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第37話 交易都市の影響~エルフ国

東方国の前公爵コノエ・ヒロツグが患っていた原因不明の奇病が、大森林の「交易都市」がもたらした知識と医療技術によって僅か十数分で完治したという報せは、エルフ国全土の薬師や治癒師たちに激震を走らせていた。


長命種であり、自然の恵みと生薬、そして高位の回復魔法を熟知するエルフ族は、「病と薬学において大陸最高峰である」という絶対の自負を抱いていた。だからこそ、その高いプライドが邪魔をし、得体の知れない新興都市へ頭を下げて教えを乞うこともできず、薬師ギルドの幹部たちは苦々しい沈黙を保っていたのである。


そんな伝統と排他性が色濃く残るエルフ国の集落の片隅で、静かに苦しみに耐える兄妹がいた。

人族とエルフの血を引くハーフエルフの兄・トゥーンと、妹のシェニーである。


「混ざりモノ」として純血のエルフたちから激しい蔑視と迫害を受け、集落の最も劣悪な端の小屋で身を寄せ合って暮らしていた。日常的な罵倒や殴打に晒されながらも、二人は必死に薬草を採取し、お互いを支え合って健気に生きていた。


しかし、コノエ親子がエルフ国を訪れる少し前、決定的な悲劇が二人を襲った。


集落の里長の息子が、傷薬の実験と治癒魔法の練習と称し、妹のシェニーを力ずくで連れ去ったのだ。そして「どれほど治るか試す」という身勝手な理屈で、物置に転がっていた古く錆びついた鉄剣を振り下ろし、シェニーの腕に深い切り傷を負わせた。


当初はかすり傷程度に思われたその傷だったが、数日経つと異変が現れた。

創傷の周囲が赤く腫れ上がり、シェニーは激しい高熱を発してうなされ始めた。傷口からは濁った膿が溢れ出し、さらには顔面の筋肉が引きつり、まともに口を開けることすらできなくなっていったのだ。


トゥーンは泣きながら里長の息子と集落の治癒師に助けを求めた。しかし、加害者である里長の息子は「シェニーが勝手に廃材で怪我をしただけだ」と嘘をついて白を切った。集落のエルフたちはハーフエルフの兄妹の主張を冷酷に黙殺し、高位の治癒魔法を施すことすら拒んだのだ。


トゥーンは手持ちの薬草を必死に塗り、僅かな魔力で回復魔法を試みたが、シェニーの症状は悪化の一途をたどるばかり。魔法をかければかけるほど、なぜか発赤と高熱は強まり、シェニーの命の灯火は今にも消えかけようとしていた。


(このままじゃ……シェニーが死んでしまう……!)


万策尽き、絶望の淵に立たされたトゥーンの耳に、薬師ギルドでの噂が飛び込んできた。

エルフ国で誰一人として治せなかった東方の貴族の奇病を、交易都市の商人が一瞬で見抜いて治したという話だ。


トゥーンはうなされるシェニーを背中に背負い、冷たい視線が突き刺さる集落を飛び出すと、藁にもすがる思いで街道沿いの薬師ギルドへと走った。


◇


薬師ギルドの豪奢な応接スペースには、生体アンドロイド商人が穏やかな笑みをたたえて佇んでいた。エルフの薬師たちが遠巻きに牽制するような視線を送る中、ボロボロの服を着たハーフエルフのトゥーンが、シェニーを抱えて商人の足元へ崩れ落ちた。


「た、助けてください……! 妹が……シェニーが死にそうなんです! お願いです、どんな作業でもします! 僕の命を差し出してもいい……! シェニーを助けてください!!」


エルフの薬師たちが「無礼者め、不潔なハーフエルフがギルドに入るな」と追い払おうと手を伸ばした瞬間、商人は静かに手をかざしてそれを制した。


「当都市の基本理念は『困っている方に手を差し伸べる』ことにございます。遠慮はいりません」


商人は温かな眼差しで兄妹を見つめると、瞬時に瞳の奥で光学スキャンと精密な生体スキャニングを起動した。シェニーの皮膚組織、血流データ、異物反応、そして傷口の細菌反応がミリ秒単位で解析され、データベースと照合される。


【スキャン完了:創傷部位における嫌気性菌(破傷風菌)の増殖、および黄色ブドウ球菌による重度の二次感染を確認。破傷風毒素による局所的・全身的神経麻痺症状が発生中】


整った眉を痛ましそうに寄せ、冷静に診断結果を口にした。


「……なるほど。妹様の症状は、魔物による呪いでも魔法的な障害でもございません。原因は『錆びた鉄剣の付着物に含まれていた破傷風菌』、および『創傷からの細菌感染』にございます」


「ば、細菌……? はしょうふう……?」


トゥーンが呆然と呟き、周囲で聞き耳を立てていたエルフの薬師たちがざわめいた。


「な、なんだそのわけのわからぬ言葉は! 魔法の傷癒し(ヒール)が効かぬのは、傷に邪悪な魔気が宿っているからだぞ!」

「そうだ! 我らエルフの治癒魔法で治らぬ病や傷など、この世に存在するはずがない!」


息巻く高慢なエルフの治癒師たちに対し、一切の感情を乱さず、穏やかなトーンで完璧なロジックを提示した。


「一般的な回復魔法は、細胞の活性化を促進する原理となっております。しかし、体内に『増殖性の細菌や毒素』が存在する状態で細胞活性化のみを行えば、病原菌の増殖スピードをも劇的に加速させ、結果として炎症と毒素の拡散を悪化させることになります。魔法が効かないのではなく、順序が逆なのです」


「な……ッ!?」


商人の一言に、薬師ギルドの館内が静まり返った。

エルフたちが何千年も「奇病」や「不治の傷」として処理してきた現象の正体が、極めて合理的かつ科学的なメカニズムとして解き明かされたのだ。


「まず行うべきは、抗菌薬による病原菌の殺菌、および破傷風抗毒素による毒素の中和。そして傷口の適切なデブリードマン(清浄化)にございます。これを行わずに回復魔法を行使するのは、火に油を注ぐ行為と同義です」


試用品の救急キットから、無菌化された処置用器具と高濃度抗菌スプレー、そして医療用生薬を取り出した。


「トゥーン様、ご安心ください。当都市の医療技術を用いれば、シェニー様の命に別条はございません」


鮮やかな手際でシェニーの傷口が清浄化され、抗菌スプレーと試薬が投与されると、それまで高熱で苦しそうに呼吸を荒らげていたシェニーの表情が、見る見るうちに穏やかなものへと変わっていった。赤く腫れ上がっていた腕の炎症が急速に引き、開かなくなっていた顎の緊張がすーっと解けていく。


「あ……あ……トゥーンお兄ちゃん……?」


「う、あ……っ! 治った……! シェニーの傷が……熱が下がったぁぁっ!」


シェニーがうっすらと目を開けて兄の名を呼ぶと、トゥーンはシェニーを強く抱きしめ、床に涙をぽろぽろと零して号泣した。


その光景を前に、エルフの薬師や治癒師たちは完全に絶句していた。自分たちが「神聖な魔法」で治せなかった致死の傷を、交易都市の商人は魔法すら使わず、ただの知識と小さな薬瓶、そして「細菌」という未知の概念を理解しているだけで、完璧に治してみせたのだ。「自他ともに認める薬学の最高峰」というエルフたちのプライドが、音を立てて木っ端微塵に打ち砕かれた瞬間だった。


呆然と立ち尽くすエルフの薬師たちに向かって、穏やかに一礼した。


「当都市には、目に見えぬ小さな命――『微小生物(細菌・ウイルス)』に関する膨大な医学書と、完璧な衛生環境が整っております。もし皆様が過剰なプライドを捨て、対等な学びを望まれるのであれば……大森林の交易都市は、いつでも皆様を歓迎いたします」





応接スペースをあとにしようと踵を返した背中に、必死の声がかけられた。


「ま、待ってください……! 商人様!」


トゥーンが体を支えられたシェニーの手を握りしめ、真っ直ぐな瞳でアンドロイド商人を見つめていた。周囲のエルフたちが放つ冷ややかな蔑視は、もはや兄妹の耳には届いていなかった。


「僕たちを……僕たち兄妹を、どうかあなたの街へ連れていっていただけないでしょうか! 一緒に旅をさせてください!」


「……私どもの都市へ、でございますか?」


足を止め、静かに問い返す。トゥーンは深々と頭を下げ、言葉を紡いだ。


「僕たちには帰る家も、頼れる身内もありません。この国ではハーフエルフというだけで虐げられ、妹の命すらおもちゃのように弄ばれました……。ですが、あなた様は僕たちの種族も身分も気にせず、温かい手を差し伸べて命を救ってくださった!」


シェニーも兄の服の裾をキュッと握りしめ、まだ少し拙い声で懸命に言葉を重ねた。


「私も……お兄ちゃんと一緒に、商人様の街に行きたいです……。本当の薬のこと、命を救うお勉強がしたいです……!」


二人の切実な眼差しと志を受け止めた商人は、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。その眼底では、交易都市の管理AIタマモ、そしてアキラへの通信プロトコルが瞬時に処理されていた。


『マスター、およびタマモ様。現地にて不当な迫害を受けていたハーフエルフの兄妹(トゥーンおよびシェニー)より、当都市への移住および同行の強い希望を受信いたしました。保護および同行許可の判定を申請いたします』


わずか一秒未満のレスポンス。モニターの向こうから、アキラの「断る理由なんてないだろ。二人とも気をつけて連れてきてやってくれ」という温かい声と、タマモの「ゲストハウスと医療チェックの準備を整えますね」という快諾の通信が届く。


二人の前に跪くと、優しくその手を取った。


「歓迎いたします、トゥーン様、シェニー様。当都市『交易都市』は、種族や生い立ちによって人を差別することは一切ございません。志を持つ者には、等しく学びと安らぎの場が与えられます」


「あ……ありがとうございます……! ありがとうございます……!」


涙を拭い、晴れやかな笑顔を浮かべるトゥーンとシェニー。

呆然と見送るエルフの薬師たちを背に、兄妹はアンドロイド商人の手を取り、自分たちを縛り続けていた絶望の過去から、希望に満ちた未来へ向かって確かな第一歩を踏み出したのだった。


ハーフエルフの兄妹が救われ、交易都市へと旅立ったという出来事は、エルフ国の常識を揺るがす波紋となって、全土へ静かに広がっていくのだった。


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