↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弱火の魔女は、今日も馬車で旅をする ~万能魔法使いと始める、二人と一匹の移動工房~  作者: 風流


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/28

第20話 何か話してください

「そろそろ帰るか」


 レオナールの声に、フィリエンヌは月香草(げっこうそう)の群生から目を離した。


「はい」


 採取した花を入れた籠を確認する。

 どの籠にも柔らかな布が敷かれ、その上に月香草(げっこうそう)が重ならないよう並べられている。蓋を閉じれば、持ち帰る準備は終わりだった。

 レオナールが指先を動かした。

 重ねた籠がふわりと浮きかける。


「待ってください」

「何だ?」

「籠は私が持ちます」

「行きと同じように運べばいいだろう」

「駄目です。浮かせると揺れるかもしれません」

「その程度で傷むのか?」

「可能性があります」

「……分かった」


 レオナールは魔法を解いた。

 薬草のことについてフィリエンヌがこういう顔をしたときは、何を言っても譲らないことが分かってきた。

 フィリエンヌは籠を重ね、両手で持ち上げた。


「シュネリュ。帰りますよ」


 返事がない。


「シュネリュ?」


 少し離れた草の上に、クリーム色の小さな身体が丸くなっていた。

 フィリエンヌが籠を抱えたまま近づく。


「寝ています」

「寝ている?」

「はい」


 レオナールもそばへ行った。

 シュネリュは目を閉じ、尾を身体へ巻きつけている。近くまで来ても耳さえ動かない。


「ずいぶん深く寝ているな」

「案内してくれて疲れたんでしょうか」

「さっきまで歩いていただろう」

「たくさん歩きましたから」

「俺たちも同じくらい歩いたぞ」

「シュネリュは小さいです」

「……そういうものか?」

「たぶん」


 フィリエンヌはシュネリュを見た。それから自分が抱えている籠を見る。

 レオナールも同じものを見た。


「……どうするんだ」

「何がです?」

「こいつだ」

「レオナールがお願いします」

「俺が?」

「私は籠を持っていますから」

「……そうなるか」


 レオナールは眠っているシュネリュの前へしゃがんだ。

 以前、頭へ手を伸ばしたときは避けられた。

 そっと手を伸ばす。

 今度は逃げなかった。

 身体の下へ手を入れ、ゆっくり抱き上げる。

 柔らかな毛が手のひらへ触れた。

 思っていたより軽い。

 毛の奥には確かな温かさがある。

 シュネリュは少し身じろぎしたが、目を覚まさなかった。

 腕の中へ収まると、そのまま力を抜いている。


「起きませんね」

「……ああ」

「やっぱり疲れたんでしょうか」

「そうかもしれないな」


 レオナールは腕の中を見た。

 シュネリュは眠っている。

 だから触れただけだ。

 分かっている。

 それでも、初めて知った感触だった。


「行きましょう」

「ああ」


 フィリエンヌは月香草(げっこうそう)の入った籠を慎重に抱え、歩き始めた。

 レオナールもシュネリュを抱いたまま、そのあとを追う。

 林を抜け、馬車へ戻るまでシュネリュが起きることはなかった。


 馬車へ入ると、レオナールはシュネリュをいつものクッションへ寝かせた。

 身体を離しても起きない。

 シュネリュは少しだけ丸くなり、そのまま眠り続けた。


「本当によく寝ているな」

「疲れたんですね」


 フィリエンヌはすでに籠の方を見ていた。

 蓋を一つ開ける。


 甘い香りが広がった。


「……」


 二つ目を開ける。

 三つ目も開ける。

 籠の中にこもっていた月香草(げっこうそう)の香りが、一気に馬車の中へ満ちていった。


「いい香りです」

「……そうだな」


 レオナールは答えた。

 林で嗅いでいたときより、ずっと濃い。

 フィリエンヌは花の状態を一つずつ確認している。


「傷んでいません」

「それはよかったな」

「浮かせなくて正解でした」

「分かったから、早く出るぞ」

「はい」


 籠の蓋は開けたままにした。密閉して香りがこもれば花が傷むと、師匠の備忘録に書かれている。

 フィリエンヌは御者台へ向かった。

 レオナールも地図を持って隣へ座る。

 馬車がゆっくり動き出した。


「最初の分かれ道は右だ」

「はい」


 夜道を進む。

 来たときより周囲は暗い。

 灯を御者台の脇へ吊るし、レオナールは地図と道を見比べた。


「次は左」

「はい」


 フィリエンヌが左へ曲がる。

 今度は間違えなかった。


「ちゃんと左へ行きましたよ」

「当たり前のことで得意そうにするな」

「行きは間違えたので」

「自覚はあったのか」

「ありましたよ」

「ならいい」


 しばらく進む。

 馬車が小さく揺れる。

 レオナールは一度瞬きをした。

 妙に瞼が重い。

 夜だからだろう。

 昼間に寝ていないのもある。

 フィリエンヌは昼寝をしていたが、自分は起きていた。

 当然、眠くもなる。


「次を右だ」

「はい」


 また沈黙する。

 馬車の車輪が土を踏む音だけが続いた。

 レオナールはもう一度瞬きをした。

 少し長かった。


「フィリエンヌ」

「はい?」

「さっき採っていた夜露苔(よつゆごけ)は何に使う」

「調剤の補助です」

「それは聞いた。どういう薬に使うんだ」

「いろいろ使えますよ。薬効を安定させたり、ほかの薬草同士の馴染みをよくしたりします」

「そうか」

「はい」


 会話が終わった。

 また車輪の音だけになる。

 レオナールは前を見る。

 眠い。


「質がいいと言っていたな」

「夜露苔(よつゆごけ)ですか?」

「ああ」

「夜露を多く含んでいましたから。色もよかったです」

「色?」

「はい。良質なものは少し青みが強くなります」

「俺には同じに見えた」

「違いますよ」

「そうか」

「はい」


 また終わった。

 レオナールは地図を見る。

 文字が少しぼやけた気がして、目を細める。


「レオナール」

「何だ」

「次はどちらです?」

「………右だ」

「分かりました」


 危なかった。

 道案内をしなければならない。

 ここで寝るわけにはいかない。


「フィリエンヌ」

「はい?」

「師匠とはどのくらい一緒にいた」

「急ですね」

「いいから答えろ」

「小さい頃からです」

「何歳までだ」

「旅に出るまでです」

「そうか」


 また会話が終わった。


「……」

「……」


「フィリエンヌ」

「はい?」

「好きな食べ物は」

「食べられるものなら何でも」

「知っている」

「では、どうして聞いたんです?」

「……確認だ」

「そうですか」


 フィリエンヌが少しだけ首を傾げた。


「今日はよく質問しますね」

「そうか?」

「はい」

「気のせいだ」

「そうでしょうか」

「前を見ろ」

「見ています」


 しばらく進む。

 街道まではまだ少しある。

 沈黙。

 瞼が重くなる。

 レオナールは腕を組み直した。


「フィリエンヌ」

「はい」

「何か話せ」

「何をです?」

「何でもいい」

「急に言われてもありません」

「何かあるだろう」

「……薬草の話なら」

「それでいい」

「どの薬草です?」

「何でもいい」

「難しいですね」

「なぜだ」

「たくさんありますから」

「じゃあ、町に来る前に採っていた銀葉草(ぎんようそう)はどうだ」

「銀葉草(ぎんようそう)ですか?」

「ああ」


 フィリエンヌは少し考えた。


「傷薬に使います」

「あのよく売れているやつか」

「はい。傷が膿むのを防ぐ働きがあります」

「質が違うと効き目も変わるのか?」

「変わりますよ。状態のいい銀葉草(ぎんようそう)ほど、その働きも強くなります」

「それで、あのときあれだけ採っていたのか」

「質がよかったので」

「知っている」


 フィリエンヌはそのまま銀葉草(ぎんようそう)の話を続けた。採る時期による違い。乾燥させるときの注意。傷薬へ使う場合の処理。

 聞けば聞くほど話が出てくる。


「……詳しいな」

「薬草なので」

「そうだったな」


 また少し沈黙する。

 レオナールの瞼が落ちかけた。


「フィリエンヌ」

「はい?」

「続けろ」

「まだですか?」

「まだだ」

「では、保存するときは――」


 フィリエンヌは再び話し始めた。

 落ち着いた声だった。一定の調子で続く。


「フィリエンヌ」

「はい?」

「もう少し大きな声で話せ」

「どうしてです?」

「聞こえにくい」

「隣にいますよ」

「……いいから」

「はい」


 少しだけ声が大きくなった。

 眠気は消えなかった。


 それでも、話している間はまだ意識を保てる。レオナールはときどき質問を挟み、フィリエンヌは聞かれたことに答えた。

 やがて街道へ出た。

 ここまで来れば道は分かる。

 町の灯りが見えたとき、レオナールは小さく息を吐いた。


「着きましたね」

「ああ」

「眠いんですか?」

「少しな」

「昼寝をしなかったからですね」

「……たぶんそうだ」


 それ以外に思い当たる理由はなかった。


 馬車をいつもの場所へ戻す。

 レオナールは中へ入ると、シュネリュを見た。

 まだクッションで眠っている。


「まだ寝ているのか」

「よほど疲れたんですね」


 フィリエンヌはそう言うと、すぐに籠へ向かった。

 レオナールは何か言おうとしたが、欠伸が出そうになって口を閉じる。


「俺は寝る」

「はい。おやすみなさい」

「……ああ」


 寝台へ向かう。

 外套を脱いで掛ける。

 横になると、身体が一気に重くなった。

 宿へ戻るという考えは浮かばなかった。

 目を閉じる。

 そのまま、レオナールの意識は落ちた。


 フィリエンヌは籠の中から月香草(げっこうそう)を一輪ずつ取り出した。

 新しい布を広げ、花同士が重ならないように並べていく。傷んだものがないか確認し、採取したときと香りが変わっていないかも確かめる。

 一つ目の籠が空になる。続いて二つ目、三つ目。

 馬車の中には月香草(げっこうそう)の甘い香りが満ちていた。

 フィリエンヌは黙々と作業を続ける。

 レオナールが寝ていることも、シュネリュがまだ起きないことも、もう意識にはなかった。今、フィリエンヌの頭にあるのは、採ってきた月香草(げっこうそう)のことだけだった。

 すべての花を並べ終え、もう一度状態を確認する。

 このまま一日、自然乾燥させる。それが終われば次の処理へ進める。


「これで大丈夫ですね」


 ようやくフィリエンヌの意識が月香草(げっこうそう)から離れた。

 そこで自分の服に土がついていることに気づく。林の中を歩き、何度もしゃがんで採取したのだから当然だった。

 桶に水を汲み、布を濡らして固く絞る。身体を拭き、着替えを済ませる。

 今日はレオナールに向こうを向いてもらう必要もなかった。

 フィリエンヌは桶を片づけ、自分の寝台へ行った。

 腰掛けたところで、隣の寝台を見る。

 レオナールは眠っていた。

 珍しい。

 いつもならフィリエンヌが寝る頃にもまだ起きている。帳面を確認していたり、翌日の準備をしていたりする。

 そういえば、身体を拭いている間も、水を使っている間も起きなかった。

 フィリエンヌは少しだけレオナールの顔を見た。

 何かがいつもと違う。

 しばらく見て、気づいた。


「……眉間に皺がありません」


 起きているときは、よく皺が寄っている。

 眠っている今はない。だからいつもより顔が穏やかに見えるらしい。


「寝るとなくなるんですね」


 フィリエンヌは納得して、今度は二つの寝台の間を見た。

 シュネリュもクッションの上で眠ったままだった。


「……まだ寝ています」


 林で眠ってから、一度もまともに起きていない。

 レオナールも珍しく早く寝た。

 そしてフィリエンヌ自身も、少し眠かった。昼間に寝たはずなのに、先ほどから瞼が重い。


「……何か変ですね」


 フィリエンヌは首を傾げた。

 レオナール。

 シュネリュ。

 自分。

 三人とも眠い。

 何が同じだったのだろう。

 少し考えてから、フィリエンヌは作業を終えたばかりの月香草(げっこうそう)へ視線を向けた。

 布の上に並んだ花から、甘い香りが漂っている。


「……そういえば」


 師匠の備忘録に書いてあった。

 月香草(げっこうそう)には鎮静作用がある。


「もしかして……これでしょうか」


 シュネリュは群生地で眠った。

 レオナールは帰り道から眠そうだった。

 自分にも少し眠気がある。

 今回採った月香草(げっこうそう)は、香りの強くなる時期に採ったものだ。それも、かなり状態がいい。


「……」


 フィリエンヌは考えた。

 確かめてみたい。

 花のままでは香りの強さを揃えにくいが、精油なら量を調整できる。


「精油にしたら……」


 隣で眠っているレオナールを見る。


「レオナールで試せますね」


 今回採ったものの中でも、特に状態のいい花から取れた精油を少し残しておけばいい。試すなら、品質のいいものの方がいい。

 一滴くらいならどうだろう。枕へ垂らせば、香りも分かりやすい。


「……」


 欠伸が出た。

 フィリエンヌは口元を押さえる。

 まだ考えたいことはあったが、頭が少しぼんやりしてきた。


「……あとは明日考えましょう」


 寝台へ入る。

 ほどなくして、フィリエンヌも眠った。

 馬車の中には、月香草(げっこうそう)の香りだけが静かに残っていた。


 翌朝。

 レオナールは目を開けた。

 よく眠った気がする。

 身体を起こし、しばらくぼんやりする。

 昨夜は町へ戻って、そのまま寝た。

 ずいぶん疲れていたらしい。

 隣を見ると、フィリエンヌはまだ眠っている。

 二つの寝台の間では、シュネリュが起きていた。


「キュ」


 目が合った。

 昨夜のことを思い出す。

 林から馬車まで、腕に抱いて運んだ。

 柔らかかった。

 レオナールは少し考えてから、シュネリュへ手を伸ばした。

 シュネリュが一歩離れた。


「…………」

「キュ」


 レオナールは伸ばした手をしばらくそのままにしていたが、やがて引っ込めた。


「さて、朝食を作るか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。