10.帰還1.
朝、ジャレッドたちはフーゴと彼の家族に見送られて、リュディガー公爵領をあとにした。
フーゴはジャレッドたちとの別れを惜しんでくれた。とくに娘がまた王都に戻ってしまうのは寂しいようで、心なしか元気がないように見えた。彼は、娘のことを頼むとジャレッドに頭を下げ、今度は遊びにきてほしいと言ってくれた。
快諾したジャレッドに破顔したフーゴは、いずれ王都に用事もあるのでまた会おうと告げると、再会を約束する。プファイルも同様に声をかけられており、どうやら彼に気に入られたようだった。
魔術師協会から派遣された飛竜に乗り、きたときと同じように空の旅となる。
今回は、ただ王都に帰るだけなので気が楽だ。短いようで長いリュディガー公爵家の滞在も終わり、ようやく気を抜ける。
唯一プファイルだけは、存在が公にされていないため、リュディガー公爵から馬を用意されて陸路で帰ることとなってしまったのは残念だ。もっとも、彼は飛竜に乗りたがっていなかったので、どちらにせよ一緒ではなかっただろう。
「お疲れ様でした、マーフィーさま!」
魔術師協会本部へ降り立った飛竜を迎えてくれたのはデニス・ベックマンだ。
彼は公爵領にくることはなかったが、王都から支援をしてくれていたことを伝え聞いている。物資はもちろん、人材の派遣まで今後も続けてくれるということだ。
魔術師協会が半ば独立組織でありながら貴族たちから悪く思われない理由は、有事の際の行動の結果だった。
今回のように魔術師が必要な場合は、躊躇わずに派遣する。彼らはただ魔術師を守るだけの組織ではない。ジャレッドたち魔術師が、己の力を最大限に使うことができる場所を用意することも重要な役目なのだ。
同時に、ただ守ってもらうだけの人間を必要としていない。そういう意味では優しさと厳しさがしっかり存在している組織だと考えられる。
「デニスさん、わざわざありがとうございます」
「いいえ、この目でマーフィーさまたちの無事を確認するまでが私の仕事ですので」
飛竜から降りたジャレッドたちの帰還を喜んでくれるデニスだったが、彼の表情がすぐに曇る。そして、頭を下げた。
「この度のことは本当に申し訳ございませんでした。まさか食人鬼だけではなく、王立魔術師団の人間が敵として現れるなど想定外でした」
「顔をあげてください。幸い俺は生きています。秘書官の二人と、リュディガー公爵家のおかげで事なきを得ました。だから謝らないでください」
魔術師協会が悪いわけではなく、デニスにも非はない。
確かに事前に調べることができなかったのは痛手ではあるが、正統魔術師軍が今回のタイミングで襲いかかってくるなど誰が予想できようか。
「デニスさんには俺だって迷惑をかけていますので、お互いさまと言うことで忘れましょう。それよりも――俺たちのすべきことは正統魔術師軍への対策です」
悪いのはすべて正統魔術師軍であることは明白であり、彼のせいではない。
宮廷魔術師候補に選ばれてから世話になっているデニスにいつまでも頭を下げさせておくのも気が引ける。なんとか顔を上げてもらうと、彼は険しい表情を浮かべた。
「正統魔術師軍に関してすでに職員が調べを進めています。今回の一件に関わっていた王立魔術師団員の家族もすでに捕らえました。もちろん、手荒な真似はしていませんが、情報を持っているのなら引き出すつもりです」
「お願いします」
迅速な対応に感謝する。
「ブラウエルさまから言伝を預かっています。後日、正統魔術師軍に関してのお話が訊きたいそうです。とてもご心配しているようで、今日もマーフィーさまたちを出迎えたと言ってくださいましたが、宮廷魔術師にきていただくと大ごとになってしまうので遠慮していただきました」
宮廷魔術師トレス・ブラウエルがもっとも心配していたのはエルネスタだろう。デニスの視線も、言葉の途中で彼女に向いたので間違いない。
エルネスタはジャレッドへの恨みを捨てた。前に向いて進むと言ってくれた。ならば今後、トレスと向きあえるかどうかも彼女次第だ。
願わくは、二人の関係が改善してほしい。
「一度、ブラウエルさまからマーフィーさまへご連絡をするそうです」
「ありがとうございます」
「いいえ、できましたらマーフィーさまの情報を私どもへお伝えしてくださると助かります」
「報告書という形のほうがいいですか?」
「口頭でも構いませんが、そうですね、今回のリュディガー公爵家の一件もまとめていただく予定でしたので、今回は報告書と口頭の両方でお願いします」
頷くジャレッドにデニスが続ける。
「今回はマーフィーさまにお任せしますが、これから報告に関しては秘書官をお使いください。それが彼女たちの仕事ですので」
「そう、でしたね。今まで秘書官がいなかったもので、なかなか慣れないものですね」
「無理はないかと。どなたも最初は戸惑うものです。では、後日できるだけ早めに報告書をください。ご連絡くだされば職員が取りにいきますので。そして、改めてマーフィーさまからお話を聞かせてください」
「わかりました。可能な限り早く報告書をまとめさせてもらいます。では、今日は屋敷に戻らせてもらいますね」
「はい。今回はお疲れさまでした」
深々と一礼するデニスに、ジャレッドはもちろん秘書官二人も礼を返す。
「あの、ジャレッドくん」
「どうした?」
お互いに砕けた口調で会話ができるようになったのは関係が深まったと考えていいだろう。デニスに短く挨拶して、離れるとジャレッドは秘書官たちと向きあう。
「さっきトレスさまが……」
「間違いなくエルネスタのことを心配したんだと思う。あの方は、以前からあなたを気にかけていたから」
「うん。知っているわ。でも、私が頑なだったから……あの、私、トレスさまに手紙を書いてみようと思うの」
エルネスタの決意にジャレッドは驚くも、すぐに笑顔を浮かべる。
「きっとトレスさまも喜ぶよ」
「そうだといいのだけど」
「大丈夫さ、ずっとエルネスタを心配してくれていたのなら、歩み寄ろうとすれば自然と関係は修復されるよ」
不安を隠せない彼女に、リリーも勇気づけるよう言葉を紡ぐ。
トレスがエルネスタを気にかけていることは間違いないため、彼女から歩み寄ろうとしてくれさえすればかつての二人に戻れずとも、関係は改善するだろう。
「私、勇気をだしてトレスさまに謝るわ」
決意を新たにしたエルネスタとトレスの関係が、早く修復することをジャレッドだけではなく、リリーも願わずにはいられない。
だが、まずはしっかり休んでからだ。心も体も万全を期してもらいたい。
「二人はどうやって帰るんだ?」
「わたしは協会に馬車を借りる予定だよ。エルネスタはどうするのかな?」
「リリーさんと同じことを考えていました」
「なら一緒に帰ろう」
「はい、喜んで」
聞けば、リリーは王都にある屋敷に王立学園に通う兄弟と家人と一緒に暮らしているそうだ。エルネスタの屋敷がある地区と離れていないため、彼女たちは一緒の馬車をデニスに用意してもらうこととなった。
「近々、オリヴィエに会いにいくからよろしく言っておいてね」
「……ははは。一応、言っておくよ」
「お先に失礼しますね、ジャレッドくん」
「ああ、エルネスタもリリーもゆっくり休んで。お疲れさま」
秘書官たちを見送り、ようやく終わったと盛大に息を吐きだす。あとは屋敷に戻るだけだ。
「お疲れ様でした、マーフィーさま。秘書官とも距離が縮まったようでなによりです」
馬車の用意から見送りまでしてくれたデニスがねぎらってくれるも、彼はすぐに協会の敷地の外に向けて視線を向ける。
「ご婚約者さまがお待ちです。早くお顔をみせてあげてください」
彼の言葉にまさかと思うと、道路に一台の馬車が止まっていることに気づく。
「デニスさん、失礼します」
「はい。どうぞごゆっくりお休みください」
短い挨拶を交わしジャレッドは足を進める。
少しの緊張と、逸る気持ちが胸の鼓動を早くした。
馬車のすぐそばまで近づくと、中ならずっと会いたかった女性が現れる。いつもと変わらない少し不機嫌な顔で美貌を曇らせ、隠しきれない心配を浮かべる婚約者。
「お帰りなさい、ジャレッド」
ようやく帰ってこられたのだと実感が湧いた。




