跋文.
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「現実を心象で塗り潰す。能力の根幹はこれだろう」
一通りの話を聞き終えた後。しばらく考えてから、阿島京介は口火を切った。
「人の心象は単純なものではない。煩雑な感情を『世界』として具体化する為の枠組が、彼女にとっての『テサウル国物語』だったのだと思う」
「枠組——ですか」
一人掛けのソファに腰を下ろす京介の対面……同じデザインのソファに腰掛けるのは、合掌抄帷。
反芻する様に言葉を繰り返す少女へと頷いて、京介は先を続ける。
「具現化された『世界』を安定させる為の型、とも言えるだろう——ここからは仮定だが、君達が出会った……パラドクスによって生成された青年の言葉は十分ではない。彼女の心象の具現化は、登場人物だけではなかった……生成された武器、能力、世界。それら全てが『仙波星翠』という人格の投影物だったのだろう」
「……だとすればやっぱり、全部マッチポンプだった、という話でしょうか」
「いいや。そう単純な話ではない」
眼鏡の奥。抜き身の刀、その鋒の様に鋭い眼光を光らせながら。しかし、言葉だけは穏やかに——阿島京介は、少女の苦悩を肯定した。
「さっきも言ったが、人間の感情……あるいは心というのは一側面で容易く測れる代物ではない。彼女が抱いたであろう悪性も善性も、等しく彼女を構成する一部分に過ぎない。それら反立する感情に思い悩み、苦しみ、葛藤する——至極当たり前の心の揺らぎだ。そしてそれらは本来、他者の目に映ることは決して無い。『パラドクス』がなければ無論、彼女においても例外ではなかった筈だ」
「誰かにとっての善は、誰かにとっての悪、みたいな話でしょうか……難しいですね、『人間』は」
「あぁ。その人間の行動一つをとっても、その善悪、成否は多角的に変容する。他者は勿論——自らの本質を推し量ることも、人間には至難を極める」
「だとすれば、人の善性——あるいは悪性を見定める、本質的な方法などないんじゃないですか?」
「そうだな。少なくとも、俺は不可能だと思っている。だがそれは決して悲観することではないとも思っている。そもそも他者も、自身も。目にも見えない『心』などというものを正確に観測するなど土台不可能。降って湧いた絶望では無く、それらは極めて単純な、ごく当たり前の話でしか無い。ならば、『心』の在り方をどう見定めるか……合掌さん。君はもう、その方法を知っているんじゃないか?」
「——————信じる、ですか」
京介が、小さく頷く。
「根拠はなんだっていい。行動でも、言葉でも。相手が自身だとするなら、己に立てた誓いでもいいだろう。それらを観察し、判断し——最後は信じる。それ以外に、形無き『心』のその在り方を決定付ける術はない。……仙波星翠のパラドクスがマッチポンプだった訳ではない。心の在処……置き所を探す為の数多の旅路。その内の一つこそ、今回の一連——その全容であったのだろうと、俺は思う」
抄帷が軽く息を吐く。
彼女にしては珍しい、やや疲れた様な表情だった。
「自分探しの旅、ですか——それにしては全く、壮大過ぎるスケール感でしたけどね」
「そこは彼女の適正だ。『パラドクス』能力自体が極めて強力な上に、彼女の想像力……その精度が恐ろしく高かったが故の結果だろう」
「想像力、ですか——私が本体だったら、本当に大した能力にならなかったんでしょうね」
「どうかな。検証する術が無い以上、その仮定は無意味だ」
どこまでも実務的に。
どこまでも事務的に。
阿島京介は事実しか述べない。観測可能な現実、検証可能な可能性、それに伴う仮説しか、彼は口にしない。
——だからこそ。
「事実は一つ。彼女は自ら選んで、君達の元へ帰り……俺達の下を訪れた。そんな彼女の判断が誤っていなかったと証明する為にも、力を尽くそう。彼女の『パラドクス』については、俺達に任せてくれていい」
そんな彼が、任せろと言った。
抄帷にとって、それ以上の言葉は必要なかった。
ふと。
抄帷が、ずっと疑問に思っていたことを改めて口にした。
「そういえば結局、なんで仙波さんは自身の『パラドクス』を自覚していなかったんでしょうか」
京介の眉が、微かに動く。
——それは確かに、阿島京介にも明確な答えが見つけられない問い……この一連における、残された最後の謎でもあった。
『パラドクス』能力者は、当該能力の発現に伴い、その能力の全容を理解する。各能力の共通項が極めて少ない『パラドクス』における、数少ない絶対的ルール。
「『パラドクス』能力そのものの研究が進んでいる訳でもなし、判断が難しいな。当人に聞いても、決定的な手掛かりは見付けられなかった上に、彼女自身が既に『パラドクス』を自覚している以上、調べる術もない」
「検証不可能——考えるだけ無意味、か……」
阿島探偵事務所で二人。
沈黙は、暫しの間続いた。




