第10話 最後の十階層
翌朝、俺とタマモは第91階層へ向かうべく転移魔法陣の上に立っていた。
「本当にここから先は、俺の知らない場所なんだな?」
「はい。第90階層まではマスターの基本設計を土台に拡張・発展させてまいりましたが、第91階層以降は完全に私たちの判断によって構築された領域となります」
タマモが口にした「私たち」という言葉に僅かな引っかかりを覚えつつも、転移が始まると視界は眩い白光に包まれた。
光が収まった視界に飛び込んできたのは、重厚な建築物が整然と並ぶ巨大な都市だった。だが第41階層の都市とは異なり、建物の壁面や街頭の至るところに無数の文字や映像が流れる情報端末が設置されている。
「第91階層は『記録都市』にございます。当ダンジョンが誕生してから現在に至るまでのあらゆる出来事や歴史を保存しております」
吸い寄せられるように端末の一つへ近づき画面を覗き込むと、そこには『マスター、ログアウト』という十年前の記録が刻まれていた。俺にとっては日常の合間にゲームを終えただけに過ぎなかったあの日。しかしこの世界では、その日から途切れることのない十年の時が続いていたのだ。
「……次へ進もう」
胸の奥に滲む切なさを振り払うように先を促した。
続いて訪れた第92階層は、生物・魔物・植物・人工生命を多角的に研究する巨大研究施設領域だった。昨日会議室で目にした既存のどの分類にも属さない新種族も、ここで生まれた命だという。自らが創った世界の中で、己の知らぬ新たな生命が芽吹いている事実に絶句した。
第93階層は魔法と科学が高度に融合した魔導工学領域。魔力を動力源とする機械や演算魔法陣、魔導炉が稼働し、人工知能と魔法生命体の共同研究が進められていた。
第94階層の『空間研究区』では、巨大な装置によって空間そのものが折り曲げられ、外部世界との境界線や次元構造が解析されていた。
第95階層の『神殿都市』では、住民たちが建てた美しい神殿群が佇んでいた。太陽の女神や月の女神といったNPCをはじめ、住民の信仰や概念によって生まれた神々がアバターを介して自由に暮らし、この世界に息づいている。
さらに深層の第96階層では「肉体と意識・記憶・魂の相関」という生命の本質が探求され、第97階層の『創造研究区』では未完成の新たなる生命の可能性が育まれていた。
そして第98階層の『管理中枢』。膨大な光のラインが束ねられダンジョン全体を制御するシステム施設だったが、タマモは「ここはあくまで管理システムであり、ダンジョンコアではありません」と告げ、静かに第99階層への転移陣を起動した。
辿り着いた第99階層は、建物も壁も存在しない果てしない白銀の空間だった。
「ここは第100階層へ進むための最後の準備区域――マスターをお迎えするための場所です」
重々しい雰囲気を纏う巨大な扉の前で立ち止まる。扉にはこう刻まれていた。
『管理者認証』
「タマモ、これって……」
「第100階層の管理権限は私にはございません。ですが、マスターをご案内いたします」
タマモと共に重厚な扉を開け、第100階層へと踏み込んだ。
そこには都市も施設も魔物もなく、ただ空間の中央に直径十メートルほどの漆黒の球体が静かに浮かび、ゆっくりと回転していた。
俺が球体に近づき、そっと手を触れた瞬間――。
『SYSTEM INITIALIZATION』
『MASTER AUTHENTICATION REQUIRED』
十前に設定した英語のシステムメッセージが浮かび上がり、一瞬にして第1階層から第100階層までの全領域――百万人を超える命、農地、都市、海、研究施設、そして十年の歴史のすべてが俺の意識へと流れ込んできた。
『MASTER : PRIMARY CREATOR』
『FINAL ADMINISTRATOR』
『DUNGEON CORE : INCOMPLETE』
「未完成……? 今までこの世界を動かしていたのは……」
「私達です。十年間、マスターが戻られるまでこの世界を維持してまいりました。この球体はダンジョンコアそのものではなく、マスターの意思を接続するための器に過ぎません」
タマモは優しく、だが力強く語りかけた。
「このダンジョンにとって、マスターはコアより上位の存在――この世界を生み出した最初の管理者なのです」
その直後、黒い球体の奥底から深遠な声が響き渡った。
『――認証完了』
黒い球体が眩い光を放ち、タマモが晴れやかな微笑みを向ける。
「これより、ダンジョンワールドの第二段階を開始いたします。第一段階はマスター不在の中でこの世界を完成させること。文字通り第二段階は――マスターと、この世界が共に生きることです」
頭上に広がる第100階層の未知の空を、俺は静かに見上げた。
十年ぶりに戻ってきたこの世界は、もう単なるゲームの箱庭でも、俺が一方的に作っただけの領域でもなかった。俺と、俺を待ち続けてくれた命たちが共に紡いでいく本物の世界の始まりだった。
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