『異界侵攻』
先に動いたのは、黒鉄の騎士であった。
地を抉った鋒を手前に引き、更なる一歩を踏み込みと同時に刺突を放つ。
移動に伴う加速が無い分だけ、開幕の一撃程の速度はない。それでもその鋒を空手で受けるなど明らかに不可能。
依然少年少女を殺害するには十分過ぎる威力を有する事に変わりはなかった。
だが、届かない。
上体を捻る形で放たれた静の右拳が、三度赤槍を撃ち落とす。
焼き直しの様に地面を穿つ鋒。突き立てられた先、地面に破壊が起こるよりも速く、静の身体が左方向ににぐるりと旋回する。
振り抜いた右腕。その勢いをそのまま遠心力に還元して、一回転。動作の慣性に体重を乗せた静の後ろ回し蹴りが、騎士の盾を撃つ。
「!」
金属同士がぶつかり合う衝突音。正面から蹴撃を浴びた鎧騎士が数歩たたらを踏み、退く。その一瞬を逃さず、抄帷が星翠を連れ路地側……鎧騎士の対角線へと躍り出る。鎧騎士が体勢を立て直し、追走を開始せんと身を乗り出す。——だが、それも叶わない。
蹴りの反動を使って立ち位置を鎧騎士の正面へと移した花蕗静が、その行手を阻む様に立ち塞がった。
騎士が歩みを止め、槍を構える。その姿から目を離す事のないまま、静が短く吠える。
「抄帷!仙波を連れて逃げとけ!」
「——集合は!」
「ご自宅だ!頼むぜ!」
一度も振り返ることのないまま伝えた静。間髪入れずその言葉を実行へ——星翠を連れ脱兎の如く駆け出した抄帷。
後に残されたのは静寂。
水を打った様な静けさを破ったのは、黒鉄の騎士が発する遠雷の如き声だった。
「貴公は逃げなくて良いのか」
声の圧力も、風体の威圧感もまるで色褪せぬまま、放たれる疑問の言葉。余裕とはまた別の——ある種の風格すら感じさせるその声色と姿にそれでも尚、花蕗静は挑発めいた凶悪な笑みを向け続ける。
「抜かせよ騎士様。アンタの足なら背を向けた俺等なんぞ止まった的と変わりゃしねーだろ。あちら様を逃すためにゃ、誰かが殿務めねーとどうにもなんねーだろうが」
「その為に一人、この場に残るか。勇ましい限りだが……まさかその身一つで、本気で私を打倒できると思っているのか」
「はっ、それこそ悪い冗談だ。こっちは端から手ぶらだぜ?おちょくるだけおちょくったら、とっととトンズラこくに決まってんだろ」
「——手ぶら、か」
騎士の目線が僅かに下がる。兜のスリットから覗く両の目が、自ら構えた赤槍の鋒を見やる。
「では、私の槍はただの少年の……その素手で撃ち落とされた、ということか」
言いつつ、再び視線を正面へ。自らの会心の一撃を三度、非武装のまま圧した少年……花蕗静へと向ける。
「なんだい、騎士の矜持が傷付いたかよ」
肩幅に広げた両脚。左手は前方へ、右手は腰元……共に拳は緩く握り込まれ、半身を正面に向ける。
「いいや。少し、貴公に興味が湧いた」
盾を正面に。槍を持つ手は腰元に。
重心は僅かに前方、いついかなる場面からでも突撃が掛けられるように。
夜の闇、家々の明かり、狭い路地。
閑静な住宅街の中心で、双方思い思いの構えをとる。
合図はなく。両者は遂に、真っ向から衝突した。
——————
「と、抄帷ちゃん!」
息を切らしながら、抄帷に手を引かれ、星翠は夜の住宅街を駆けていた。
前を行き、見えぬその顔に目掛けてもう一度呼び掛ける。
「抄帷ちゃん、花蕗君は——!」
——言いながら、しかしではどうすれば良かったというのか。
答えを見出せないまま、子供の駄々の様に喚く事には何の意味もない。理解しながら、それでも。仙波星翠に今出来ることなど所詮その程度である事も確かだった。
二分程走った辺りで、突然抄帷がその足を止める。自らも息を切らしながら——それでも決然と、星翠に向かって笑みを浮かべてみせる。
「——静は、大丈夫。あの場面ならむしろ、私達は居ない方が良い」
「居ない方が——って、どういう……」
「……超能力は本当にあるんだよって話」
困惑するその表情に向けて放たれたのは、正しく荒唐無稽としか言い表せない言葉だった。
星翠が、驚愕に言葉を失う。そんな彼女へと向けて、尚笑顔を崩さず——抄帷は〝超能力〟の正体を明かす。
「静が『迎撃不可能』と認識したあらゆる暴力、凶器の類いの全てを無力化して『迎撃』する——それが花蕗静の超能力。陽夏君にしていた説明は、正しくそのまま、彼の異能そのものなんだよ」
「迎……撃……?」
理解が追いつかないまま困惑する星翠へと向け、息を整えながらの言葉は続く。
「発動条件は『花蕗静に対して敵意や悪意を持って放たれたもの』……あるいは『花蕗静にとって重篤な、命の危機に繋がる攻撃』である事。一対一で、尚且つ相手があんなにわかりやすい凶器を持っているなら、静は絶対に大丈夫」
「——まさかそんな……」
疑うつもりがあったわけでは無かった。
けれども言葉は、手放しに信じるには余りにも現実離れした荒唐無稽。理解の範疇、その遥か外縁に聳える御伽話の様な戯言の真意。
「——信じられないと思う。けど、これが静の……私〝達〟が『パラドクス』と呼んでいる〝超能力〟の真実だよ」
「——『パラドクス』」
逆説の名を冠する超能。
その実存は、やはりそう容易く理解できるものでもなく。
それでも。
「一番避けなければいけなかったのは、私達があそこに残って、あの騎士の標的が分散する事。手の届かない範囲で私達にあの槍が向けられれば、防ぐ事は静にも出来ない。大丈夫、私達はちゃんと最善手を選んでる。だから、大丈夫」
言い聞かせる様に。言い含めるように。ぎこちない笑顔のまま紡がれる言葉には、有無を言わさぬ説得力があった。
そして、何より。そのぎこちない笑みが誰でも無い、自らを不安にさせないためのものだと理解出来たが故、星翠はこの場においてこれ以上、事の真偽を言及することを止めた。
ただ無言で頷く。星翠の意図を汲んだ抄帷は「後で必ず、もっとちゃんと説明するから。少しだけ、ごめんね」と、付け加えてから、視線を周囲へと飛ばした。
「——どうするの、これから」
必死に息を整えつつ、声を殺して星翠が尋ねる。
「合流地点は仙波さんの家に設定したけど、現状あの騎士が一人きりって確証が無い以上、直ぐには戻れない。もし、アレと同じ様な存在がもう一体居て、それと鉢合わせでもすれば、今度は対応しようがない」
そこまで言ってから、抄帷が星翠へと視線を戻す。
「あの騎士は明確に仙波さんを狙っていた。無いとは思うけど、一応聞かせて。心当たりがあったりする?」
黒鉄の鎧。
長大な赤槍。
巨大な盾。
現実離れした風体に見覚えなどあろう筈もなく、ましてや我が身を狙われる心当たりなどある由もない。小さく首を振るその姿は、当然と言えば当然すぎる反応だった。
「ともかく、今は静からの連絡を待とう。自宅に戻るかどうかはそれから——」
言い掛けたその言葉の途中、背後に感じた何者かの蠢く気配。
「——抄帷ちゃん!」
一足先にソレを視認した星翠の叫びが終えられるよりも速く、抄帷が咄嗟に身を屈める。
乱雑に切り裂かれる夜の闇と、生ぬるい空気。その中にあって、底冷えするような風切りを耳元で捉えながら、抄帷がその場を飛び退き、身を翻す。視線を上げた先に——その異形は、在った。
薄汚れた灰褐色の肌に、まばらな頭髪。不自然に尖った耳先に、醜悪な面。額の一部は不自然に隆起し、表面のひび割れたその質感は肌というより石かなにか、硬質なものである様に見えた。
塀の上に猫背で立つその姿は、おおよそ人間とは思えない奇怪な様相であった。
「——小鬼」
うわ言のように呟かれたその単語には確かに、抄帷ですら聞き馴染みがあった。
ファンタジー・ゲーム。総じてフィクションの中にのみその存在を許された架空の悪鬼。中世ヨーロッパの民間伝承に端を発する怪異。
幻想に住まう非実存。そんな不条理が夜の住宅街の只中に佇むという、異常。
「—————————」
小鬼が嗤う。醜悪なその顔を殊更不気味に歪めて。
持て余した様にダラリと垂れ下がった、長細く筋張った両腕。その一方には、不格好な棍棒が握られている。それこそはたった今、抄帷の頭骨を粉砕せんと振り下ろされた凶器、その正体。
「——ロープレみたい、とは上手い事言うものだね」
誰に向けるでもなく、抄帷は小さく呟いた。




