『仙波星翠のパラドックス』
——————
才能が欲しかった訳じゃなかった。
ただ、私がここに居ても良いんだと、自分自身が納得出来る何かが、ずっと欲しかった。
内気であがり症。大事な場面でポカをする、間の抜けた子供。物心がついた頃には既に、私という人間に対する周りの評価というのはこんな感じで固まっていたし、実際そうであったと思う。
思ったことが上手に言葉にできない。
伝えたい想いが表現出来ない。
そんなことだから、仲の良い友達なんていうものが出来る訳もなく。小学校に上がった頃には、私はもっぱら物語の世界へと逃げ込むのが癖になっていた。
物語が好きだった。
荒唐無稽な冒険譚。
心奮い立つ英雄譚。
それらの物語を読んでいる間だけ、私は、逃げ場のない鬱屈とした私自身を取り巻く現実を忘れることが出来た。
そして、何よりも。
物語の中には、私が居ない。
何も出来ず、無価値で、無意味で。誰にも彼にも迷惑を掛けるばかりの、大嫌いな自分が存在しない、静謐で完成された幻想の世界。文字を追って、心を委ねて。そんな物語の世界に浸ることだけが、私の唯一の救いだった。
物語を自分で書こうと思い立った理由はもう覚えていない。
大好きだった『テサウル国物語』の登場人物のその後や、同じ世界の別の地点で起きていたであろう出来事を妄想し始めたのが始まりではあったように思う。
キッカケと呼ぶには些か脆弱な出発点を経て、誰にも明かされる事のない瑣末な趣味として、細々と、私は物語を書き続けた。
技術の巧拙など言わずもがな。素人が好き勝手に書き散らす、物語と呼ぶにも烏滸がましい稚拙な文章。でも、それでよかった。産み落とされた物語は私自身の為だけのもので、それを誰かに届けたいだなんて、考えたこともなかったから。
転機、なんて大それたものではなかったけれど。
灯ちゃんに勧められて応募した、学生文芸コンクールで、私の書いた物語が優秀賞をとった。
もちろん、選考では複数の作品が選出されたし、途方も無い偉業を成し遂げた訳でもなかった。それでも、生涯日の目を見ることは無いと思っていた私の世界が、現実に認められた気がして、嬉しかった。
——けれど、何よりも嬉しかったのは。それを読んでくれた母さんや灯ちゃんが、言ってくれた言葉だった。
素敵なお話だった。
読み終えて、笑顔になれた。
幸せな気持ちになれた。
——嬉しかった。きっとこの世界に、これより嬉しいことはないんじゃないかって位、たまらなく嬉しかった。
貰った言葉が嬉しかったんじゃない。
そんな想いを、誰かに伝えることが出来たことが嬉しかった。これもまた酷く烏滸がましい話だろうけれど、誰かの心を温かく、幸福にするその手助けが出来る物語を生み出せた……その事実が誇らしく——嬉しかった。
こんな嬉しさを、もう一度味わえるなら。
どんな辛く、苦しい時間も乗り越えられると思った。
けれど。現実はフィクションじゃない。
雑誌・webの公募。
インターネットの投稿サイト。
書けども書けども。私の物語が、具体的な評価を得られる事はなかった。
愛してやまなかった『テサウル国物語』。
ページを捲ればいつだって、私を幻想の世界へと誘ってくれたその文字列は。いつの間にか、私自身の才能不在を突き付ける、これ以上ない凶器へと姿を変えていた。
『心配してもらえたのは、嬉しかった?』
その通りだった。
この世界で自分自身の価値を見失って、再び〝ここに居て良い理由〟の全部を失くしていた私にとって、降ってわいた『誰かに案じてもらえる』状況は——酷く心地が良かった。
そして、同時に全てを理解した。
その事実を突き付けられて……私はもう、二度と顔を上げることが出来なかった。
友達を危険に晒していたのは、私自身。
その犠牲を心地良いと感じていたのも、私自身。
醜く愚かで救い難い、無価値で無意味な伽藍堂。
私は、ここに居ては、いけない。
——————
「嘘だよ」
声が、聞こえた。
その声は、知っていた。
目線を隣にやれば——そこに、今一番会いたくない友達の姿があった。
「——抄帷ちゃん」
「聞こえたよ、全部——嘘だよ、仙波さん」
言葉の意味がわからずに、途方に暮れる。
そんな私の様子に——珍しく、小さな微笑みを浮かべながら。抄帷ちゃんがもう一度、念を押すように言う。
「嘘だから。知ってるよ、仙波さん」
「——————っ」
嘘じゃない。
私は醜くて、愚かで、無意味で、無価値で。ずっと二人を傷付けて——これからまた、みんなを傷付けようとしている。それが本当で、それが全部で———
「あなたが助けてくれた」
それでも。彼女は、とても真っ直ぐな眼差しで言葉を続けた。
「どうにもならないところまで追い詰められて。きっと、自分自身の事を考えるだけで精一杯なところに立って。なのにあなたは、ラキエスさんと『名無し』さんを私達の所に送り届けてくれた。あなたはずっと、私達と一緒に戦ってくれていた」
それは、自分自身を救う為。
「それよりも前には……マールスさんも女王デケムも、私や静を殺そうとはしてこなかった。小鬼ですらきっと、その気になれば私達を殺めることなんて造作もなかった筈なのに。そうならなかったのは、彼らにあなたの心の一欠片があったから」
それは、ただの結果論。
事実、女王は抄帷ちゃんを殺そうとしていた。
「本当の本当にそのつもりだったら、私は今ここには居ないよ。女王にそのつもりはなかったんだろうけれど——きっとあなたの無意識が、私達を守ってくれてたんだと思う」
根拠はない。確証はない。
「そうだね。だけど、私はそう信じてる。あなたの〝本当〟が、誰よりも優しいって、私は信じてる」
————……——。
「——お礼を、言いそびれてたから。仙波さん、ありがとう。ここまで私達を守ってくれて。私はもう、大丈夫だから。今度は——今度こそ、私があなたの力になるから」
——————。
「見知らぬ誰かの為じゃない。花蕗静への憧れでもない。今ここに居る私が、私自身のために、仙波さんの力になりたい。だからもう一度——あと一度だけ、力を貸してほしい——だって、私は知ってるから」
——————私は——————
「——あなたはもう何度も、顔を上げている。倒れても、何度でも立ち上がってる。もう二度となんて嘘だって、私は知ってるから」
——————私が。




