「私は確かに、此処に居た」
地下深くへと封印される寸前——それよりも更に手前。恐らくはマールス・ブロワの手から離れる、その刹那。起動された、魔導兵器としての『大葬』の機能。質量を有する濃霧を操る広域高出力攻撃。
無論、手放されるあの一瞬で大規模な攻撃動作の命令など出来る訳もなく。故にそれは、騎士にすれば単なる保険に過ぎなかった。
自らがその使命を全う出来なかったその時。自身に代わって、女王にとっての障害——〝雷霆〟ラキエスと〝パラドクス〟花蕗静を殺害できる様に。
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威力は最小限。速度も緩慢。それでも尚、鋒は十二分命に届き得る。唯一懸念があったとすれば、タイミング。
花蕗静がその鋒を捉えれば、その異能はいとも容易く彼の保険を握り潰す。故にその発動には細心の注意を——花蕗静とラキエス・シーシス、二人が共に防御を解除した、最も緩んだ一瞬を狙う。
思惑通りだった。
パラドクスを解除した花蕗静はただの人間に過ぎず、背後から迫る無音の槍には気付きもしなかった。
——唯一の誤算。
それは〝雷霆〟ラキエスが、自身よりも、異界の少年を選んだ事——
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振り返ればそこには、先程まで自らの傍にいた筈のエルフの少女。動作の意味を問い掛ける暇もなく、躍り出る様に背後へと飛び出した、華奢で小さなその身体が今、苦しげにくの字に折られていた。そしてその原因は、あまりにも明白だった。
腹部から背中へ。
貫通したのは濃霧の槍。
吹き出した鮮血と、水っぽい音の咳。
濃霧の槍が解けて消える。
最後の起動命令を完遂し、所有者を喪失した『大葬』が今度こそ遂に、その全機能を停止した。
槍の消えた後に残されたのは、華奢な身体に穿たれた手のひら程もある、穴。向こう側が透けて見えたのは一瞬……重力によって内部で崩れ去った臓腑と、バケツをひっくり返した様な出血が、微かに見えていた向こう代わりの景色を紅く塗り潰した。
「——————ラキエス」
グシャリと膝を突き、首を垂れて項垂れる。
その膝下は見る間に赤く、あり得ぬ程の出血で出来た血溜まりで染め上げられた。
その身体が、ゆっくりと振り返る。
虚な目には未だ光。ただしそれは、間も無く消え失せる束の間の灯火。鼻と口からも血は溢れ出し、白く透き通る可憐な面持ちは今や痛ましく血で汚れきっていた。
「——————ラキエス」
静が、まるで譫言の様にもう一度、その名を呼ぶ。
感情の一切がすっぽりと抜け落ちた様な、呆けた顔で呟かれた自らの名に、
「——————」
柔らかく、穏やかに。ラキエスが、笑った。
「防御は、間に、合わなかったが——回復、が、撃てたから。あと少しだけ、の」
言うや、ズルズルと苦しげにその身を引きずり、静のすぐ側まで進む。
引き摺られた後には血の跡と、破壊された臓器、肉体の残骸が取り残されていた。
二枚舌。
如何なる時にも思考を巡らせ、言葉を操ってきた。
自らの窮地においてすら揺るがなかった花蕗静が、押し黙っていた。言うべき言葉など、見付かりはしなかった。
距離にして三歩分。
躍り出てたその距離を、ゆっくりとゆっくりと埋めて、ようやく辿り着いた少年の側。
少女の掌が、翳される。その向かう先は——花蕗静の、損壊した右腕。
「——やめろ」
制止は聞き入れられない。
弱々しくも温かな光が、静の腕を包み込む。
「——こんなもん、擦り傷だ。それより何か……何か出来ることはねーか?なんでも、なんでもいいから——」
言葉に、ラキエスが吹き出した。
弱々しくも……けれど、心底から嬉しそうなその表情の意味がわからず、静が困惑を示す。
そんな彼へ、向けられたのは——やはり、笑顔だった。
「最期まで、アホな事を言う男だの——もう十分、して貰っている」
「——————」
「主らには、わからんだろうが、の。死ぬ事は——恐るるに足りん。道半ば……何一つ成し遂げられず、命を落とす——我々の世界では、取り立てて珍しくもない。だから、死ぬ事など、怖くはない——ただ……」
「——ただ——?」
「寂しくは、ある。見知らぬ場所で、家族や友人とも会えず、力尽きる——その孤独だけはきっと、主らとて、変わらぬだろうの——」
翳されていた手が、包み込む様に。花蕗静の手を握った。
優しく、柔らかく、愛おしむ様に。
「けれど、今、私の側には主が——シジマが居る。寂しさを感じる隙も、ない——だから、十分だ」
ラキエスが大きく咳き込む。
息苦しげなそれに伴い、小さな口からは両手に収まらない程の血が吐き出された。
それでも。笑顔は止まない。
「私の、人生、最期の魔法だ——ありがたーく、受け取ると、良い——」
ラキエス・シーシスは、死ぬ。
それを止める手立ては、ない。
横たわる現実に——それでも抗う術があるとすれば。
独りきりの孤独に凍える彼女の為に出来ることが、何かあるとすれば。
「——————それもそーだな。んじゃ、お言葉に甘えて、悪ぃがしっかり治してくれよ、魔法使い」
声は震えていたけれど。
それでも絞り出された、最後の〝いつも通り〟に。
ラキエスはより一層、嬉しそうに笑った。
——————
「そいや、『名無し』に伝えとく事とかあるかよ。日頃の鬱憤やクレームでも良いけどよ」
「——特に、思いつかんかのー。あれも私と一緒で変なとこ偏屈で頑固だから——まぁ、精々頑張れとでも、言っておいて、おくれ」
「頑固、ねー。ま、確かにそんな感じするわなー」
「そうそう、トバリに謝っておいてくれんかの?」
「抄帷に?なんでだよ」
「いやー…道中悪ノリが酷かったからのー……」
「はっ。ま、コンプライアンス的にはクソだけどよ……けどやっぱやりたかったよな、グルン」
「ぬはは……間違いないの——」
「他にはなんかあるかよ」
「そうだのー……」
「………………」
「——…………——のう、シジマ」
「あぁ」
「——…………独り言、だけど、の」
「…………あぁ」
「……………………怖い」
——————
〝雷霆〟の魔法使い。
五百年を生きたエルフ。
そんな肩書きや能力、外見の奥底から最後に溢れ出したのは、震える様な声だった。
「私は〝ラキエス・シーシス〟ではない。選び取った真実は揺るがぬと言い聞かせてきたけれど。何者でもないまま、何者であるという証明も持てぬまま朽ち果てて、誰からも忘れ去られて、結局〝私〟が此処に居たことすら世界中からなかったみたいに扱われるのが、怖い。怖い、怖い……っ‼︎」
大粒の涙をボロボロとこぼして。
血に濡れた顔を歪めて泣きじゃくる幻想の英傑。
震えるその手を——花蕗静は今度こそ、自分から握った。
「馬鹿言えよ、本当に——アホはどっちだって話だぜ」
子供の様に崩れた表情の奥の涙目を真っ直ぐに見つめて。
「世界中がアンタを忘れても、俺が覚えてる。世の中の全部が、アンタなんか居なかったって宣うんなら、その中心まで出向いてってアンタが居たんだって吠えてやる。何者もクソもねーよ……アンタは俺のダチだ」
——————
それは救いになっただろうか。
慰めにも満たない、戯言でしかなかったろうか。
けれど確かに、彼女は此処に居た。
それでも。
その光景を。その言葉を。
きっと生涯、忘れることはないと思った。
血に濡れて尚可憐に。
涙の跡すら気にも留めず。
最期に口にされたのは、小さな感謝の言葉。
そして。次の言葉がその口から紡がれる事は、二度となかった。




