『玉座』
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城の扉は、余りにも呆気なく開け放たれた。
侵入者を拒むための堅牢な壁はしかし、異物たる贋物の勇者と異界の少女を咎めない。どころか、一人でに開かれたその入り口は、或いは彼等を嘲笑い、歓迎する様ですらあった。
広い中央通路。
両脇には石造りのベンチと、壁には厳かな彫像。
その最奥の、荘厳たる玉座。そこに、彼女の姿はあった。
「随分と遅かったわね!てっきり道半ば、気が変わって踵を返したものかと思ってしまったわ!」
———女王デケム。
産み落とされた幻想世界の頂点。君臨者にして絶対者。
幻想を以て現実を塗り潰さんと画策する、最強の逆理。
純白のドレスを身に纏った絢爛可憐な出で立ちには一片の曇りも無く。間を置いて尚、その美しさは微塵も翳ることがなかった。
『名無し』が聖剣『汀』を構える。
何か一つの合図があった訳でもないまま、幻想の君臨者もこれに応える。
現実と幻想。相反する旗印の下に集った両者の決着の在り方など、これはもう一つきりしかあり得ない。
どちらかが朽ち果てるまで。力尽き、屈服するその瞬間まで。それ以外の決着はあり得ない。
——その、筈だった。
「女王デケム」
空気が凍る。
その動作は、言葉は。立ち塞がる女王にとっては無論、共にここまで連れ立ってきた幻想の剣士にとっても、全くの予想外だった。
「———口火を切るのがお前だとは思わなかったわ!無価値な伽藍堂には興味が無いと言ったのに、私の言葉が伝わっていなかったのかしら?」
「お言葉だけれど、それなら多分貴女よりも身に染みているよ。自分の無力も、無能も——だからそうだね、『伽藍堂』というのは確かに、私を言い表すにはこれ以上ない言葉だと思う」
「退屈な言い様だこと!それで?あれだけ私に大口を叩いて、その上で自らを空っぽだと認めて。それでも懲りもせず、こんなところまでやって来て——一体お前は何がしたいんだい?」
「——勿論、友達を迎えに」
「あはは!」
女王が嗤う。
心底からおかしそうに、見下す様に。
軽やかなその笑い声が、広間に反響して木霊する。
「この期に及んで、なんて退屈!やっぱりお前は、ここにいるべきじゃないわ!これならばやはり、シジマにきて欲しかったわ!」
刹那。空間を満たすのは、黒き極光。
貫かれた対象を惨殺する人外の異能。天上の兵器。
〝虐戮の天印〟が女王の頭上に展開される。
「お粗末な結界でも捨てたものではないわね。お前の首元に直接、この鋒を突きつけられないのは些か不便だわ。けれどまぁ——」
優雅に掲げられたしなやかな細腕が、ゆるりと振り下ろされる。
「だからどうという話でもないけれど」
その号令に従い、無数の〝天印〟が一斉に抄帷目掛けて飛ぶ。
合掌抄帷は退かない。
視線を外す事はおろか、呼吸一つ乱さない。
暗澹よりも尚深い、深淵を掬い上げた様な黒い輝きを放つその双眸は一瞬たりとも揺らぐ事なく、女王デケムを見据える。
その眼前を、一筋剣閃が疾った。
流麗とは程遠い。剛腕にも及ばない。
けれどもそれは確かに、合掌抄帷を守り抜いた勇敢な一振り。幻想世界、数多の戦場で鍛え上げられた凡夫の剣技。
「——不格好なだけならまだしも、邪魔立てまでするとは。贋造物の分際で、ほとほと腹立たしいわね」
放たれた無数の〝天印〟を撃ち落としたその剣を構え直しながら、『名無し』は一つ息を吐く。
「紛い物はお互い様だろう。それを理解しているからこそ、貴女はセンバホシミを求めた」
「つまらない誤解だわ!私が欲しいのはアレの能力——忌々しくも素晴らしい、逆説の異能だけ。あの娘自体にはとんと、興味の欠片も湧かないわ」
空想世界で現実を塗り潰す、仙波星翠の『パラドクス』。
その能力の規模、精度は今や常軌を逸していた。
「あの能力——確かにあれだけは、あの伽藍堂の唯一の才能ね。けれどそれも束の間。間も無くあの能力は、正しい持主へと渡る」
幻想の君臨者。
絶対的な威光を放つ絶対者と、何者でもない少女。
異能に相応しい者がどちらかと問われれば——答えは最初から、分かりきっていた。
——だがそれは。
けれど、そんな事は。
「どうでもいい」
「——————は?」
合掌抄帷は目を逸らさない。
何故なら彼女は、もう知っている。
誰かが何処かに居ていい理由も、そこに在ってはならない根拠も。この世界には等しく、存在などしていないと言うことを。
「仙波さんに異能があるかなんて、興味もない。勝手に与えられた、身に覚えのない超能が彼女の価値だなんて、そんな言葉を真実だなんて認めない。彼女自身の価値なんて、私達にはわからないし——知った事じゃない」
合掌抄帷は知っている。
価値があるから救いたいとも。
無価値であるから捨て置くとも。
そんな思考の全てが、まったくもって的外れだと。
「彼女に価値があるから助けようなんて思ってない。意味があるから救おうだなんて考えたこともない。自ら選んで、ここまで来て——そして今は、彼女だから助けたいと思ってる」
「——本当に退屈な上に、愚か。お前の言葉にはなんの正しさも無いじゃない」
極光が再び広間に顕現する。
それでも尚、合掌抄帷は退かない。
「正しく在りたいなんて思ってない。何が正しいかなんて、今更貴女と議論を交わすつもりもない。そもそも貴女は思い違いをしてるよ、女王デケム。私達逆理にとって、正しさは信じるものじゃない。疑って、塗り潰して、捻じ曲げるだけの、ただの〝現実〟だよ」
「ならその退屈な矜持ごと、今この場で塗りつぶしてあげる!」
再び牙を剥く〝天印〟。
当然、その間隙を縫って距離を詰める術など、合掌抄帷にはない。
『故に』。
「——っ⁉︎」
合掌抄帷と『名無し』。二人の足が地面を蹴ったのは、〝天印〟射出よりも一歩早かった。
巨大な通路を左右両端に分かれ、全速力でデケムの下を目指す。
女王デケムに僅か、困惑の気配が。
自らの身を守る一切の術を持たない抄帷が、その盾となり得る剣士の側を離れ、別行動を選ぶ。到底理解し難い蛮行であった。
故に、一瞬の躊躇が生まれた。
本来、対象を選ぶ必要などない。
圧倒的質量を有する『虐戮の天印』の前には、別行動による撹乱など何の意味もない。小細工も策略も、全てを塗り潰す数的優位。女王デケムが手をこまねく道理など、ある筈がなかった。——今、この場を除いては。
〝白衣〟発動の神殿。広大な城の内部はしかし、〝天印〟の最大出力・効果範囲には遠く及ばぬ手狭さだった。女王がその気になれば、城諸共二人を圧殺する事など、造作もない。
故に、出来ない。
侵入者二人を圧殺したとて、神殿が倒壊すれば〝白衣〟は起動しない。最大の達成目標の瓦解——その懸念が、本来無敵とも呼べる女王デケムの判断を一手、鈍らせる。
「——————!」
苦々しい顔で、デケムが腕を振る。
その矛先は——幻想の剣士。
女王デケムにとって、合掌抄帷の存在は余りにも取るに足らない。無能力の無価値、なんの役にも立たぬ伽藍堂。仮に接近を許したところで、何ができると言う訳でもない。それよりも優先するべきは、『汀の聖剣』。無力な少女など、『名無し』を屠った後いくらでも相手をする。——いつでも殺せる。
———そう、貴女なら考える———!
必要なのは、時間。
たった一瞬。ほんの細やかな刹那でいい。
「『文は遠く彼方へ。言葉は遥か海原へ』!」
嵐の様に放たれる〝天印〟を捌きながら、『名無し』が言の葉を紡ぐ。その文言の意味するところに——遂に女王デケムが眉を顰めた。
追い詰められた窮地。絶望の土壇場で詠唱されたのは——『伝心』の魔法。『テサウル』で魔術を志す者ならば誰しもが使用できる、極めて単純な意思疎通の魔法。不特定多数に、自らの思考を伝播させる——この期に及んでなんの意味も持たない、細やかな魔法。
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だが、それでよかった。
それが、よかった。
今必要とされるのは、天より舞い降りる光の柱でも、蒼穹を埋め尽くす蒼い雷でも、境界に楔を打つ聖剣でもない。
欲しいのは、届けたいのは、必要なのは。
「——————仙波さん‼︎‼︎」
たった一つ。想いを乗せた言葉、ただそれだけだったのだから。




