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弱火の魔女は、今日も馬車で旅をする ~万能魔法使いと始める、二人と一匹の移動工房~  作者: 風流


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第18話 夜に香る薬草

 休み明けの店は、朝から客が途切れなかった。


 昨日一日を薬の補充に使った甲斐もあり、棚には傷薬も咳止めも十分に並んでいる。

 フィリエンヌは窓口から代金を受け取ると、収支帳を開いた。売れた薬と代金を書き込み、続けて在庫帳の数も直す。


「今日はちゃんと書いているな」

「昨日言われましたから」

「昨日だけで終わらなくてよかった」

「……続けます」

「そうしてくれ」


 多少面倒だとは思う。

 薬は足りなくなったら作ればいい。それで今までは困らなかった。

 だが店を始めてみると、何がいくつ売れ、あとどれだけ残っているのかが分かるのは確かに便利だった。


 次に窓口の前へ立ったのは、見覚えのある女性だった。

 店を始めた日に咳止めを買っていった女性だ。


「あら、今日は開いてた」

「昨日は休みでした」

「知ってるよ。昨日も来たからね」

「咳はどうですか?」

「ずいぶん楽になったよ。夜も眠れるようになったしね。ただ、まだ少し残ってて」

「では、もう一度飲んでください」


 フィリエンヌは棚から咳止めを一本取り、窓口へ持っていった。


「いくらだい?」


 値段を告げると、財布を開いていた女性の手が止まった。


「あれ? 前に買ったとき、こんな値段だったかい?」

「前は――」


 フィリエンヌが答えようとすると、隣にいたレオナールが口を挟んだ。


「開店したばかりでしたから、最初だけ試しやすい価格にしていたんです」

「ああ、開店祝いみたいなものかい?」

「そんなところです」

「なるほどねえ」


 女性はあっさり納得して代金を差し出した。

 フィリエンヌは咳止めを窓口から渡し、収支帳に代金を、在庫帳に一本売れたことを書き込む。


「でも、本当によく効いたよ。昨日閉まってたから、どうしようかと思ったくらいさ」

「ありがとうございます」

「またなくなったら来るよ」


 女性は薬を大事そうに持って窓口を離れていった。

 フィリエンヌはその背中を見送った。


「また来るそうです」

「聞こえていた」

「効いたそうです」

「それも聞こえていた」

「よかったです」


 レオナールは少しだけ笑った。

「そうだな」


 店を始めた日に薬を買った人が、もう一度来た。

 しかも、効いたからまた買いに来た。

 それはフィリエンヌが思っていたより、少し嬉しいことだった。


 午前中はそのまま客が続いた。

 昨日が休みだったせいか、薬を求めていた者がまとめて来ているらしい。それでも昨日作った分は十分にある。

 フィリエンヌは薬が売れるたびにそれぞれの帳面へ書き込んだ。今のところ、何の問題もなかった。


 問題が起きたのは、昼を過ぎてからだった。


 二人連れの女性が窓口の前で足を止めた。

 一人は傷薬が欲しいらしく、もう一人は付き添いのようだった。


「傷薬を一つおくれ」

「はい」


 フィリエンヌが棚から傷薬を取って戻ると、付き添いの女性が窓口越しに中を覗いていた。


「薬だけなのかい?」

「はい」

「香りものなんかは置いてないの?」

「香りもの?」

「香水とかさ。せっかく月香草(げっこうそう)の季節なんだから」


 フィリエンヌの手が止まった。


「月香草(げっこうそう)?」


 名前は知っている。

 リュセールで採れる香料の材料だ。だが、それ以上のことは知らなかった。


「あら、知らないのかい?」

「名前だけです」

「今頃になると夜にいい香りがするんだよ。昔は採りに行く人も結構いたらしいけどねえ」

「どこにありますか?」


 女性が目を丸くした。


「急に食いついたねえ」

「どこにありますか?」

「私は知らないよ。昔、香料屋が採りに行ってたって聞いたことがあるだけさ」

「そうですか」


 フィリエンヌは傷薬を窓口から渡した。


「そんなにがっかりしなくてもいいだろう」


 女性が笑う。

 横を見ると、レオナールと目が合った。

 何か言いたそうな顔をしている。

 フィリエンヌは見なかったことにした。


 二人が窓口を離れたあとも、月香草(げっこうそう)という言葉が頭に残った。

 香料になる薬草。夜に香る。この辺りで採れる。

 そして、今頃になると香ると言っていた。

 なら、採れる時期も限られているのではないだろうか。

 今を逃したら、次はいつになるのか分からない。


 知りたい。

 どこに生えるのか。いつ採るのか。どうやって採るのか。

 今、採れるのなら採っておきたい。


 次の客が窓口へやってきた。

 薬を渡し、代金を受け取り、釣り銭を返す。


「お嬢ちゃん」

「はい」

「多いよ」


 フィリエンヌは客の手の中にある銅貨を見た。


「そうですか?」

「そうですか、じゃない」


 隣からレオナールの手が伸びた。

 客へ渡した銅貨から二枚を受け取り、フィリエンヌの前へ置く。


「これで合っている」

「ありがとうございます」

「俺じゃなくて客に言え」

「ありがとうございます」

「ああ。しっかりしておくれよ」


 客は笑いながら窓口を離れていった。

 レオナールがフィリエンヌを見る。


「何を考えていた」

「月香草(げっこうそう)です」

「だろうな」



 フィリエンヌは売上を記録するため、収支帳を開いた。

 先ほど受け取った代金を書こうとした。


『月香草 夜に香る』


 書いてから、その文字を見る。


「フィリエンヌ」

「はい」

「何を書いた」

「月香草(げっこうそう)です」

「それは見れば分かる。これは何の帳面だ」

「収支帳です」


 レオナールが黙った。


「分かっているなら、なぜ書いた」

「忘れないようにです」

「なぜ収支帳に書く」

「これが開いていたので」


 レオナールは天井を仰いだ。


「……傷薬の代金も書いておけ」

「はい」


 『月香草 夜に香る』の下に、先ほどの売上金額を書いた。

 レオナールが何か言いたそうだったが、窓口の向こうに次の客が立ったので何も言わなかった。


 午後になり客足が少し落ち着いた頃、一人の男が窓口へやってきた。


「胃薬はあるか?」

「あります」


 フィリエンヌは棚へ向かいかけて、ふと思い出した。


「月香草(げっこうそう)を知っていますか?」

「月香草(げっこうそう)?」


 男は少し考えてから頷いた。


「ああ、知ってるぞ」

「どこにありますか?」


 レオナールが顔を上げた。

 やはり聞いたか、という顔をしている。


 男は町の外の方角を指した。


「町の北西に林があるだろ。そこを抜けて、岩の多い斜面を少し上った辺りだ。夜になると匂いがするから分かる」

「採ったことがありますか?」

「いや」

「採り方は?」

「知らん」

「何時頃が一番いいですか?」

「そこまでは知らんぞ」

「どの辺りに多く――」

「フィリエンヌ」


 レオナールに止められた。

 男が笑った。


「悪いが、本当に場所しか知らん」

「いえ。場所が分かったので十分です」


 忘れないうちに書いておかなければならない。

 フィリエンヌは手元にあった帳面を開いた。


『北西の林。岩の多い斜面。夜になると匂い』


 書き終えて顔を上げると、レオナールが見ていた。


「何ですか?」

「……いや」


 フィリエンヌは胃薬を棚から取り、男へ渡した。

 代金を受け取って男を見送ると、すぐに奥へ向かおうとする。


「どこへ行く」

「調べます」

「何を」

「月香草(げっこうそう)です」


 レオナールが窓口へ目をやった。


「まだ営業中だ」

「……そうでした」


 フィリエンヌは窓口へ戻った。

 それから閉店まで、何度も奥の本棚へ視線を向けた。


 日が傾き、最後の客を見送る。

 窓口を閉めると、フィリエンヌはすぐに師匠の備忘録を取り出そうとした。


「待て」

「何ですか?」

「収支帳を見せろ」


 フィリエンヌは収支帳を渡した。

 レオナールが開く。


 午前中はきれいだった。

 傷薬、咳止め、胃薬。売れた薬と代金が順番に記されている。

 途中からおかしくなっていた。


 『月香草 夜に香る』


 その下に傷薬。


 レオナールは黙って帳面を閉じた。


「もう一冊」

「はい」


 在庫帳を渡す。

 レオナールが開いた。


『北西の林。岩の多い斜面。夜になると匂い』


 その上下には薬の在庫数が並んでいる。


「……フィリエンヌ」

「はい」

「これは在庫帳だな」

「はい」

「なぜ月香草(げっこうそう)の生えている場所が書いてある」

「忘れないようにです」

「なぜここに書いた」

「これが手元にあったので」


 レオナールは額を押さえた。


「帳面にはそれぞれ役割があると言っただろう」

「覚えています」

「覚えていて、これか」

「月香草(げっこうそう)の方が大事でした」


 レオナールの手が止まった。


 フィリエンヌには、それ以上説明することがなかった。

 月香草(げっこうそう)の情報を忘れるより、帳面に少し違うことが書いてある方がいい。


 レオナールは二冊の帳面を見比べた。

 朝までは、多少不満そうでもきちんと記録していた。

 任せても大丈夫だと思い始めていた。

 その考えは、半日ももたなかった。


「……あとで直す」

「お願いします」

「お前もやるんだ」

「今から月香草(げっこうそう)を調べたいです」

「お前な……」


 フィリエンヌはすでに師匠の備忘録を取り出していた。


 卓上に分厚い冊子を置き、ページをめくる。

 薬草、毒草、茸、樹皮。

 さらにめくる。


「ありました」


 指が止まった。


 月香草(げっこうそう)。


 レオナールも向かいの椅子に座った。シュネリュがその足元までやってきて、丸くなる。

 フィリエンヌは記述を読み始めた。


 日没後に香りが強くなり、月が高く昇る頃に最も濃くなる。

 香料として使うなら、その時間帯に花を採るのがよい。

 そして花をつける時期は、ちょうど今頃だった。


「やっぱり今ですね」

「何がだ」

「採る時期です。今を逃すと次まで待たないといけません」

「それでさっきから落ち着かなかったのか」

「はい」


 さらに読む。

 花は茎を傷つけないよう、花の付け根から少し下を摘み取る。傷をつけると香りが落ち、香料としての質も下がるらしい。

 ページの端には師匠の細かな書き込みまであった。


「採取方法もあります」

「場所だけ聞いて、そのまま行かなくてよかったな」

「採る前に調べます」

「営業中に調べ始めようとはしたがな」

「採りには行ってません」

「そういう問題か?」


 フィリエンヌは次のページをめくった。

 そこには採取後の処理方法も書かれている。

 乾燥させて香料の材料にする方法。香りを油へ移す方法。そして、その先。


「精油も作れるようです」

「お前の師匠も、何でも書き残す人だったんだな」

「私の師匠なので」

「書く場所は選んでいたようだがな」


 フィリエンヌは黙って次のページをめくった。


 精油は少量しか取れないが、香りが強く長持ちする。

 そして月香草(げっこうそう)には、香りを楽しむ以外にも使い道があるらしい。


「気持ちを落ち着かせ、眠りを助けることがある……」


 フィリエンヌはその一文を読み返した。


「眠りを?」

「あくまで香りによる作用だろう。薬のように必ず効くものではないはずだ」

「でも、売れそうです」

「もう売ることを考えているのか」

「採るなら使います」

「まだ一本も採っていないぞ」


 それはそうだった。

 フィリエンヌはページを戻し、採取に適した時間をもう一度確認する。


「フィリエンヌ」

「はい」

「飯だ」

「はい」


 ページをめくる。


 少しして、もう一度声がした。


「フィリエンヌ」

「はい」

「飯」

「はい」


 またページをめくる。


「……食べる気はあるのか?」

「あります」

「なら手を止めろ」

「もう少しです」


 フィリエンヌはそのまま備忘録を読み続けた。

 月香草(げっこうそう)の花から精油を取るには、採取後できるだけ早く処理する。

 香りを損なわないためには――。


「口を開けろ」


 フィリエンヌは備忘録を見たまま口を開けた。

 何かが口の中に入る。


 噛む。

 飲み込む。


 ページをめくる。


 しばらくすると、また声がした。


「口」


 フィリエンヌは口を開けた。また何かが入る。

 噛んで、飲み込む。


 そのまま次の行を読む。


 また口を開ける。

 何かが入る。

 噛む。

 飲み込む。


 いつの間にか、それが繰り返されていた。


 レオナールは何も言わなくなった。

 フィリエンヌが口を開けるたびに、黙って一口分を入れる。


 足元ではシュネリュが、自分の食事をきちんと食べていた。

 レオナールがそちらを見る。


「……お前の方が手がかからんな」


 シュネリュが尻尾を振った。


 フィリエンヌの口が開いた。

 レオナールは黙って次の一口を入れた。


 やがて、フィリエンヌは必要なところまで読み終えた。

 ようやく備忘録から顔を上げる。


「夕食は?」

「俺もお前も食い終わった」


 フィリエンヌは空になった皿を見た。

 食べた覚えはなかった。

 けれど、言われてみれば空腹もなくなっている。


「……お腹はいっぱいです」

「だろうな」

「不思議です」

「不思議じゃない」


 フィリエンヌは首を傾げたが、すぐに備忘録へ視線を戻した。


 場所は分かった。

 採取方法も分かった。

 最も香りが強くなる時間も分かった。


 そして、今が採取時期だった。

 窓の外を見る。

 すでに暗い。


「今日行くなよ」


 先に言われた。

 フィリエンヌはレオナールを見る。


「何も言ってません」

「今から行けるか考えただろう」

「少しだけ」

「明日にしろ」


 フィリエンヌは備忘録を見る。


「では、明日の夜に行きます」

「店は?」

「休みます」


 即答すると、レオナールが額を押さえた。


「昨日も休んだだろう」

「でも、今が採取時期です」

「明後日の夜でも採れるだろう」

「明日でも採れます」

「……そうだな」


 フィリエンヌは明日の予定を決めた。

 午前中に準備をする。夜に月香草(げっこうそう)を採りに行く。


「灯りがいる」

「持っています」

「夜の林を歩くには足りない。持ち歩けて、必要なら吊るせるものがいい」

「買います」

「採ったものを傷めず持ち帰る容器もいる。場所も地図で確認しておく」

「はい」


 フィリエンヌは手近にあった帳面へ手を伸ばした。

 その手を、レオナールが押さえた。


「待て」

「何ですか?」

「それは在庫帳だ」

「書くものが必要です」

「紙を使え」


 レオナールは一枚の紙を取り、フィリエンヌの前へ置いた。


「今日はもう帳面に何も書くな」

「分かりました」


 灯り。容器。地図。

 必要なものを書き込む。


「食べ物は?」

「いるだろうな」

「買います」

「それも明日だ」


 食料、と書き足した。


「朝から準備するぞ」

「はい」


 フィリエンヌは頷いてから、ふと気づいた。


「レオナール」

「何だ」

「明日の朝もいるんですか?」


 レオナールが黙った。

 フィリエンヌは奥を見る。


 昨日作ったばかりの寝台が二つ並んでいる。その間では、シュネリュのために買ったクッションがすっ かり定位置になっていた。


「昨日、寝台の強度確認は終わりましたよね」

「終わっていない」

「壊れませんでした」

「昨日は強度が気になって、あまり眠れなかった」

「それなら宿で眠ればいいのでは?」


 レオナールが一瞬黙った。


「無意識で寝返りを打った場合の強度を確認していない」

「……寝台は、そこまで確認するものですか?」

「作った以上は確認する」


 フィリエンヌはレオナールを見た。

 レオナールもフィリエンヌを見る。


「もう一晩必要ですか?」

「ああ」

「……そうですか」


 フィリエンヌはそれ以上聞かなかった。

 備忘録を閉じる。


 明日の夜は月香草(げっこうそう)を採りに行く。

 その前に準備をする。

 店は休む。

 やることは多い。


 シュネリュはすでに自分のクッションの上で丸くなっている。

 フィリエンヌも寝る支度を始めた。


 その隣では、レオナールが今夜も寝台の強度を確認するらしい。

 無意識で寝返りを打った場合に何が変わるのかは、やはりよく分からなかった。

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