第23話 ここにいる間だけ
「……俺は客商売などしたことはなかったんだが」
「ありがとうございました。レオナールは商人もできそうですね」
「なるつもりはない」
「万能魔導師は商人にもなれるんですね」
「ならないと言っている」
フィリエンヌは気にした様子もなく、窓口に貼ってあった販売メモを外した。そのままレオナールのところまで来る。
「はい。お願いします」
「何だ?」
「帳簿です」
「なぜ俺が?」
「昨日もつけてくれたじゃないですか」
「昨日は客が多かったし、初めてのやり方だったからだ」
「いいじゃないですか。しばらくいるのでしょう?」
「お前の店だ。管理はお前がするべきだ」
「私が間違えたら、確認するレオナールの手間が増えるだけですよ」
「間違えるな」
「お願いしますぅ」
「駄目だ」
「……本当に駄目ですか?」
「駄目だ」
「……本当に?」
「…………」
「レオナール」
「……ここにいる間だけだぞ」
「ありがとうございます」
フィリエンヌはすぐに販売メモを差し出した。最初から渡すつもりだったらしい。
レオナールはため息をつきながら受け取り、販売メモを確認して在庫帳と収支帳をつけていく。その間にフィリエンヌは窓口の周りを片づけ始めた。
帳簿をつけ終えるころには店じまいも終わっていた。
「終わったぞ」
「ありがとうございます」
「明日からは――」
「レオナールがお願いします」
「……ここにいる間だけだ」
「はい」
本当に分かっているのか怪しい返事だった。
夕食はレオナールが作った。肉と野菜を煮込み、味をつける前にシュネリュの分を取り分けてから、自分たちの分に味をつける。
三人で食事を済ませ、食器を片づけた。今日は誰も宿の話をしなかった。
フィリエンヌは調合台へ向かった。
「今日作らないといけない薬は何ですか?」
「咳止めがそろそろなくなりそうだ」
「これから夏風邪が流行るかもしれませんね」
「夏にも風邪が流行るのか?」
「流行りますよ。冬の風邪より長引くこともあります」
「なら、解熱薬も少し多めに作っておいた方がいいんじゃないか?」
「そうですね」
フィリエンヌは材料を確認してから、空の瓶を数えた。
「傷薬も作っておきたいですけど……薬壺が少ないですね」
「瓶は?」
「咳止めを作ったら、ほとんど残りません」
「どっちも足りないのか」
「はい」
「なら今日は咳止めだけにしておけ」
「そうします。傷薬と解熱薬は、瓶と薬壺を買ってきてから作ります」
「そうだな」
「明日、買いに行ってくれますか?」
「…………」
「レオナール?」
「明日必要なものを今のうちに全部書いておけ」
「はい」
フィリエンヌは紙を一枚取り出し、必要な瓶と薬壺の種類と数を書いていく。他にも足りなくなりそうなものを確認し、いくつか書き加えた。
買い物リストを作り終えると、フィリエンヌは咳止めの調合を始めた。材料を量り、順番に合わせていく。調合を始めれば、やはり周りのことなど全く意識にない。
レオナールは邪魔をせず、先ほどつけた在庫帳をもう一度確認した。
咳止めが出来上がると、レオナールが出来た数を在庫帳へ書き加える。これで今日の仕事は終わりだった。
フィリエンヌが桶へ水を入れ、布を用意した。
「レオナール」
「ああ」
それだけで分かった。レオナールは椅子ごと向きを変え、フィリエンヌへ背を向ける。
衣擦れの音と、水を絞る音が背後から聞こえた。
「終わりました」
今度はレオナールが清拭を済ませる。
もう宿へ帰る必要はない。今夜ここで寝ることについて、何か理由を考える必要もない。
そう思った途端、わずかに肩の力が抜けた。
レオナールは眉を寄せる。
――俺は今、ほっとしたのか?
それ以上は考えなかった。
清拭を終えると、フィリエンヌは寝巻へ着替えて寝台へ入った。
「おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
シュネリュも自分の寝床で丸くなっている。しばらくすると、フィリエンヌの寝息が聞こえ始めた。
レオナールは昼間に買っておいた小さな酒瓶を取り出した。杯へ少しだけ注ぎ、馬車の灯りを落として椅子へ腰を下ろす。
一口飲んだ。
静かだった。
朝には宿を解約した。宿屋の主人には、一週間借りて一泊もしない客は初めてだと言われた。高い荷物置き場だったな、とまで笑われた。
「…………」
レオナールはもう一口飲んだ。
反論できない。
宿を出て馬車へ戻れば、フィリエンヌが「おかえりなさい」と言った。
たったそれだけの言葉だった。別に珍しい言葉でもない。宿へ戻れば、似たような言葉をかけられることもある。
それなのに、妙に耳に残っている。
そのあとには店番をさせられた。一度だけではない。精油を瓶へ移しているから。片づけているから。棚へ運んでいるから。
理由をつけては窓口を任され、気づけば普通に薬を渡し、代金を受け取り、販売メモへ印までつけていた。
閉店すれば、商人もできそうだと言われた。
商人になるつもりなどない。それなのに今度は帳簿まで任された。
明日は瓶などを買いに行くらしい。
「……宿代わりのはずなんだがな」
誰に聞かせるでもなく呟き、酒を口へ運ぶ。
フィリエンヌと出会ってから、まだ十日ほどしか経っていない。
最初に会ったときは、こんな生活になるなど考えもしなかった。
解毒をしてもらって、馬車に乗った。
それから何だかんだと店を手伝うようになり、販売メモや帳簿のやり方まで考えた。寝台も作った。
そこまで考えて、レオナールは杯を止める。
店を手伝うのは成り行きだったとしても、寝台は違う。誰かに頼まれたわけでもない。
「…………」
酒を飲む。
それからは毎朝、朝食を作っている。今ではシュネリュの分まで味をつける前に取り分けるようになった。
店を手伝い、在庫を確認し、とうとう帳簿までつけることになった。そして明日は買い物だ。
一週間前には一度「馬車を出る」と言って宿まで取った。だが、その宿には結局、一度も泊まらなかった。
「高い荷物置き場、か」
今度は声に出した。
やはり否定できない。
レオナールは杯に残った酒をゆっくり飲む。
向こうの寝台ではフィリエンヌが眠っている。シュネリュも起きる気配はない。
今夜は、ここにいる理由を考えなくていい。
先ほどそう思ったとき、確かにほっとした。気のせいではなかったのだろう。
次の町へ行く日は決めていない。フィリエンヌがいつこの町を出るのかも知らない。
少なくとも、明日ではない。明後日でもないだろう。
「これからしばらくは、ここにいるんだな」
残っていた酒を飲み干した。
杯と酒瓶を片づけ、灯りを消す。レオナールも自分で作った寝台へ入った。
朝になって、レオナールはいつもの時間に目を覚ました。身体を起こすと、シュネリュも寝床から顔を上げる。
「起きたか」
「キュ」
「飯にするぞ」
調理台へ向かうと、シュネリュもついてきた。
朝食を作りながら、シュネリュの分を味つけ前に取り分ける。料理が出来上がるころ、寝台の方から物音がした。
「おはようございます」
「おはよう」
「いい匂いです」
「もうできる。座れ」
「はい」
三人で朝食を食べ始めた。
フィリエンヌがパンを食べながら顔を上げる。
「そういえば、レオナールはいつ頃この町を出るんですか?」
「まだ決めていない」
「そうなんですか」
「お前は?」
「私ですか?」
「いつまでここにいるつもりだ」
「まだ決めていません」
「……お前もか」
「はい」
二人とも決めていなかった。
レオナールは食事を続けながら、昨日までの店の様子を思い返した。
「それなら、定休日を作れ」
「定休日?」
「毎日店を開けるつもりか?」
「そのつもりでした」
「やめろ」
「なぜですか?」
「買い出しはいつする。時間のかかる調合もあるだろう。薬草を買いに行ったり、採りに行ったりする日も必要だ。馬車の掃除や整備もある」
「なるほど」
「それに体を休める日も必要だ」
「薬草を買いに行く時間は必要ですね」
「……そこか」
「大切ですよ?」
「……七日に一度休め」
「七日に一度ですか?」
「ああ」
フィリエンヌは少し考えてから頷いた。
「分かりました」
「最初は四日後にするか。それなら客にも知らせる時間がある」
「はい」
朝食を終えると、レオナールは紙を一枚用意した。
『四日後は定休日です。以後、七日に一度休業します』
書いた紙を見て、フィリエンヌが横から覗き込む。
「そこまでしないと駄目ですか?」
「また客に『昨日休んでいたな』と言われたいのか?」
「……お願いします」
レオナールは告知を窓口の外から見える場所へ貼った。
昨日の夜に作った買い物リストを確認し、新しい販売メモも窓口のそばへ貼る。
準備は整った。
フィリエンヌが窓口へ手をかける。窓口を開けると、初夏の朝の空気が馬車の中へ入ってきた。
「今日も一日頑張りましょう!」
「ああ」




