『託宣と布告』
それは、異様な姿だった。
目測で二メートルは優に超える巨躯。その全身は頭の先から足先に至るまで、重厚な質感の鎧で覆われており、家々から漏れる灯りを反射して不気味な黒い輝きを放っていた。加えて、鎧の上には漆黒の外套が纏われており、その風体は正しく西洋の騎士そのもの。
更に。その異質さを際立たせるのは、両の手それぞれに握られた槍と盾。
右手に携えられるのは、騎士自らの巨躯よりもさらに巨大で、無骨な赤い槍。
左手に構えられるのは、騎士の巨躯、その半身をすっぽりと覆い隠せる程に巨大な盾。盾の中央には黒と白、二匹の蛇が絡み合う荘厳な紋様が刻まれていた。
「——静、あれは」
その姿は正しく、ファンタジーから飛び出してきた様そのもの。現実の景色には余りにも馴染まない、想像上の代物。
「——あぁ、間違いねー」
狭い路地に突如として現れたその姿を正面から見据えたまま、声の調子を落とし、
「——不審者だ」
静がはっきりと言い切る。
「……間違ってはないけれど」
抄帷が思わず、ジトっとした視線を送る。そんな非難めいた眼差しなどはどこ吹く風とばかり、静は囁く様な調子で言葉を続ける。
「こんな夕飯時にあんなナリで街中練り歩くなんざ、とびっきりやべー奴に決まってらぁ。あーいう手合いは相手するだけ図に乗るからな、無視だ無視。息を潜めて逃げ仰せて、後程お巡りさんに通報よ」
「……まぁ、妥当だね。了解」
不満を抱きつつも、何か別の案が浮かんだ訳でもなく。結局静の言葉に同意した抄帷が、自らの背後に星翠を隠しながら僅かに後ずさる。
「——」
その只中。理解不能に対しての正常な恐怖と同時に、星翠は奇妙な感覚を覚えていた。その感覚の正体を探ろうと、自らの記憶を辿ろうとした、その瞬間。
「———っ!」
騎士の身が僅かに沈み、携えられた赤槍の鋒が正面へと向けられる。その矛先は真っ直ぐ三人を捉えていた。
「……ダンボール製かよ、あの槍」
「……どうだろう」
赤槍の全長は騎士の体躯と同じかそれ以上。見た目の質感は身を覆う鎧と同じく、鉄を思わせる鈍い光を放っていた。仮に、その外観がそのままあの槍の材質そのものだとすれば、如何に巨躯を有すると言えど、人間の腕力で扱う事などどう考えても不可能。そしてそれは、騎士の身を包む鎧についても同じことが言えた。
ファンタジーの世界でもあるまいに、現実の人間が、本物の鎧……それも、素人目に見ても圧倒的な重装備で、満足な駆動が出来る訳がない。三人は各々、そうたかを括っていた。
——それを油断と断ずる事が、果たして誰に出来ただろうか。
こだました炸裂音。それが、騎士の両足が地面を蹴った音だと理解出来た頃には、その巨躯は既に三人の眼前へと躍り出ていた。
踏み込み、踏み締めた地面が僅かに隆起する。踏み込みなどという生易しいものではない、足裏が爆発したような炸裂音と共に行われた突進。そしてその五体は、踏み出したその力と等量の力によって急停止する。
動作は完了しつつも、突進に伴う加速は上体において継続されている。慣性の全てを右手の槍へと伝達し、放たれた一撃は、射出しないだけの砲弾そのものであった。
鋒は僅かに下方、一瞬前まで星翠達が立っていた地点の足元に突き立つ。尤も、引き起こされた破壊は〝突き立てられた〟などという生易しいものではまるでなかった。
触れた地点のコンクリートが砕け散り、数十センチ程抉れていた。槍による刺突の結果とは到底思えない、至近距離で爆撃を受けたかの様な惨状。非現実的な赤槍が、その見た目通りの性能と質量を有する事の、それは何よりの証明であった。
打ち出された弾丸の如き一閃を三人が回避したのは、全くの偶然としか言いようがなかった。
眼前の武装を九割九分ハリボテと断じながら……しかしその長大な外観から、その槍を突きつけられれば軽くは無い負傷に繋がると判断した静が、二人を騎士の左手側へと追いやった正にその瞬間、赤槍の一撃は放たれた。避けようと思って避けた、という訳では決してなかった。
赤い槍が引き抜かれる。
正面からの一撃を回避する為、身を躱わした先は民家の塀沿い。壁を背負ったその状況は、明らかな窮地。
その渦中に、声が響く。
「——貴公」
彼方に鳴る遠来の如く、重く、硬質な響きの声色。それが、自分たちと同じ人間の口から発せられている言葉だと理解するのに、星翠は約一秒を要した。言葉はそれ程に浮世離れした、荘厳な声によって紡ぎ出された。
地鳴りの様なその響きは、破壊に戸惑う三人に逃亡を許さず、その場に縫い付けるには十分過ぎる凄みがあった。
「出会い頭に矛先を向けた無礼を詫びよう」
言いながら、槍を持ち直す。今し方示された圧倒的な質量と、それに伴う破壊力。それら一切を微塵も感じさせず、軽々と扱われる非日常の凶器。穏やかな言葉はしかし、三人に不要な発言を許さないという厳然たる響きを有していた。
「訳あってそちらの少女に用がある。ついてはその娘を置いて、この場を立ち去ってほしい」
恐怖と、理解出来ない事態に対して身を強張らせる。
兜によって隠された顔。スリットから覗く眼光は確かに、仙波星翠を真っ直ぐに見据えていた。
「——————はっ」
静寂と緊張。押し黙り、各々の吐息すら響く様な夜の闇の中。沈黙を破ったのは、挑発的な響きを孕んだ花蕗静の笑い声だった。
「初手で無茶苦茶やっておいて、今更殊勝ぶってんじゃねーよコスプレ野郎。挙句言うに事欠いて人攫いの宣言とは、頭どーかしちまってんじゃねーのか」
虚勢と断ずるには、些か以上の凶暴性を多分に含んだその言葉にしかし、黒鉄の騎士が動じる事はなかった。
「無論、貴公等を傷付けるつもりはなかった。ただ、抵抗に意味がない事を先に提示しておきたかったまでの話だ」
淡々と語るその姿にこそ、虚勢や誤魔化しの類がまるで含まれないのは、誰の目にも明らかだった。
「お目こぼしで生きながらえたってかよ、有難いこった。けどな、生憎こちらのお嬢さんは只今絶賛お使いの真っ只中だ。マネージャー通して、日ぃ改めて貰いてーんだけど」
「承服しかねる。そもそも私は、貴公らに提案をしている訳では無い」
鋒が揺らめき、正面へ。今再び、三人へと向けられる。
「今一度言おう。その娘を置いて、立ち去れ」
狭い路地。鋒との距離は今や数メートル。騎士が先程見せた膂力を鑑みれば、合って無いような心許ない間合い。
——回避など、考えようも無い。そもそも騎士の言葉を鵜呑みにするならば、今三人が無傷であるのは、先の一撃が外すことを前提に放たれていた故の結果でしかない。
——理由はわからない。あんな浮世離れした騎士と面識などあろうはずもなく、自らが狙われる心当たりも無論。それでもこの場において、三人の取るべき選択など……わかりきっていた。
仙波星翠の、身柄の受け渡し。
圧倒的な理不尽……不条理な暴力を前に、要求を呑む以外の選択肢などあり得ない。
——そんな一瞬の逡巡。仙波星翠の脳裏を掠めた確かな諦観を、
「——お断りだ、間抜け」
花蕗静の拒絶と、それに呼応して鳴り響いた地面の砕ける音が、塗りつぶした。
——————
踏み込んだ足元が隆起する程の膂力。黒い巨躯はそれ自体が巨大な砲弾の様に一歩を踏み出し、全重を乗せた鋒が間髪入れずに撃ち出される。
最早瑣末な思考の介在する余地は無い。一息の先に待ち受けるだろう確実な結末に抗う術などある由もない。
固く閉じた目は、そのまま現実からの逃避。拭難い、不条理に対して身を震わせるばかりの星翠の耳が次に捉えたのは、爆撃の如き金属音だった。
一秒の静寂。鳴り響いた轟音の残響。いつまで経っても訪れない物理的な衝撃を不思議に思い、星翠は思わず瞼を上げた。上げて——その先に見えた光景に、目を見開いた。
重厚な輝きを放つ赤い槍。一瞬前までこちらへと向けられた鋒が空へ……まるで見当違いの方を向いていた。
自分を庇う様に立ち塞がる抄帷の、更に前。
決然と立ちはだかる花蕗静の左腕が、拳を握り込んだまま掲げられていた。
「——————」
一瞬、鎧の騎士がたじろぐ気配を見せる。だが、それも束の間。素早く構え直された槍が、追撃を放つ。
視認不可能。元よりこちらは皆一様に徒手空拳。回避は無論、一切の迎撃は不可能な絶対の一撃。
——————その一撃を、花蕗静の左拳が撃ち落とした。
けたたましい金属音を伴いながら、鋒が静の足元へと向きを変え、突き刺さる。接触した地面は先程と同じ様に破壊され——故に槍の威力は未だ健在である事は明白だった。
「——何者だ、貴公」
奇しくも疑念はそのまま、星翠が抱いたものと同質のものだった。そんな両者の抱いた疑問をまるで嘲笑う様に、花蕗静の口角が上がる。
「ただのガキだよ。取るにも足らねー、な」
鎧の騎士は見た。
追い詰められた絶望の断崖。彼らからすれば不条理以外の何物でもないだろう窮地において、それでも嗤うその顔を。
あり得ぬ筈の生還を果たして尚、決して怯まぬ狂気じみた笑みを。
「肝冷やして頂いたみてーでよかったぜ——超能力者の相手は初めてかよ、アンティーク‼︎」




