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8 胸に宿る罪悪感

 ラングラルとの喧嘩を終えて。もう時間も遅いので食事は屋台で済ませる。

 夜の帳が下りても賑やかな街並みを歩きながら、俺たちは何とか安宿を見つける事ができた。


「いやあ、あの男同士の拳と拳のぶつかり合い、私も久々に手に汗握りましたよ! 今の時代、見た目は綺麗に整えていても、中身の薄い冷めた冒険者も多くてね。貴方のような熱い男に泊まっていただけるだなんて、うちのいい宣伝になりますよ! わはははははは」


 どうやら宿の主人は【鋼の華】の熱心なサポーターだったらしい。

 街には特定のクランに肩入れする商売人も多いのだ。俺の事を大層気に入ってくれた。

 既に普通の部屋は満室だったというのに、特別来客者用を二つ、安価で貸してもらえたのだ。


 男女に別れて扉を開けると、綺麗に清掃された一室に豪華なダブルベッドが。 

 ガルムが我先にと駆け出していく、サイロも続く。ふかふかシーツの上に飛び乗った。


「うぅ~♪」

「わぅ~♪」


「こらこら。まずは足を拭かないとシーツが汚れちゃうだろう?」


 ガルムとサイロを膝の上に転がし、丁寧に泥を拭き取っていく。

 それから自由にさせると、ガルムは枕の下に頭を突っ込んでお尻を晒し。

 サイロは俺の腕を捕まえ指を咥え甘えだす。もうそれは好き勝手に遊んでいる。


「それでは主様を、我が自慢の子守唄で心地よい安眠へと誘いましょう」


「……はて? どうしてリンネがここに居るんだ?」


 リンネが既に鼻歌を奏でながら、身体と尻尾を左右に揺らしていた。

 エレナに借りたのだろう、清潔感のある薄い寝間着に着替え自然と隣に座っている。

 

「我は主様に仕える忠実な獣ですから、常にお傍に。戦いの後ですので、不逞な輩が夜な夜な忍び込んで来るやもしれません。我が主様の休息をお守りいたします!」


「そうか。では、リンネはエレナと同室だからな」


 背中を押してドアまで押し遣っていく。同衾はダメだぞ。


「そ、そんな……どうか我を見捨てないでくださいませ……! 何か気に障るようなことを言ってしまいましたか? 謝りますので! お傍に居させてください!」


 ガバッと腕にしがみつくリンネ。慎ましやかな胸が当たっている。

 宿では夫婦の契りを結んでいない限り、男女別れるのが常識――は知らないのか。

 

「ようやく主様との再会が叶ったのです。今晩だけでも……寂しさを埋めさせてくださいませ。ぐすっ」


 ついには感情を昂らせて泣き出してしまった。

 数千年の孤独という辛さは、俺には想像もできない。

 リンネの立場を考えると俺の方から歩み寄る必要があるようで。


「ごめんな、自覚もなければ融通の利かない主で。寂しい思いをさせてしまった」


 同室のエレナがリンネを迎えに来ないというのは、そういう事だ。

 ここで彼女を追い返すのも野暮ってものだろう。今夜だけは違反に目を瞑ろう。


 それからは穏やかな時間が続いた。

 お互いに無言でガルムとサイロの遊び相手をする。

 気まずい空気にならないのは、どこかで通じ合うものがあるからか。


 今日出会ったばかりだというのに。不思議な気分だ。

 前世の俺も今のような関係性だったのだろうか。聞いてみたい。


「なぁ、教えられる範囲で、昔の俺ってどんな奴だった?」


「以前の主様ですか……?」


 リンネは少し考える素振りを見せる。

 数千年の記憶を遡るだけあって、難しい表情だ。

 

「詳しく語り過ぎると前世の記憶に引っ張られ、今の主様に悪影響を及ぼしかねません。ですので、最低限――とても、物静かで、思慮深く。他人には滅多に心を開かない。ですが、我にだけは、ときどき意地悪で、心の奥底では慈愛をお持ちになられるお方でした」


「……まったく想像も付かないな。まるで他人の話を聞いているようだ」


「当然かと存じます。根本の魂が同一だとしても、人格に一番影響を与えるのは周囲の環境ですから。当時の主様は決して恵まれていた訳では、周囲に誰一人として理解者なんて……だからいつだって心を摩耗させて……いつも辛そうにされて」


 記憶の海に沈み、リンネはここではない遥か遠い景色を眺めている。


「――いえ一人だけ。あの子だけは、我が子同然に……ですが……我々は……あの子を……!」


 黒い瞳が底なしの闇に染まっていく。何かに引き寄せられていく。

 まるで錯乱しているようにも見えて、俺は黙って見ていられなかった。


「もう十分だ! わかったから落ち着いてくれ。前世の話を聞いた俺が悪かった。そ、そうだ、もっと楽しい思い出とかないのか? 笑い話でもいいから!」


「……主様はよく我の胸の小ささを指摘し小馬鹿にされておられました。何度比べても殆ど変わりませんでしたのに……今でも決して納得はしておりません!!」


 リンネは急に落ち着いて、頬を膨らませ始めた。よっぽど効いていたのだろう。


「ぷっ、あははは。何だそれ。胸の比較って微笑ましい話じゃないか。……ん、比較? ……は?」


 自分でも驚くほどの、マヌケな声が出てしまった

 いやいやいやいや。確かに可能性としては考えられるが。


「まさか前世の俺って――――女だったのか?」


「え、あっ、違っ、こ、これは……その、主様! 今のは聞かなかった事にしてください!! あ、あああ――――ごふっ、あたまが、い、いたいですぅ……! わふぅ……」

「わう!?」

「きゃん!?」


 今日一番の反応だった。リンネはひっくり返り、頭をボードにぶつけ悶絶する。

 あまりに大きく跳ねるので、ガルムとサイロまでもベッドから転がり落ちていった。

 そこまで過剰になるような失言だっただろうか。確かに俺としては一番衝撃的だったが。 


 しかし話を聞いていて、いまいち自分と結びつかないと思っていたが。

 そも性別すら違っていたのであれば納得だ。……しばらく脳内から離れなさそう。


「終わりおわりだ。これ以上は本当に前世に引っ張られる。リンネの頭の傷も増えそうだ」


「みっともない姿をお見せしました……深く反省いたします」


 終わってしまった前世ではなく、今世の話題を振るか。


「リンネは、綻びが生じた封印を強固にするのが目的で俺を探していたんだよな。一〇〇ある魔神の力が目覚めないようにと」


「はい。魔神はこの世界に破滅をもたらす悪しき存在です。神獣は、不死の魔神を喰らい無力化させる為に古代神によって生み出されました。主様のお力添えがあれば、きっと再封印も上手くいきます。一度は成功させたのですから」


 リンネは優しく俺の手の甲を擦ってくれる。


「それに――――人造魔神の存在も見過ごす訳にはいきません」


「……っ!」


 人造魔神。その名をリンネの口から紡がれた事で、心臓に痛みが走る。

 

「【血塗られた三ヵ月】で数百万の人間を根絶やしにし、世界に悪名を轟かせた悪魔どもだったな」


 冷静さを取り繕いながらも、俺はどこか感情のない声を出していた。

 先程までの穏やかな時間も、笑い話も、前世の記憶も。すべてが吹き飛んでいく。


「魔神の臓器を適合者の体内に移植することで、人為的に生み出された禁忌の存在です。二大国家連合軍によって研究施設と共に闇に葬られたと伺っておりますが、それでも必ず生き残りが潜伏しているはずなのです。奴らを放置していれば、またどこかで悲劇が繰り返されてしまいます」


 かつてエリュシオン大陸を管理していた小国が、秘密裏に手を付けた禁忌の技術。

 国が滅びても尚、今も深い傷を残し続ける。【血塗られた三ヵ月】はまだ終わっていないのだ。

 

「エレナ様も幼い頃、人造魔神に襲われ母君を、生まれ故郷を失ったとか……」


「もうそこまで知っているのか、エレナと心を許す仲になったんだな」


 エレナが母親を失った事件は有名な話だが。本人から話を聞く機会なんてまずない。

 人造魔神はエレナにとっても仇と呼べる存在なのだ。彼女自身も悪夢に蝕まれている。


「人造魔神は人の皮を被る化物だ。もしかしたら、俺たちにとって親しい人物がそうかもしれない。もしも隣人が、件の化物なんだとすれば、リンネは……どうするんだ?」


 自然と、答えのわかりきった質問を、俺は投げ掛けていた。


「己のすべてを賭けて、喰らいます。それが我の――神獣の存在意義ですから」


「……そうか。そうだよな。それが当然だ。誰だってそうする」


 こんなの誰に聞いても同じ回答が返ってくるだろう。


「……俺も奴らに個人的な恨みがあるんだ、協力する。いや、させてくれ」


「主様。今度こそ、生きるも死ぬも一緒ですから」


 信頼し切った眼差しを向けられて、俺は照れるフリをしてベッドに横たわった。

 無意識に額に滲んでいた冷や汗を拭う。彼女の顔をまともに見られそうになかった。


 ◇


 寝静まった部屋を一人抜け出して、星の光に導かれる。

 廊下の窓からは、店開きの準備を始める商人たちの姿が見えた。

 夜明け前の光と闇が混合する空が、揺れる視界で渦を巻いている。


「あー頭がお酒に酔ったかのようにふらふらする。リンネのアレは……強烈だった」


 リンネが披露した子守歌は、それはもう酷いものだった。

 数千年間、彼女の音痴を指摘できる他人がいなかったんだろう。

 あまりにも下手糞なので、エレナが悲鳴と勘違いし部屋を訪れたくらいだ。


 真実を知ったリンネは落ち込んでしまい、毛布の中で不貞寝してしまった。

 俺はというと、吹き飛んでいった眠気を回収する為に、時間を潰しているのだ。


 大きく息を吐いて、頬に風を浴びていると。徐々に酔いが醒めてきた。


「ふぅ、静かだな……これがもう一つの街の顔か。いつもは朝までぐっすりだから新鮮な気分だ」


 普段の賑やかな街並みを知っていると。一人取り残された気分になる。

 もしかしたら、俺自身が感じているこの感情も、それと同じなんだろうか。


「……爺さん。自分の出生は選べないというが、ここまで来ると本当に嫌になるよ。自分が世界から爪弾きにされたみたいだ。一人じゃないのに、誰かと一緒に居るのに、ときどき、無性に寂しくなるんだよ」


 鼓動を続ける心臓部へ憎しみを込めて叩く。

 皮肉にもそれが、否応に生の実感を与えてくれる。

 昔から大嫌いだった。この音が、俺を支配する呪いの音だ。


「何で、こんな身体に生まれてきてしまったんだろうな……」

 

 人造魔神は憎まれるべき存在。生まれてはならなかった禁忌の存在。

 現在の冒険者の多くは孤児だ。【血塗られた三ヵ月】をその身で経験している。

 魔神への憎しみは強く、強く刻まれていて。それを実感するたび、俺は罪悪感に苛まれる。

 

 俺自身も【血塗られた三ヵ月】に関わった連中に憎しみを抱いている。

 それは家族を失ったとか、故郷を失ったとか。そういうわかりやすい理由ではなく。

 ただ本能に従って暴れ回り、生き辛い世界に変えてしまった、同族に対する憤りの感情だ。


 人造魔神は仮に赤ん坊であっても見つかり次第、即刻、処刑される。

 それだけの罪を犯した。事件とは無関係ではあっても、無関係ではいられない。

 

 ラングラルは俺に隠された才能があると言っていた。

 実際にそうだ。奴の言う通り、俺には魔神の力が宿っている。

 

 しかも魔神の中でも古代神と同列とされる魔神王の心臓だ。

 【血塗られた三ヵ月】で討伐された連中とは比べ物にならない。

 きっと数千年前にリンネと戦って、生き残った猛者の内の一体なんだろう。

 

「……言える訳がない。知られた瞬間、俺はこの世界で人として生きていけなくなる」


 人より優れた身体能力も魔力も、使えないのであれば存在しないのと同じ。

 俺は物心つく頃から、テイマーの爺さんたちに力を制御する術のみを教わってきた。

 おかげで魔神の力を殆ど隠せるようになった。神獣であるリンネにすら悟られないほどに。


 実際はテイマーですらないのに、そう名乗っているのも、都合がいいからだ。

 人造魔神は下級の生物を操る、誘惑の力を秘めている。それが仮契約に酷似しているのだ。

 しかし主契約までは真似できないはずだった。それがどういう偶然か、前世の縁で神獣と繋がった。


 周囲を騙してテイマーの真似事をしていたら、本物のテイマーとなってしまったのだ。


「それにしたって、人造魔神が本物の魔神の力を借りて戦うって、皮肉にもほどがあるだろう」


 巨神サイクロプスの【神腕】を初見で使いこなし、リンネはさすがだと感心していたが。

 事前に制御術を身体に叩き込んでいたのだから当然だ。暴走する可能性は限りなく低いはず。


「どうしてリンネの主が俺なんだよ。もっとあの子に相応しい人間が別に居ただろ……」

 

 リンネが俺に向けてくる眼差しが、好意が本物であると、頭ではなく心で理解できるだけに。

 今も彼女を裏切っている事実がどうしようもない痛みを生み出す。慣れるしかないんだろうな。


「今の自分自身何者かわからないのに、先に前世が女だった事を教えられて。爺さんが知ったら笑うだろうな。はぁ……これ以上考えても頭が痛くなるだけか。もう一眠りしよう」


 来た道を戻り、起こさないよう慎重に扉を開け、自分の部屋に入る。

 ベッドの上でリンネはガルムとサイロを抱きながら、静かに寝息を立てていた。

 緊張は解け、平常心に戻れている。これも訓練の成果だ。隣に寝転がり少女の頬を撫でる。


(逃げようと思えば、すべてを捨てて、この大陸から去る選択肢もあるんだよな……)


「むにゅ……わふわふ、主様ぁ」

「わぅ……」

「くぅ……」


「可愛い寝言だ」


 夢の中ですら俺を主と呼んでくれる少女に、やはり逃げてはいけない気持ちになる。

 

 俺たちは本来敵同士だ。きっといつか悲しませてしまう、泣かせてしまうだろう。

 でも今だけは、彼女の孤独を埋められる存在でありたい。それは俺の中の、人としての選択。


(そうだ。たとえ人造魔神なんだとしても、俺は人でありたい。人としてみんなの傍に立ちたい。だから、この子との出会いは幸運なんだと考えよう。魔神の脅威から誰かを救える存在であれるのだから)


 色々あって疲れが溜まっていたのだろう、すぐに安らかな闇へと誘われる。

 目が覚めたら、俺はオルガという人間に戻れる。今日もいい日になるといいな。

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