第19話 閑話 異世界のリアル
第1階層に設けられた広場の一角は、朝から異様な熱気に包まれていた。
「おい見たかよ! 執務室の方でタマモさんが凄そうなアンドロイド作ってたぞ!」
「マジで!? あの精巧な人造人間を使って、外の異世界都市と取引しに行くんだろ!?」
「やっば……! リアル異世界交易じゃん! 露店で珍しい魔導具とか買えるのかな!?」
集まっていた小中高生たちの目が、一斉にギラギラと輝き出していた。
虫歯の一括無痛治療(精神的トラウマ付き)や、エルフ講師による魔法実技講義(気合だけで出ず全滅)など、数々の現実を突きつけられてきた彼らだったが、若さゆえの適応力と「異世界へのロマン」は未だ潰えていなかった。
「なぁおっさん! いやアキラさん!」
中心になって騒いでいた男子高校生が、広場を通りかかったアキラを見つけるやいなや駆け寄ってきた。
「俺たちも外の街に連れてってくれよ! アンドロイドの護衛でもいいし、荷物持ちでもやるからさ!」
「そうだそうだ! 異世界に来てからずっとこのダンジョンの中だけなんて退屈すぎるって!」
「私、異世界の服とか可愛い雑貨が見てみたい!」
女子生徒たちまで加わり、口々に「連れて行け」とアキラに詰め寄る。
自分たちがラノベやアニメの主人公のように、異世界の活気ある市場を練り歩き、珍しいアイテムを手に入れたり、困っているお店の人を助けたりする――そんな甘い幻想で頭がいっぱいになっているのは明らかだった。
アキラは困り顔で後頭部を掻き、深くため息をついた。
「お前たちなぁ……外の世界を何か勘違いしてないか?」
「勘違いって何だよ! 異世界といえば賑やかな市場と露店だろ!?」
「はぁ……」
アキラが手持ち無沙汰に視線を送ると、いつの間にか傍らに立っていたタマモが、九本の白い尻尾を優雅に揺らしながらにっこりと微笑んだ。
「皆様の旺盛な好奇心は大変素晴らしく存じます。ですが……マスターのお許しをいただきましたので、偵察ドローンが持ち帰った『外の一般的な都市のリアルな映像』を皆様にも共有いたしますね」
タマモが和服の袖から小さな端末を取り出し、空中にホログラムモニターを鮮やかに投影した。
輝くホログラムを前に、「おおっ!」「ついに外の街が見られる!」と身を乗り出す生徒たち。
しかし――画面に映し出された景色を目にした瞬間、生徒たちの歓声がピタリと止まった。
「……え?」
画面に映っていたのは、中世欧州を思わせる石造りの街並み……ではあった。
だが、路上は泥と水溜まりでドロドロにぬかるみ、至るところにゴミや動物の糞尿が打ち捨てられている。
『――バッシャーン!』
モニターの中で、二階の窓から勢いよく路上へ向かって「何か」が投げ捨てられた。茶色く濁った液体が石畳に飛び散り、異臭に集まったハエの群れがブワッと舞い上がる。
「「「………………」」」
生徒たちの顔から、スーッと血の気が引いていく。
「な、なに今の……? 上から投げたの……なに……?」
「あ……外部環境分析データを展開いたしますね」
タマモが親切にもホログラムの隅に詳細なデータを表示させた。画面には真っ赤な警告文字が躍る。
【大気中異臭レベル:極めて高濃度】
【路上病原菌検出率:危険域】
【主な汚染源:未処理の家畜・人類の排泄物、放置された生活ゴミ】
タマモは可愛らしく首を傾げながら、追撃のように補足説明を始めた。
「外の都市では『皮膚の毛穴を開くと病気や呪いが侵入する』という迷信が深く根付いておりますため、人々は滅多に入浴や沐浴を行いません。当然、シャワーやお風呂といった設備も存在いたしません」
「「え…………」」
「さらに、各家庭にトイレや上下水道という概念はほぼ存在せず、排泄物は桶に溜めて窓から路上へ投げ捨てるのが一般的でございます。もちろん、トイレットペーパーのような衛生用品も一切ございません。用を足した後は、その辺の葉っぱや藁で拭くのが主流となっております」
「……葉っぱ?」
男子生徒の一人が、掠れた声で呟いた。
「葉っぱで……拭くの……? トイレットペーパー……ないの……?」
「風呂もないの……? お店の人、何ヶ月もお風呂入ってないの……?」
女子生徒たちが自分の腕を抱きしめ、引きつった顔で後退りし始める。
「ちなみに、川の水は上流の排泄物や生活排水が混ざっておりますので、そのまま飲むと重度の腹痛や疫病を発症する確率が極めて高くなっております」
追い打ちをかけるタマモの無慈悲な事実無根ならぬ事実提示。
「む、無理無理無理無理無理!!!」
女子生徒の一人が悲鳴を上げた。
「お風呂入れないとか絶対無理! 路上に排泄物落ちてるとか正気じゃないって!! 匂いヤバそうじゃん!!」
「異世界……嘘だろ……? アニメで見てた市場と全然違うじゃん……!」
「トイレペーパーない世界なんて聞いてないよぉっ!!」
一瞬で夢とロマンが粉々に砕け散り、パニックに陥る生徒たち。
その横で、リハビリの手伝いを終えて通りかかった志保が、クスッと温かい笑みを漏らした。
「ふふ、ダンジョンの中がどれだけ清潔で恵まれているか、よく分かったでしょう?」
「志保さん……! ここ、天国だよ……! 温水シャワー出るしトイレットペーパー柔らかいもん……!」
泣き崩れそうになる女子生徒たちを、志保は優しく慰める。
アキラは腕を組み、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら生徒たちを見下ろした。
「どうする? 行きたいなら止めはしないぞ。ただし、外の街に入るなら『路上を踏むための長靴着用』と『現地の水・食物は一切口にしない』、帰ってきたら『全身の徹底殺菌消毒』が義務になるが……行くか?」
アキラの問いかけに、生徒たちは一秒の躊躇もなく、完璧なシンクロ率で叫んだ。
「「「絶対行きません!!!!」」」
「ダンジョン最高! 水洗トイレ万歳!」
「俺、おとなしく学校行って教科書読みます!!」
「魔法の勉強がんばりますから外には出さないでください!!」
前言を全撤回した生徒たちは、まるで追手から逃げるかのように一目散にクモの子を散らすように学校施設へと逃げ帰っていった。
遠ざかっていく子供たちの背中を見送りながら、アキラは「まったく、現金なやつらだな」と可笑しそうに鼻を鳴らした。
「ですが、これで余計な混乱は避けられそうですね、マスター」
タマモが九本の尾を誇らしげにゆらりと揺らす。
「そうだな。……まあ、あいつらの反応を見る限り、やっぱり俺たちがこれから作る『水際対策と検疫を備えた徹底的に清潔な交易都市』は、外の世界にとっても絶対に大きな意味を持つはずだ」
「はい。不衛生な異世界の常識を打ち破る、完璧で快適な交易拠点を作り上げましょう」
「よし、アンドロイドの最終チェックと噂作戦の準備にかかるか」
「畏まりました、マスター」
こうして、地球人学生たちの「異世界市場進出の夢」は脆くも潰れ、アキラたちの手による安全で清潔な新たな交易プロジェクトが、本格的に始動していくのだった。
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