第2話 保護された人々
翌朝。
「マスター、お食事の前に確認していただきたいことがございます」
俺が食堂に入ると、昨日までの無機質なシステムAI――いや、今では九本の白い尾を優雅に揺らす少女の姿をしたタマモが、端末を手に立っていた。
「保護いたしました地球人の皆様についての詳細データでございます」
「ああ、頼む」
昨日、突然この世界へと放り出され、ダンジョン内へ保護した乗客たち。改めて人数を確認すると、想像以上の規模だった。
「小学生が八名。男子五名、女子三名」
「中学生が十四名。男子八名、女子六名」
「高校生は二名。男子一名、女子一名」
「社会人が七名。男性三名、女性四名」
「買い物帰りの主婦が二名」
「中年男性が一名」
「高齢者が五名。男性一名、女性四名……合計四十三名でございます」
「四十三人か……。年齢層もバラバラだな」
「召喚地点の通過者を無差別に巻き込んだものと推測されます」
「迷惑極まりない話だな」
「同意いたします」
タマモが即座に答え、俺は思わず苦笑した。
「お前、だんだん人間らしくなってないか?」
「十年間、人間社会の管理を行ってまいりましたので」
そう言って胸を張るタマモだったが、すぐに表情を引き締め、端末の画面を壁面の大型ホログラムモニターへ転送した。
「もう一つ、極めて重要な問題がございます。健康状態です。睡眠中に生体スキャンを実施いたしました」
画面に並んだ数値と診断結果を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「虫歯患者が十八名。高血圧十一名、腰痛九名、関節疾患六名、糖尿病四名……それから……」
俺の視線が一箇所で止まる。
「癌……三名? それに脳梗塞の後遺症……?」
「左様でございます。癌患者は早期二名、進行性一名。脳梗塞の後遺症による重度の右半身麻痺と言語障害を抱える高齢女性が一名。さらに、下半身不随の女性も一名含まれております」
昨日までの混乱の中では窺い知れなかった、各人が背負う過酷な現実。
「……治せるのか?」
俺の問いに、タマモは一切の躊躇なく答えた。
「可能です。第18階層から第19階層に構築された『医療都市』の設備を行使いたします。ナノマシン医療、魔法再生技術、細胞再構築および神経再生技術を用いれば、癌細胞の完全消滅、損傷した器官や神経回路の復元まで完璧に執り行えます」
「十年前の俺が言った『病気を治せる世界にする』という大風呂敷を、本当にしてくれたんだな……」
胸の奥に温かいものが込み上げると同時に、不思議な感慨が広がる。
「よし……全員、治療してやってくれ。ただし、押し付けにならんよう、一人ひとりに丁寧な説明と同意を得てからだ」
「承知いたしました。マスターらしいご判断です」
転移陣を抜け、第18階層『医療都市』へと降り立った乗客たちは、その光景に圧倒されていた。
白亜の美しい建造物群、空間を静かに巡る医療スフィア、エルフの医師や獣人の看護師、そして精工な医療ゴーレムたち。
最初に行われたのは全学生の集中歯科検診と無痛治療だった。逃亡を図ろうとした男子中学生たちが医療ゴーレムに即座に確保されるという微笑ましい一幕もあったが、魔法再生医療により数分で虫歯は完治した。
続いて、長年高血圧や慢性腰痛、糖尿病に悩まされていた大人たちの治療が行われた。損傷した細胞や器官が復元され、身体の重苦しさから解放された人々からは歓喜の涙が零れ落ちる。
そして、物語は重篤な病を抱える者たちの治療へと進んだ。
診察室には、進行性の癌を抱える五十代の男性と、その妻が佇んでいた。
「本当に……治るんですか……? 地球ではもう手遅れだと……」
震える男性の声に、医療AIとアキラが静かに言葉を重ねる。
「俺も最初は信じられなかった。だが、ここの設備とAIの実力は本物だ。試してみる価値はある」
約15分の治療プロセス。淡い光の層が男性を包み込み、モニター上で黒く変質していた病巣が光の粒子となって消滅していく。併せて破壊されていた組織も綺麗に再生された。
「痛くない……身体が軽い……!」
腫瘍マーカー、画像診断ともに異常なし。完全なる寛解。泣き崩れる妻を抱きしめる男性の姿に、診察室は温かい感動に包まれた。
次に治療室へ入ったのは、脳梗塞の後遺症で右手足の麻痺と言語障害を患っていた高齢女性と、その娘だった。
「10分で……母の麻痺が……?」
信じられないといった様子の娘に、タマモとアキラが寄り添う。ナノマシンと魔法医療の融合により、壊死していた脳内の神経回路が黄金色の光の網目となって急速に再接続されていく。
治療を終え、起き上がった女性が自分の意思で指を曲げ伸ばし、しっかりと床に足をつける。
「手が……動くわ……足にも、力が入るの……」
「お母さん……っ!」
途切れることのない通る声で喋る母に、娘は泣き叫びながら抱きついた。長年奪われていた尊厳と会話が、確かにその手へと戻ってきた。
最後に残ったのは、車椅子の女性――佐藤志保だった。
小学生の頃、同級生に階段から突き落とされて脊髄を損傷し、下半身不随となった彼女。事故として処理され、加害者たちが何食わぬ顔で生きる理不尽な世界の中で、彼女の心は色褪せていた。
「治るのが……怖いんです。歩けるようになっても……失った十年以上は戻らないから……」
俯く志保に対し、タマモは目線を合わせて静かに語りかけた。
「十年間は消えません。歩けるようになっても、あなたが耐え抜き、積み重ねてきた経験はあなたの中に残ります。過去を否定する必要はありません。これから先の時間を、増やしていけば良いのです」
治療ベッドを包む柔らかい光。切断されていた脊髄の神経が一本ずつ繋がり、萎縮していた筋肉組織が本来のしなやかさを取り戻していく。
「……立ってみましょう」
医師の促しを受け、志保は足を床につけた。十年ぶりに実感する、大地を踏みしめる感触。一歩、二歩。震える足で確かに歩みを進めた瞬間、志保の目から大きな涙が溢れ出した。
「私……歩いてる……!」
絶望の淵から救われた人々が、それぞれの足で新たな未来へと踏み出したのだった。
その日の夕方。第1階層の広場には、苦痛から解放され晴れやかな表情を浮かべる四十三人の姿があった。
「マスター」「……なんだ?」
タマモが空中に新たなホログラム映像を映し出す。そこには、遠く離れた王都へ移送される高校生たちの姿、そして地下の召喚陣に刻まれた異質な紋章が映し出されていた。
「地球人の保護および治療は完了いたしました。しかし……今回の召喚は決して偶然ではございません。過去にも複数回の召喚記録が存在しますが、帰還者はゼロでございます」
一瞬にして空気が緊迫する。
「この世界が勇者を召喚する本当の理由――それは、魔王の存在にございます」
赤く怪しく明滅する召喚陣の紋章。平穏を取り戻したはずのダンジョンワールドに、密やかな波乱の影が差し始めていた。




