第11話 学校と職業訓練
教室の空気は重かった。
精神的な意味で、酷く重かった。
「……うう……まさか異世界に来てまで、あの歯医者の雰囲気を味わうことになるなんて……」
「再生魔法で一瞬で治るって言ってたのに、なんであんなに怖かったんだ……」
昨日の歯科治療によって精神をガッツリ削られた学生たちは、机に突っ伏したままピクリとも動かない。健康な歯を取り戻したはずなのに、その表情は一様に打ちひしがれていた。
この世界の歯科治療は、魔法を用いた最新の「再生医療技術」だ。削ったり抜いたりする激痛はなく、光を当てて歯をあっという間に再生させる画期的なもの……のはずだった。
だが問題は、治療を担当した歯科医だった。
『おお……! これが元の世界の食生活で育まれた、久しぶりの“治療しがいのある虫歯”ですか……! すばらしい、実に見事な症例だ!』
ダンジョンワールドの清浄な環境ではめったにお目にかかれない「本格的な虫歯」を前に、歯科医の専門家魂が暴走。目をギラギラと輝かせ、怪しい笑みを浮かべながら魔法陣を構築し始めたのだ。
『安心してください! 徹底的に観察しつつ、完璧に再生させてあげますからねぇ! ほうら、痛くないでしょう? でも逃がしませんよ……!』
痛みは一切なかったものの、マッドサイエンティストのような熱量で口の中を覗き込まれ続けたトラウマは、子供たちの心に深く刻み込まれてしまったのだった。
そんな傷心を抱えたまま集まったのは、ダンジョンワールド内に設けられた臨時の学習施設だ。
この世界は日本産のゲームをベースとしているため、標準言語は日本語であり、社会的な常識も日本のそれに準拠している。そのため、当然のように「学校」が開校されたわけだが――。
「えっ……義務教育に準拠したカリキュラムもあるんですか……?」
事前説明でその事実を知らされた瞬間、学生たちの目からスッと精気が抜け落ちたのは記憶に新しい。歯医者の恐怖から逃れたと思ったら、今度は学習指導要領の影に怯えることになったのだ。
授業はまず、異世界の常識や歴史から始まった。
種族ごとに生活習慣も言語も異なるため、テキストに記載されているのはあくまで全種族共通の最低限の知識のみだ。続く「剣術・体術」の講義にしても、魔物を倒すための戦闘術ではない。
「いいですか、みなさん。この授業はあくまで対人の自衛目的です。そもそも、魔物が出没するような危険地帯に非戦闘員がいること自体、本来は想定されていませんからね」
講師の淡々とした説明に、生徒たちは生返事を返す。
だが、そんなどんよりとした空気が一変する時間がやってきた。
――「魔法関連」の授業である。
リアル日本には存在しなかった、完全なる未知の学問体系。
「さっきの歯医者の魔法は怖かったけど、自分たちで使えたら絶対カッコいいよね!」
歯医者のトラウマを上書きするかのように、学生たちは一斉に目を輝かせ、鼻息を荒くして身を乗り出した。
「先生! 座学とか歴史はいいんで、とりあえず魔法の使い方を教えてください!」
「そうです! 火を出したり風を吹かせたりしたいです!」
熱望する生徒たちの勢いに押されたのは、講師を務めるエルフだった。
本来なら理論から入る予定だったエルフの講師は、困ったように苦笑しながらも、彼らの情熱に根負けして実技から始めることにした。
「……ふむ、まあいいでしょう。では、まずは体内の魔力を意識して、指先に集めてみてください」
意気揚々と指先に意識を集中させる学生たち。
静寂が教室を包み込む。誰もが己の中に眠る特別な力を信じ、真剣な眼差しで空を睨みつけた。
――5分経過。
――10分経過。
「……出ない。」
「何も起きないね……。」
当然である。何の基礎知識も理論もない未知の技術が、気合だけで行使できるはずもない。
静かな全滅(轟沈)を経て、教室には深い沈黙が訪れた。
「……はい。では、静かに教科書の1ページ目を開いてくださいね」
エルフの講師の優しい声が響く中、学生たちはすっかり大人しくなり、お行儀よく座学のノートを開くのだった。
◆
一方、小中高生たちが学校で苦戦している頃。
一足先に大人たちの「職業訓練」が始まっていた。
元の日本へ帰れないという理不尽な現実に、誰もが心を痛め、悩まなかったわけではない。しかし、いつまでも立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「日本でやっていた仕事の経験を、ここでどう活かせるかだな」
「健康体になったおかげで、昔あきらめた体力仕事も手伝えるかもしれない」
大人たちは集まり、前向きに話し合いを重ねていた。
「こんな状況だからこそ、子供たちにみっともない大人の姿を見せたくない」
特にまとめ役となっている高齢者たちには、ただ守られ、一方的に施しを受けることを良しとしない昭和的な強い倫理観があった。
「タマモさん、お時間をいただき申し訳ない」
大人たちの代表として立った高齢の男性は、まとめ役であるタマモに向き合い、事前に話し合った要望と決意をしっかりと伝えた。
「私たちは、ただのお荷物になるつもりはありません。学校で学ぶ子供たちの手本となれるよう、しっかりと働いて自立したいのです。どうぞ、私たちにできる訓練と仕事を割り振ってください」
ただ守られるだけの避難民ではなく、共にこの世界で生きていく構成員としての申し出。
タマモは大人たちの真摯な眼差しを受け止め、深く頷くのだった。




