第6話 旅の調合師のお仕事
エトレ村へ到着する前に、フィリエンヌは地図にも名前が載っていない小さな集落へ立ち寄った。
立ち寄った理由は、水を補給するためだった。
井戸があった。
家が十数軒。
畑と、小さな家畜小屋。
店らしい店はない。
「水を分けてもらえますか?」
畑仕事をしていた女性に尋ねると、快く井戸を使わせてもらえた。
フィリエンヌが水桶を運び、シュネリュがその周りを歩いていると、近くの家から慌ただしく男が出てきた。
「まだ熱が下がらないのか?」
「駄目。薬を飲ませてもすぐ戻るの」
フィリエンヌの手が止まった。
病気の話には、薬の話がついてくる。
薬の話には興味がある。
「熱があるんですか?」
突然話しかけられ、二人が振り返った。
「あ……旅の方?」
「調合師です」
フィリエンヌは組合の登録証を見せた。
女性は迷ったようだったが、やがて家の中へ案内してくれた。
寝台には七、八歳ほどの男の子が寝ていた。
頬が赤い。額には汗。呼吸も少し速い。
三日前から熱が続いているという。
集落に常駐する薬師はいない。近くの村で買っておいた解熱薬を飲ませているが、薬が効いている間だけ少し下がり、また熱が上がるらしい。
「森へ行きましたか?」
「五日前に。父親と一緒に薪拾いへ」
「何か食べました?」
「え?」
父親が考える。
「木の実を少し。俺も食べたが何ともないぞ」
「どんな木の実ですか?」
「赤くて、小さいやつだ。この辺じゃよく見る」
フィリエンヌは男の子の寝台脇へ座った。
「少し調べますね」
手をかざす。
「走査」
意識を集中させる。
呼吸器――異常は軽微。
喉――強い炎症なし。
感染性反応――低い。
胃腸――軽度の炎症。
肝機能――負荷あり。
血中――微量の異物反応。
フィリエンヌの表情から、普段のぼんやりした雰囲気が消えた。
「飲ませている薬を見せてもらえますか?」
母親が小瓶を持ってきた。
一般的な解熱薬だった。品質にも問題はない。
「この薬は、いったんやめましょう」
「え?」
「熱だけを下げても、原因が残っています」
フィリエンヌはもう一度走査した。
子供の身体は毒素に反応している。その反応の一つが発熱だった。
毒性は強くない。
成人男性ならほとんど症状が出ない程度。
だから父親は平気だった。
しかし身体の小さな子供には負担が大きい。
「たぶん木の実です。毒というほど強いものではありませんが、この子には量が多かったんだと思います」
「治るんですか?」
「はい」
フィリエンヌは迷わなかった。
「薬を作ります」
馬車へ戻る。
シュネリュもついてくる。
調合台に材料を並べた。
必要なのは毒素の排出を助け、胃腸への負担を抑えるもの。子供なので刺激の強い薬草は使えない。
乾燥させた水葉草。
少量の青月草。
胃を保護する蜜樹皮。
そこへ別の薬草を加えようとして、フィリエンヌの手が止まる。
「これは強すぎますね」
戻す。
代わりに別の瓶を取った。
調合鍋へ材料を入れる。
水を加える。
指先を向ける。
ぽっ。
小さな火が灯った。
強くない。
鍋を一気に沸騰させることもできない。
ただ、同じ熱を与え続ける。
フィリエンヌは薬液の色と香りを確認しながら、少しずつ材料を加えた。
こうしている時だけは、他のことが全く目に入らない。
シュネリュも邪魔をしない。
調合台の下で丸くなり、静かに待っていた。
二時間後。
薬が完成した。
男の子のところへ戻り、体重を確認して量を決める。
成人用を薄めただけではない。
今の身体状態に合わせて調整する。
「一度に全部飲ませないでください。まずこれだけです」
母親へ小さな匙を渡す。
「苦い?」
「少し」
「この子、苦い薬は嫌がるの」
「では、蜂蜜をほんの少し混ぜても大丈夫です。ただし入れすぎないでください」
男の子が薄く目を開けた。
「……にがいの?」
「少しです」
「いやだ」
「そうですか」
フィリエンヌは考えた。
「治ったら甘いものを食べられます」
「……ほんと?」
「今は食べない方がいいです」
「……飲む」
交渉は成立した。
フィリエンヌはその日は集落に留まることにした。
数時間ごとに走査して状態を確認する。
夜には熱が少し下がった。
ただし解熱薬で無理に下げた時とは違い、再び急上昇する様子がない。
翌朝。
男の子は寝台の上で粥を食べていた。
「お腹すいた」
母親が泣きながら笑った。
フィリエンヌは走査する。
異物反応はかなり減っている。
肝臓への負担も改善。
もう危険はない。
「大丈夫です。薬は今日まで。明日からは必要ありません」
「本当にありがとう」
母親が硬貨を差し出した。
フィリエンヌは受け取り、オルテンシアの価格表を確認する。
そして何枚か返した。
「こんなにいりません」
「でも、一晩ずっと診てくれたじゃない」
「薬の値段はこれです」
「診てもらった分は?」
「走査しただけです」
「それにもお金はかかるんじゃないのか?」
「……そうなんですか?」
父親と母親が顔を見合わせた。
フィリエンヌも少し考えた。
「師匠はどうしていたんでしょう」
答えを知る者はいなかった。
結局、家族がどうしてもと言うので、食料を少し分けてもらうことになった。
焼いたパンと卵。それからシュネリュ用に干し肉。
シュネリュは大変満足そうだった。
出発するとき、男の子が家の前まで出てきた。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
フィリエンヌは御者台から手を振った。
「木の実は知らないものを食べないでくださいね」
「うん!」
馬車が動き始める。
シュネリュも窓から尻尾を振った。
フィリエンヌはしばらく集落を見ていたが、やがて車内へ戻った。
机の上には昨日使った薬草が残っている。
それを片づけ、調合記録を書く。
症状。体重。使用した材料。量。煮出した時間。投薬後の変化。
お金の記録はしないのに、調合記録だけは驚くほど細かかった。
フィリエンヌは最後まで書き終えると、帳面を閉じた。
「次はエトレ村ですね」
「キュ」
穏やかな午後だった。
街道には人影も少ない。
春の日差しの中を、古い魔法馬車がゆっくり進んでいく。
翌朝。
フィリエンヌは車内で昨日の薬瓶を整理していた。
シュネリュは御者台で丸くなっている。
突然、その耳が立った。
「キュ!」
フィリエンヌが顔を上げた。
「どうしました?」
シュネリュは返事をせず、街道の先を見ている。
尻尾の毛が膨らんでいた。
フィリエンヌは窓から外を見た。
街道から少し外れた草地に、何かがある。
荷物ではない。
人だった。




