怒り狂う。
怒号と大混乱が頂点に達する中、前公爵は大臣たちの追及を悠々と受け流すと、もっとも大声で糾弾していた大臣へとおもむろに視線を向けた。その口元には、うっすらとした不敵な笑みが浮かんでいる。
「――ほう。そういえば大臣。卿もかねてより『脚気』の痛みに苦しんでおられましたな?」
「な……なにを唐突に……! 今はそのような話をしているのではない!」
「いやなに、交易都市にて処方された食養生と、かの地の秘薬について思いだしましてな。私のこの通り元気な姿を見ても、まだかの街との交流が無益とお問い詰めなさるか?」
一瞬にして静まり返る宮中。公爵親子の圧倒的な余裕と、真実(全快の事実)を突きつけられた重臣たちへの反撃が、静かに、そして苛烈に始まろうとしていた。




