第26話 最強の人盾 信仰と襲撃
聖堂教会の本拠地――大聖堂の地下深くに位置する暗部詰所には、重苦しい静寂と張り詰めた殺気が満ちていた。
「……標的は大森林の『交易都市』だ」
燭台の低い光に照らされた円卓で、黒装束を纏った暗部隊長が冷酷な声で宣した。
しかさきさきさかかさかさしさささしさみかみくみか
「あの街は教義に背き、邪悪なる魔族と手を組み、我が教会の威信を著しく損ねている。大司教様のご意向だ。警告として市街の一部を破壊し、交易路を途絶させよ」
隊長の周囲に集う7名の精鋭工作員たちが、無言で深く頷く。
「ただし、噂にある大森林の防衛機構には警戒を要する。街道上で『十人以上の武装集団』で接近すると、武器や防具の重量が劇的に増す呪いが発動するとのことだ」
隊員の一人が鼻で笑った。
「真偽のほどは不明ですが、万全を期すならば我らの隊は『八名』。途中で連絡員の者を合流させても計九名。十人未満を徹底すれば、その奇妙な仕掛けとやらも意味をなしませんな」
「油断は禁物だ。我が隊の装備は教会内でも最高峰の品々。認識阻害の腕輪、属性付与の名剣、筋力増強の靴と手袋、さらには必殺の麻痺毒が塗られた投擲刃……。これらを失うわけにはいかん。行くぞ」
先行する商人が街道に一切いないことを入念に確認した上で、黒い影たちは足音もなく大森林の樹海へと滑り込んでいった。
それから少し遡る刻限。
大森林へと伸びる平穏な街道を、一人の少女がトコトコと歩いていた。
修道服の裾を軽やかに揺らしながら進む彼女の名は、リゼ。
孤児院を出てシスター見習いとなったばかりの、純粋で敬虔な創世の女神の信徒である。
「『寸鉄も帯びず、無一文で旅をすれば、創世の女神様が常に寄り添い守ってくださる』……はい、教典の通りです!」
彼女の目的は、大森林に突如として現れ、魔族と取引を行っているという不敬な要塞都市の存在を確かめ、その誤りを優しく諭すことであった。武器どころか金貨一枚すら持たず、ただ固いパンと信仰心だけを胸に抱いて歩みを進めていたのである。
やがて樹木が途切れ、広大な開けた土地へと出た瞬間、リゼは息を呑んだ。
「綺麗……!」
眼前に広がるのは、見上げるほど高く美しい石垣。日本の伝統美である「武者返し」のしなやかな曲線を描く城壁と、その周囲をぐるりと囲む澄み切った水濠。東西南北の門には神聖な乙女の像が掲げられ、優しい光を放っていた。
長旅の疲れを癒やすように、リゼは水濠のほとりにある柔らかな草地にちょこんと腰を下ろした。
「こんなに美しい街が、本当に悪の拠点なのでしょうか……?」
うっとりと城郭を見上げる彼女の背後――少し離れた大森林の深部から、不意に**「グシャッ」**というカエルが潰れたような、あるいは情けない悲鳴のような奇妙な濁声が風に乗って聞こえてきた。
「ん……? 今、何か聴こえたような……?」
リゼは不思議そうに振り向いたが、視界に入るのは風にそよぐ美しい緑の木々ばかりであった。
「気のせいですね。女神様が護ってくださっているのですから!」
彼女は可憐に微笑むと、再び城壁の美しさに目を奪われるのだった。
――その数分前。大森林の草むらの中。
気配を完璧に殺し、完璧なタイミングで交易都市へと接近していた暗部隊長は、市壁が見える位置まで到達し、口元に冷ややかな笑みを浮かべていた。
(ふっ、やはり『十人ルール』などという呪いはただの噂か。我が隊は厳格に八名。さらに後ろから追いついてきた連絡員を加えても計九名――)
その時だった。
『――ピンポンパンポン』
樹海に突如、呑気なチャイムの音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
驚愕する暗部たちの足元が、一斉に怪しく鮮やかな赤色に点滅し始めたのだ。
「赤く光っている……!? バカな、我らは九名のはずだぞ!」
「た、隊長! 前方、水濠の脇をご覧ください! 修道服の女が一人、座り込んでおります!」
「な……ッ!?」
隊長は目を剥いた。
自分たち暗部「八名」。
追いついてきた連絡員「一名」。
そして、偶然にも半径三百メートル以内に先回りして佇んでいたシスター「一名」。
合計――ちょうど「十名」。
「しまっ――引け! 範囲外へ退避せよ!」
隊長が怒号を飛ばした瞬間、カウントダウンの三十秒が無情にも経過した。
『――条件達成。永続重力デバフ、512倍を展開します』
無機質なシステム音声が頭上に響いた直後、天地がひっくり返るような絶大な質量が暗部たちを襲った。
「ぐはっ……!?」
「重っ……!? 剣が……鎧がぁぁぁっ!?」
認識阻害の腕輪、付与のついた名剣、最高級の鋼鉄甲冑――彼らが誇りにしていた最新鋭の極上装備が一瞬にして軽自動車一台分を超絶する激重の塊へと変貌したのだ。
ズズン! と柄まで地面の石畳に突き刺さる剣。
着ていた鎧の超重量によって、己の体重で膝と股関節が激しく損壊する暗部たち。
「ギャアアアッ! ぎっくり腰がぁぁぁっ!」
「腕がっ! 肩が脱臼したぁぁぁっ!」
「たすけ……重い……息が……っ!」
史上初の「512倍重力デバフ」の直撃を受けた暗部九名は、襲撃の意図を示す間もなく、自らの装備の重みに押しつぶされて悶絶し、地べたへ這いつくばるハメとなったのである。
(なお、一鉄も帯びず、木綿の布服一枚で座っていたリゼには、1の512倍――すなわち何も変化がなく、ただ『風が吹いたかな?』程度であった)。
「……で、外で悲鳴が聞こえたから回収してみたら、全員重装備のコソ泥だったと?」
交易都市の執務室。
ホログラムモニターに映し出された哀れな暗部たちの姿を見て、アキラは呆れ顔でお茶をすすっていた。
「はい、マスター」
九本の白い尾をパタパタと揺らしながら、管理AIのタマモが報告を続ける。
「重力デバフによって自滅し、全身の骨折、脱臼、激しい急性腰痛(ぎっくり腰)を発症しておりましたので、擬人アンドロイドの回収班にて速やかに保護・収容いたしました。ナノマシン医療により、治療はわずか八分で完了しております」
「そりゃ重遠からず助けてやったのは良いことだが……あいつらの着てた物物しい装備はどうした?」
アキラが尋ねると、タマモはニシシと悪戯っぽく微笑んだ。
「マスターのご指示通り、当都市への襲撃未遂に対する『迷惑料』および『不法侵入の過料』として、持っていた武器・防具・装飾品はすべて没収いたしました。ただちに第81階層のリサイクルプラントへ投入され、高純度の鉄および希少金属へと分解・再資源化されております」
「何に化けたんだ?」
「第一区画に新たに敷設する『全自動高効率配水管』および、魔王国へ輸出予定の『超耐久型軽量クワ・カマセット』五十組へと生まれ変わりました」
「よし、無駄がなくて素晴らしい」
アキラが深く頷いている頃――診察室のベッドで目を覚ました暗部隊長たちは、己の体に一切の痛みがなく、骨折も完璧に完治していることに戦慄していた。
「な……傷が治っている……!? どんな凄腕の回復魔法だ……!?」
だが、次の瞬間。彼らは己の姿を見て血の気が引いた。
「「「………………」」」
身に着けていた最高級の鎧も、誇り高き属性剣も、認識阻害の腕輪も、何一つ残っていない。
全員、無機質な清潔すぎるインナーウェア一丁に剥ぎ取られていたのだ。
そこへ、無機質な医療ゴーレムがすっと立ち塞がり、扉を指さした。
「治療プロセス完了。当都市への害意は無効化されました。お出口はあちらです。なお、没収された武具は持続可能な資材として全量リサイクルされました。ご協力ありがとうございました」
「り、リサイクルぅぅぅっ!?」
教会の全財産に等しい最高級装備をあっさりと「配水管とクワ」に変換された事実を知る由もない暗部たちだったが、圧倒的な技術力の差と容赦ない処置に心の折れた彼らは、インナー姿のまま二度と大森林へ近づかないことを誓い、ほうほうの体で逃げ去っていくのだった。
一方。
何事もなく交易都市の門をくぐり抜けたシスター・リゼは、第一区画の市場に足を踏み入れた瞬間、その場に突っ立ったまま固まっていた。
「な……なに……ここ……!?」
彼女が思い描いていた「異端者どもの不衛生で禍々しい巣窟」は、そこには存在しなかった。
ゴミ一つ落ちていない美しい石畳。通り沿いに配備された透明な自動浄化水路からは、清らかな水が涼しげな音を立てて流れている。道行く人々――人族も、獣人も、エルフも、魔族までもが、とびきり清潔な服を纏い、晴れやかな笑顔で言葉を交わしていた。
「お風呂のいい匂いがする……? トイレットペーパーという紙が……使い放題……!?」
あまりのカルチャーショックにクラクラとしていると、広場の中心にある特設の屋台(お立ち台)から、一際賑やかな声が響き渡った。
「はーい! 今日も交易都市は平和だねーっ! 極上のお酒が美味いよーっ!」
「太陽の女神様、飲み過ぎですよ! もう三樽目です!」
「かまうものかー! アキラの淹れてくれたお茶もいいけど、やっぱり日本酒最高ーっ!」
黄金の後光を背負い、酒樽を片手に豪快に笑っている美しい女性――お祭り大好きな「太陽の女神アマテラス」の姿が、リゼの視界に跳び込んできた。
本物の神々しい神威と、あまりにも自由すぎる呑んべえな挙動。
「あ……あ……神様……? でも、お酒を樽で呑んでいらっしゃる……? 創世の女神様の教えと……全っ然違う……!?」
呆然と立ち尽くすリゼの傍らを、買い食いを楽しんでいた志保と幼い少女たちが通りかかる。
「志保お姉ちゃん! あのかき氷、すごく美味しいよ!」
「ふふ、良かったね。……あら?」
立ち止まった志保は、着慣れない修道服を着て口を大きく開けたまま固まっている少女に気づき、温かい笑みを向けた。
「そちらのシスターさんも、旅でお疲れですか? もし良かったら、冷たいかき氷でも一口いかがですか?」
「へ……? あ、あの……私に……ですか……?」
見知らぬ街の優しい人々、不殺と圧倒的な科学技術、そして太陽の女神の自由すぎる笑顔。
(私……私、何かとてつもなく壮大な勘違いをしてここへ来たのでしょうか……!?)




