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弱火の魔女は、今日も馬車で旅をする ~万能魔法使いと始める、二人と一匹の移動工房~  作者: 風流


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第16話 使わないと言いましたよね

朝から、傷薬がよく売れていた。


 昨日までより明らかに多い。

 フィリエンヌは窓口に並んだ薬瓶や小さな薬壺を見て、首を傾げた。

 値段は一昨日より少し上がっている。それでも客足が鈍る様子はなかった。

 むしろ、傷薬だけは減り方が妙に早い。


「今日は傷薬が人気ですね」

「人気で済ませるな。残りを確認しろ」

「まだありますよ」

「何個だ」

「…………」  


 フィリエンヌは棚を見る。

 一個、二個と指で追いかけ、途中で客に呼ばれてそちらを向いた。


「傷薬を一つ」

「はい」

「また減ったぞ」

「そうですね」

「だから数えろと言っている」

「あとで数えます」

「今数えろ」

「お客さんが待っています」

「……分かった。俺が数える」


 なぜ自分が数えているのだろう。

 レオナールは販売棚に残っている分だけでなく、奥に置かれた予備まで確認した。


 値段を見直してから二日目。

 一昨日より多少高くなった薬は、それでも問題なく売れている。

 理由の一つは、間もなく向こうからやってきた。


「あ、いたいた。嬢ちゃん」


 聞き覚えのある声に、フィリエンヌが顔を上げる。

 一昨日、腕の傷を見せに来た若い男だった。

 あのときは布を巻いていた腕が、今日はそのまま見えている。


「傷はどうですか?」

「かなりいいよ。ほら」


 男が袖をまくる。

 一昨日は赤く腫れていた傷の周囲も、かなり落ち着いていた。


「言われたとおり洗って、朝と夜に薬を塗ったんだ。まだ完全には治ってないけど、思ったより効いたからもう一つ買っておこうと思って」

「まだ薬は残っていませんか?」

「残ってるよ。これは仕事仲間の分。切り傷なんてしょっちゅうだから、よく効く薬があるって教えたんだ」


 レオナールが顔を上げた。


「教えた?」

「ああ。安いし、よく効くって」

「…………」


 安い、の部分は一昨日までの話である。

 男は木札の値段を見た。


「あれ。値段が上がってる?」

「値段を見直しました」

「急に?」

「一昨日は安すぎたそうです」

「誰が決めたんだ?」

「レオナールです」

「俺が決めたわけじゃない。適正な価格に直しただけだ」


 男が二人を見比べて笑った。


「まあ、これくらいならいいよ。あれだけ効くなら十分安い」

「では一つですね」

「ああ」


 フィリエンヌが傷薬を渡す。

 代金を受け取り、今度は何かを言われる前に帳面を開いた。


「書いていますよ」

「何も言っていない」

「言いそうだったので」

「なら毎回そうしろ」

「……努力します」

「努力ではなく書け」


 男がまた笑った。


「兄さん、嬢ちゃんの旦那か何か?」

「違う」

「違います」


 二人の返事が重なった。


「そうかい」


 男は楽しそうに薬を持っていった。

 すると入れ替わるように、二人の男が窓口へやってくる。


「ここか? 傷薬がよく効くって店」

「そうです」


 フィリエンヌが答える。

 レオナールは遠ざかっていく先ほどの男を見た。

 どうやら仕事仲間に教えたというのは本当らしい。


 口コミというものは、ときに看板よりよく働く。

 午前中だけで傷薬がさらに売れた。

 フィリエンヌは機嫌がいい。レオナールは残数が気になって仕方がなかった。


「傷薬、残り六個だぞ」

「まだ六個あります」

「朝はいくつあった」

「たくさんです」

「…………」


 やはり把握していなかった。


 昼が近づくと客足が少し落ち着いた。

 レオナールは食料も残り少ないことに気づき、買い足してくることにした。


「少し出る」

「はい」

「傷薬はあと六個だ」

「分かりました」

「売ったら帳面に書け」

「書きます」

「走査(サーチ)も――」

「必要がないときは使いません」

「……分かっているならいい」


 レオナールは財布を持って馬車を出た。

 フィリエンヌはその背中を見送り、窓口へ戻った。


 しばらくして、腕に包帯を巻いた中年の男がやってきた。


「傷薬をもらえるか」

「はい」


 フィリエンヌが小さな薬壺を一つ取る

 男は右手で受け取ろうとして、少し顔をしかめた。


「その手、見せてもらえますか?」

「これか? 大したことないよ。昨日、木箱で切っただけだ」

「少し腫れています」

「さっき洗ったから平気だろ」


 フィリエンヌは傷を見る。

 赤みがある。表面だけなら大きな傷には見えないが、中に細かな木片などが残っていれば薬を塗るだけではよくない。


 フィリエンヌが傷へ手をかざす。


「走査(サーチ)――」


 そこで、ふと手が止まった。


 ――必要がないときは使うな。


 一昨日、レオナールに言われた言葉を思い出す。

 フィリエンヌは傷を見た。それから周囲を見る。

 当然、レオナールはいない。食料を買い足すと言って出ていったところだった。


「どうした?」

「少し考えています」

「何を?」

「必要かどうかです」

「……何が?」


 必要がないときは使わない。

 ならば、必要なら使ってもいい。


 中に異物が残っているかどうかは、外から見ただけでは分からない。

 フィリエンヌの中で答えが出た。


「必要ですね」

「何の話だ?」

「動かさないでください」


 フィリエンヌはもう一度手をかざした。


「走査(サーチ)」


 淡い魔力が男の手を包む。

 傷口から皮膚の下へ。血管、筋、その周囲まで状態を確認していく。

 異物はない。炎症も浅く、傷そのものも見た目ほど深くなかった。


「大丈夫そうです」

「……今の、何だ?」

「走査(サーチ)です」

「治癒魔法か?」

「違います。中を見ただけです」

「中?」


 男の声が少し大きかった。

 近くにいた客が振り向く。


「中って、身体の中かい?」

「はい」

「そんなことできるのか?」

「できますよ」


 フィリエンヌにとっては、できるのだからそれ以上でも以下でもない。


「骨も見えるのか?」

「見ようと思えば」

「血管も?」

「見えます」

「悪いところも分かる?」

「分かるものなら」


 別の客が近づいてきた。


「ちょっと待ってくれ。俺、最近ここが痛いんだ」

「私は肩が痛くてねえ」

「頭痛も分かるのか?」

「腰は?」


 気づけば窓口の前に人が集まり始めていた。

 フィリエンヌは困った。


「薬を買う方からお願いします」

「その魔法で見てから薬を選んでくれよ」

「俺も頼む」

「私が先だよ」

「では、順番に並んでください」


 並んだ。


「…………」


 フィリエンヌはさらに困った。

 薬を売る列ではなく、走査(サーチ)を受ける列ができている。


 どうしたものかと考えていると、人垣の向こうから低い声がした。


「何をしている」


 フィリエンヌは顔を上げた。


「レオナール」


 紙袋を抱えたレオナールが立っていた。

 食料を買いに行っただけのはずなのに、帰ってみれば馬車の前に妙な列ができている。

 繁盛しているのならまだいい。聞こえてきたのは、腰が痛いだの肩を見てくれだのという話だった。


「これは何の列だ」

「走査(サーチ)です」

「…………」


 レオナールは一度だけ目を閉じた。

 それから紙袋を卓上へ置く。


「使ったのか」

「はい」

「人前では必要以上に使うなと言ったな」

「言われました」

「なぜ使った」

「必要だったからです」


 即答だった。


「この方の傷が腫れていました。中に木片が残っているかもしれなかったので確認しました」

「……それで?」

「何もありませんでした」

「そのあとだ」

「見ていた人に何をしたのか聞かれたので説明しました」

「骨も血管も見えると?」

「聞かれましたから」

「…………」


 レオナールは額を押さえた。

 約束を破ったつもりはないらしい。

 必要な場面だけ使った。そのあと聞かれたことに答えただけ。

 フィリエンヌの中では、すべて筋が通っている。


 そこが余計に厄介だった。


「皆さん」


 レオナールが列へ向き直る。


「ここは治療院ではなく調合薬の店です。走査(サーチ)を目的とした診察はしていません」

「でも、その嬢ちゃんは見られるんだろ?」

「見られることと、何でも診断できることは別です。症状があるなら治療院へ行ってください」

「ちょっと見るだけでも駄目か?」

「駄目です」


 きっぱり言った。

 何人かは不満そうだったが、やがて列は崩れていった。

 それでも薬を買う客は残った。


「フィリエンヌ」

「はい」

「必要だったという判断は分かった」

「はい」

「だが、能力について全部説明する必要はない」

「聞かれました」

「聞かれても、詳しく話さなくていい」

「嘘をつくんですか?」

「そうではない。必要なことだけ答えればいい」

「どこまでが必要です?」

「…………」


 今度はレオナールが答えに詰まった。

 考えてみれば、そこまで教えていなかった。


「あとで決める」

「分かりました」

「それから、俺がいない間に珍しいことをするな」

「珍しいかどうか分かりません」

「……そうだったな」


 そこから教える必要があるらしい。


 午後になると、走査(サーチ)を求める列こそできなかったものの、傷薬は相変わらずよく売れた。

 午前中に来た男の口コミも効いているらしく、「知り合いに聞いた」と言う客が何人かやってくる。


「最後です」


 フィリエンヌが最後の薬壺を客へ渡した

 代金を受け取り、帳面へ記入する。

 それから棚を見た。


「なくなりました」

「だから朝から言っていただろう」

「思ったより売れましたね」

「他の在庫は?」

「ありますよ」

「いくつずつ」

「…………」


 フィリエンヌが棚を見る。

 レオナールも見る。


「数えていないな?」

「今から数えます」

「全部だ」

「全部ですか?」

「全部だ」


 閉店後、販売用の薬を種類ごとに並べた。


 咳止め。

 解熱薬。

 腹痛用の薬。

 虫刺され用の軟膏。

 火傷用の薬。

 ほかにもいくつかある。


 傷薬はゼロ。

 残りわずかなものもあれば、十分に残っているものもある。

 フィリエンヌは薬そのものの状態なら細かな違いまで把握しているのに、いくつ残っているかとなると途端に曖昧だった。


「これでは駄目だ」

「明日作ります」

「そういう話じゃない。在庫がなくなる前に分かるようにしておくんだ」

「棚を見れば分かりますよ」

「今日分からなかっただろう」

「……はい」


 少し不満そうだが、反論はできないらしい。


「在庫用の帳面を作る」

「帳面が増えるんですか?」

「ああ」

「今の帳面に書くのでは駄目です?」

「売上と支出だけでも忘れそうな人間に、同じ帳面で在庫まで管理させる気はない」

「……そうですか」


 レオナールは使っていない帳面を一冊取り出した。


「薬の名前と、今ある数。作ったら増やす。売ったら減らす」

「それだけですか?」

「それだけだ」

「ならできそうです」

「できるかどうかではなく、やれ」

「……はい」


 フィリエンヌが窓の外を見る。

 日が傾き始めていた。


「今から作るんですか?」

「今からだ」

「明日でもいいのでは?」

「駄目だ」

「どうしてです?」

「明日は薬を作るんだろう」

「はい」

「その前に、在庫数と補充数をどう記録するか決めておく」

「朝では駄目ですか?」

「…………」

「レオナール?」

「朝から作り始めるなら、その前に終わらせておくべきだ」

「そうですか」

「そうだ」


 レオナールは最初のページを開いた。


 薬の名前。

 現在数。

 補充数。

 販売数。


 必要な欄を作り、線を引く。

 難しい作業ではない。むしろ簡単だった。

 フィリエンヌが薬の種類と現在数を読み上げ、レオナールが記入していく。


「次」

「虫除けです」

「残りは」

「七つです」

「次」

「火傷用が四つ」

「次」

「眠れないときの薬です」

「…………」

「どうしました?」

「何でもない。いくつある」

「五つです」


 記入する。

 最後に不足しているものへ印をつけ、明日補充する順番を書き加えた。


「できた」

「早いですね」

「ああ」

「では宿へ戻れますね」

「…………」


 レオナールは完成した在庫帳を見た。

 思っていたより早く終わった。

 当然だった。この程度の帳面を作るのに、夜までかかるはずがない。


「まだ終わっていない」

「何がです?」

「実際に使えるか確認していない」

「どうやって確認するんです?」

「明日の補充でだ」

「明日の朝ですよ」

「ああ」

「では、明日の朝に確認するんですね」

「だから今夜はここにいる」

「…………」


 今度はフィリエンヌが黙った。


「どうしてです?」

「朝から確認する必要がある」

「宿から来ればいいのでは?」

「…………」


 正論だった。

 宿から朝来ればいい。

 レオナールにも、それは分かっている。


「レオナール?」

「初日が重要なんだ」

「初日?」

「最初に正しい使い方を覚えないと、お前は途中で適当に書き始めるだろう」

「そんなことは」

「ないと言えるか?」

「…………」

「言えないだろう」

「……はい」

「だから明日の補充まで確認する」

「そういうものですか?」

「そういうものだ」


 フィリエンヌは納得したらしい。

 在庫帳を棚へ大切そうにしまう。


「では、明日は傷薬から作ります」

「ああ。その次は在庫の少ないものだ」

「分かりました」

「在庫帳もつけろ」

「……努力します」

「努力ではなく書け」


 シュネリュが二人の間を歩いていく。


「キュ」


 レオナールは窓の外を見た。

 まだ宿へ戻れる時間だった。

 一週間分の宿代を払っている。柔らかい寝台もある。荷物も置いたままだ。


 対して、こちらにあるのは硬い床である。


 それでも初日の運用確認は重要だった。


 少なくとも、今夜はそういうことにした。

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