47.戦いが終わり.
「遅かったな、ニクラス」
「……お前には謝罪しない、ワハシュよ」
オリヴィエを抱きしめていたジャレッドだったが、ワハシュと祖父が言葉を交わし、握手をしたことから、まさか――と思う。
「おいおい、もしかして全部――」
にやり、と笑みを浮かべたのはワハシュだ。
確信した。今回の一件はすべて仕組まれていたのだ、と。
「私は最初から知っていたわけではないのだよ」
「公爵」
「お父さま」
「ワハシュ殿がジャレッドの祖父であったこと、リズ・マーフィー殿が自害したことを聞き、君にどう話すべきか迷った。正直、知らないほうがいいのではないかとすら考えた。私自身、君にどう伝えていいものかと悩み、結局言えずにいたのだ。すまない」
謝罪してくれるハーラルトに、ジャレッドは首を振る。
公爵が自分のことを考えてくれた上で、話すことができなかったのだと言われずとも予想できた。優しく思いやりのある婚約者の父らしい不器用な気づかいをありがたく思う。
「お心遣い感謝します。確かに辛い事実もありましたが、すべてを知ることができてよかったと思います。それに――オリヴィエさまに支えていただきました」
「オリヴィエ、お前も巻き込んでしまってすまなかった。よくジャレッドの心を守ってくれた」
「婚約者として当たり前です」
ジャレッドの無事を確認したことで安堵の涙を浮かべるオリヴィエが、目元を拭う。ハーラルトはそんな娘の姿に、すっかり女らしくなったと実感する。
かつては頑なに男性を拒否していた。父親である自分のせいもあるが、女としての幸せを放棄し、未来を捨て、それでも母を守ろうとしていた。だが、もうあのころのオリヴィエはいない。ジャレッドのおかげだ。
いずれ手元から離れていくことは寂しく思うが、余計な問題などなければとっくに遠くへいっていたはず。距離はあったが、父と娘でいられた時間が長かったのも事実だ。これからは、ただ娘が幸せになってほしいと願っているし、そのためにはジャレッドでなければ駄目だと確信している。
「お聞きしたいのですが、ワハシュとの関係や母の事実はさておき、アネットたちの企みなどはどこで?」
「これもワハシュ殿からの情報だった。いや、パッジ子爵家を操っていたスキナー侯爵家が以前から怪しいことは気づいていたのだよ。だが、証拠がなかったため手をだせずにいた。下手なことをすれば、家と家の争いだけでは収まらなくなってしまう」
「わかります」
公爵家と侯爵家が敵対すれば、守護防衛を担う一族と騎士団長の派閥がぶつかりあうことになる。そんなことになれば困るのは民だ。他国はこれ幸いとこの国につけ入ろうとするかもしれない。
怪しくも、確証がないからと手出ししなかったハーラルトの判断は正しかった。
「そんな折、ワハシュ殿からの情報だった。パッジ子爵家を調べていたついでのようだったが、私にとっては実にありがたい情報だ。だが、どうすれば尻尾をだすかと考えていたとき、ワハシュ殿とニクラスから話を聞いた」
「それで、これ、ですか」
「君を利用する形になってしまったことには心から謝罪する。だが、その甲斐あって、ダウム男爵家の乗っ取り、我が一族への敵対、リズ・マーフィー殿を死に追い詰めた元凶をすべて捕らえることができた」
結果的にはよかったと思える。とはいえ、利用されてしまったことも事実。その過程でオリヴィエにも危険があったのだから、正直両手放しでは喜べない。
「親父、あんたも知っていたのか?」
「いや、まさか――僕に演技などできるわけがない」
「だよな。あんたは単純そうだ」
「……言ってくれるじゃないか」
こうして父親と軽口を言いあえるようになったのも、わだかまりが消えた証拠なのかもしれない。腕の中にいるオリヴィエと目があう。彼女は優しく微笑み、ジャレッドにだけ聞こえる声で「よかったわね」と囁いた。
「さて、今回の元凶である二人のじじぃに聞きたいことがあるんだけど」
「僕もぜひお聞きしたい、お父上方」
孫と息子に睨まれ困ったような顔をしたのはニクラスだった。ワハシュは平然としている。くそじじぃ、と内心毒づくも、きっと声にだしたところであの男は痛くも痒くもないはずだ。
「後日、すべて――と、言いたかったが、今公爵が話してくださったことがすべてだ」
「ワハシュが俺と戦った理由は?」
「お前と戦ってみたかったのもあるが、ニクラスと賭けだった。私は今でもアネットたちを殺したい。だが、ニクラスたちは裁きたい。結果は同じだが、過程が違う。そこで、私はジャレッド、お前と戦うことで、お前の意思を確認することでアネットを生かすか殺すか決めることにした」
「つまり?」
「アネットは殺すのではなく、裁かせよう。私の負けでいい」
「本当か?」
「二言はない。これ以上、お前と争ってまで私の我を通そうとするなら、間違いなくリズに叱られてしまう」
もしかすると、はじめからワハシュはアネットたちを皆殺しにするつもりがなかったのではないかと思えてしまった。アネットやパッジ子爵を許せない気持ちはあり、実際に手をかけようとしていたかもしれないが、レックスとクレール、そしてレナの命まで奪おうなどとはかけらも考えていなかった。孫と戦うため、意思を見極めるために利用しただけなのかもしれない。
きっと問い詰めても応えてはくれないだろうが、ジャレッドは勝手にそう思うことにした。そのほうがいいと思ったからだ。
「旦那さま!」
「父上!」
屋敷からカリーナとロイクが駆けてくるのが目に入った。ヨハンも自ら二人のもとへ進み、抱きしめた。
父親に向かい一直線に走るロイク――以前なら子供を受け止めるような父親ではなかったはずのヨハンだが、今は大きく手を広げて、抱きしめ、抱き上げた。
嬉しそうに喜ぶロイクに対し、カリーナが驚いたように口元に手を当てる。そして、涙を流した。
ヨハンは、そんな彼女に気づくと、少しだけ照れたような、気まずいような顔を浮かべてから、観念したように一言だけ、
「今まですまなかった」
と告げた。
カリーナは涙を流したまま首を横に振り、彼女もまたヨハンに抱きしめられる。
「これでロイクとお母さまも、もう大丈夫ですね」
きっとこれからヨハンはよい父となるはずだ。ならなければ蹴り飛ばしてやる。
「よかったわね、ジャレッド」
「ええ、本当に」
「きっとお母さまもあなたのことを褒めてくださるわ。誇らしい、自慢の息子だと」
オリヴィエの言葉に、涙がこぼれそうになったが堪える。
「強情ね、泣きたいときは泣いていいのよ?」
「いいえ、嬉しいだけです。オリヴィエさま、ひとつだけお願いがあります」
「いくらでもいいわ」
「母の分まで、俺のことを褒めてください」
泣くものかと堪えるジャレッドは、悪戯めいてそんなことを言った。少しだけ驚いたオリヴィエだったが、すぐに慈しむような笑みを浮かべると、
「もちろんよ。たくさん褒めてあげる。頑張ったわね、ジャレッド――あなたはわたくしの誇りよ」
細い腕で力いっぱい抱きしめてくれた。
ワハシュに痛めつけられた体が痛むが、それ以上に胸が温かい。
すべてが終わった実感と、大切な人の温もりで胸がいっぱいになったジャレッドは、押し寄せてきた疲労さえ心地よく思いながら、オリヴィエの抱きしめ返したのだった。




