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弱火の魔女は、今日も馬車で旅をする ~万能魔法使いと始める、二人と一匹の移動工房~  作者: 風流


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第15話 宿を取りました

翌朝。


 レオナールは自分の荷物をまとめた。


 剣。

 鞄。

 外套。


 この馬車へ運び込まれたときに持っていたものは、それほど多くない。

 フィリエンヌは調合台で薬瓶を確認している。


「では、行く」

「はい」

「世話になった」

「もう毒は大丈夫だと思います」

「ああ」

「でも、変だと思ったら治療院へ行ってください」

「分かった」


 シュネリュが足元まで来る。


「キュ」

「お前にも世話になったな」

「キュ」


 レオナールはシュネリュの頭へ手を伸ばしかけた。

 シュネリュが一歩下がった。


「……」

「まだ触らせてくれませんね」

「別に触りたくない」

「そうですか」


 レオナールは手を引っ込めた。

 出入口を開ける。


「フィリエンヌ」

「はい?」

「帳面」

「書きます」

「値段」

「少し高くします」

「走査(サーチ)」

「人前では必要なときだけにします」

「財布」

「必要な分だけ出します」

「薬草を見つけても――」


 言いかけて止まった。


「……いや、いい」

「採りますよ?」

「だろうな」


 もう自分には関係ない。


「じゃあな」

「はい。ありがとうございました」


 レオナールは馬車を降りた。

 扉が閉まる。


 数歩歩いて振り返った。


 使い込まれた幌付きの魔法馬車がそこにある。

 販売窓口はまだ閉じていた。


 レオナールは前を向いた。

 今度こそ離れた。


 宿はすぐに見つかった。

 町の中央通りから少し外れた、静かな宿だった。


「どのくらい泊まる?」


 主人に聞かれる。

 レオナールは少し考えた。


 自分に毒を使った者について調べる必要がある。

 身体は戻ったが、すぐに移動する必要もない。人の出入りが多い町なら情報も集めやすい。


「一週間」

「先払いなら少し安くするよ」

「それでいい」


 一週間分を払った。


 二階の部屋へ案内される。

 寝台。

 机。

 椅子。

 小さな窓。


 十分だった。


 荷物を置く。

 剣だけは腰に残す。


 静かだった。


 狐の鳴き声もしない。

 薬草の匂いもしない。

 調合鍋の音もしない。


 当然だ。

 普通の宿なのだから。


 レオナールは寝台へ腰を下ろした。

 柔らかい。


 床ではない。

 フィリエンヌの寝台でもない。


 これでいい。


 昼前になった。

 腹が減った。


 宿でも食事は出るが、まだ昼には少し早い。

 町を見ておくついでに何か買えばいい。


 レオナールは宿を出た。


 パンを買う。

 干し肉も買う。

 果物も一つ。


 そこで帰ればよかった。


 気づけば、露店区画の近くまで来ていた。


「……」


 足を止める。


 別にフィリエンヌを見に来たわけではない。

 町を確認しているだけだ。

 昨日歩いた道だから、たまたまこちらへ来ただけである。


 そういうことにした。


 少し先に、見覚えのある幌付きの馬車が見えた。

 店が開いている。


 客が三人。

 いや、四人。


 フィリエンヌが一人で対応していた。


「こちらは一日二回です」

「嬢ちゃん、こっちは?」

「少し待ってください」

「代金ここでいいか?」

「はい。あ、待ってください。今、帳面を――」


 薬瓶。

 硬貨。

 帳面。

 客。


 全部が同時に動いている。


 シュネリュが窓口の端に座っていた。


「キュ」


 レオナールを見た。


「鳴くな」


 小声で言った。

 フィリエンヌが顔を上げた。


「あ。レオナール」

「……」

「どうしたんです?」

「通りかかった」

「そうなんですね」


 それだけだった。


「昨日より客が多くないか?」

「多いです」

「一人でやるつもりか?」

「一人しかいませんから」

「……そうだな」


 レオナールは窓口の内側へ回った。


「その客の代金は受け取ったのか?」

「まだです」

「そっちは?」

「薬を渡しました」

「金は?」

「まだです」

「帳面は?」

「今書こうと」

「貸せ」


 帳面を取る。


「薬を渡した客から先に代金を受け取れ」

「はい」

「次の客は俺が聞く」

「はい」


 気づけば手伝っていた。


 昼を過ぎた。


「フィリエンヌ」

「はい?」

「飯は?」

「まだです」

「またか」

「忙しかったので」


 レオナールは朝買ったパンを見る。

 自分の昼食だった。


「食え」

「レオナールのでは?」

「半分で足りる」

「ありがとうございます」


パンを半分にして渡した。


 午後も客が来た。

 値段は昨日より少し上げてある。


 それでも売れた。


「ほら、売れるだろう」

「本当ですね」

「だから適正価格にしろと言った」

「レオナールは商人だったんですか?」

「違う」

「詳しいですね」

「お前が知らなすぎる」


 夕方。

 店を閉じる。


「終わりました」

「ああ」


 レオナールは帳面の数字を確認した。

 昨日より利益が出ている。


「これならいい」

「お金が増えました」

「ようやく分かったか」

「はい」


 フィリエンヌが財布を覗き込む。


「夕食にします」

「何がある」

「豆と干し肉があります」

「野菜は?」

「昨日使った残りがあります」

「これだけか?」

「パンもあります」

「……買ってくる」


 言ってから止まった。


 自分は宿を取っている。

 しかも食事も出る。


「レオナール?」

「何でもない」


 結局、近くの店で野菜と卵を買って戻った。


「宿は?」

「取った」

「食事は出ないんですか?」

「出る」

「では、どうして買ってきたんです?」

「……もう買ったから使う」


 我ながら苦しい。


 レオナールは調理台へ向かった。


「座っていろ」

「手伝います?」

「いい」

「ではお願いします」


 フィリエンヌは素直に座った。


 豆と干し肉、残っていた野菜で煮込みを作り、買ってきた野菜でもう一品作る。

 卵も使った。


 二人で食べた。

 シュネリュにも食べられるものを分けた。


 食後、フィリエンヌが販売用の薬を整理し始める。

 レオナールは帳面を確認する。


 外は暗くなっていた。


 宿へ戻るべきだ。

 一週間分払った。

 荷物も置いてある。

 寝台もある。


「レオナール」

「何だ」

「もう遅いですよ」

「分かっている」


 窓の外を見る。

 町はまだ完全には眠っていない。


 今からでも戻れる。


「宿へ戻らないんですか?」

「戻る」

「そうですか」


 フィリエンヌはそれ以上聞かなかった。


 レオナールは帳面へ視線を戻した。

 少しだけ確認する。


 それが終わったら戻る。


 確認が終わった。


 フィリエンヌは明日売る薬の準備を始めていた。

 種類ごとに必要な数を確認し、販売棚へ移している。


「多くないか?」

「今日たくさん売れたので、昨日より増やします」

「傷薬は?」

「八つです」

「今日の売れ方なら十個用意してもいい」

「では、そうします」

「値札も確認しろ」

「昨日書きましたよ」

「値段を変えただろう」

「あ」


 フィリエンヌが木札を見る。


「昨日のままです」

「書き直せ」

「……はい」


 手伝った。


 準備が終わった頃には、かなり遅くなっていた。


 フィリエンヌが寝台へ向かう。


「おやすみなさい」

「……ああ」


 シュネリュもついていく。


 レオナールは一人残った。


 宿へ戻る。

 今ならまだ戻れる。


 廊下の先に、先日広げた空間が見えた。

 何もない。


 床と壁だけの空間。


「……」


 一晩くらいなら床でもいい。


 レオナールはそう考えた。


 外套を丸めて枕代わりにする。

 床へ横になる。


 硬い。


 宿の寝台は柔らかかった。

 分かっている。


 自分は一週間分の宿代を払った。

 荷物も宿にある。


 なのに今、何もない馬車の床で寝ている。


「……何をしているんだ、俺は」


 小さく呟いた。


 返事はない。


 しばらくして、廊下の方から小さな足音が聞こえた。

 シュネリュだった。


「どうした」

「キュ」


 シュネリュはレオナールのそばまで来ると、少し離れたところで丸くなった。


「……」


 レオナールは狐を見る。


「お前もここで寝るのか」

「キュ」


 シュネリュは目を閉じた。

 レオナールも天井を見る。


 一週間分。


 その言葉が頭をよぎった。


「……もったいないな」


 そう思いながら、レオナールは目を閉じた。


 翌朝。


「レオナール」


 声がした。


「……何だ」

「起きてください」

「ああ」


 目を開ける。


 知らない天井ではなかった。

 もう見慣れ始めている馬車の天井だった。


 身体を起こすと、フィリエンヌがこちらをのぞき込んでいた。


「今日は昨日より薬を多く出します」

「そうか」

「準備します」

「ああ」


 レオナールは身体を起こした。


 フィリエンヌが少し考える。


「手伝います?」

「……先に朝飯だ」

「作ります?」

「俺が作る」

「お願いします」


 レオナールは立ち上がり、そのまま調理台へ向かった。

 フィリエンヌは当然のように販売用の薬の準備を始める。


 宿の部屋が頭に浮かんだ。


 一週間分払ってある。

 荷物も置いてある。


 それなのに、自分は馬車の調理台の前に立っている。


 レオナールは額を押さえた。


 どうやら今日も、宿へ戻るのは少し後になりそうだった。

次話より月・水・土の週三日の更新になります。

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