『後始末』
魔導兵器『破碌の大葬』。
持ち主を失い、取り残された赤い槍が、地中深くへと沈み込んでいく。
浮遊魔法の最大出力による、遙か遠方への本体強制退場。更に万が一に備え、彼の最強の武器を物理的に、地中深く封印する。打ち合わせる事なく実行された、逆理と魔法使いによる最後の共闘策。決して打倒することの出来ない幻想の頂点に対する弱者の答え——その結末として、二人は未だ健在であった。
可能な限り深くまで『大葬』を沈ませて、ようやくラキエスは一息吐く。その額には大粒の汗が滲んでおり、浅い呼吸は肩を揺らしていた。
〝虐戮の天印〟、その包囲網を突破したところから始まり、黒鉄の騎士との戦闘。そもそも魔力消費の激しい浮遊魔法の連用に、大火力魔法の連発——終いには奥義とさえ言える切り札、〝白雪〟までも放っている。ラキエス・シーシスは既に、限界寸前であった。
——だが、泣き言を言っている暇はない。
振り返ればその先には、血塗れの姿。
力無く地に伏す、花蕗静の姿があった。
「——シジマ!」
ラキエスが駆け寄りその横にしゃがみ込む。
仰向けに倒れ、苦しげに呼吸をするその姿。鮮血に染まった、土塊塗れの体躯。
右前腕の外側面。手の甲がわの肉は大きく摩滅し、引きちぎられた筋肉のそこかしこからは、夥しい量の出血があった。
「——本当に、全く、無茶苦茶ばかりしおって——!」
言いながら、ラキエスは杖を手放し、傷跡に向けて両手を翳した。
新緑色の光が花蕗静の腕を包み込む。
ぼんやりとしたその光に目を細め……静は小さく笑った。
「——お互い五体満足、欠品無しで喜ばしい限りだぜ……流石の手腕だ、魔法使い」
「アホな事を——というか主はもうずっと、アホな事しか言っとらんがの!全く、これで主に死なれでもしたら——」
そこから先を紡げず、ラキエスは口を噤んだ。
瞳に映るのは、後ろ暗さと罪悪感。色濃い負の感情がせめぎ合うのを見て、静は無理やりに体を起き上がらせる。
半身を起こし、互いに地面に座りながら。
ずっと揃う事のなかった視線の高さが、ようやく同じ標高に揃った。
「ソイツぁ悪かったな。けどお生憎だ、こっちも——あぁいや、違うな……ちっと待ってくれ……」
言葉を切り、静が僅かに考え込む。
腕の治療は引き続き、されるがまま。
「——?」
ラキエスが小首を傾げる。
見た目には少女にしか見えない彼女の本質は、けれどもその外見とは大きく乖離している。
空想の五百年。幻想の解釈。実存の感情。
それらが逆理——『パラドクス』という本来存在し得ない逆説の異能によってないまぜにされて顕現した、仮初の虚像。
その姿にそれでも。
変わる事のなかった想いが一つ、あった。
「——あんなどさくさ紛れみてーな形で、アンタとこれっきりってのが気に入らなかったんだよ」
「——」
傷口に翳された少女の掌が、微かに震えた。
「アンタの言葉は正しかった。『名無し』の論理にゃぐぅの音も出ねー。それでも俺は、連中にアンタを好きな様にやらせるのは我慢ならなかった。先の見えた片道限りの乗り合わせでもせめて、〝あばよ〟はテメーのタイミングで言いたかった。だから、助けに来た——そもそもこの我儘の手本はテメーだぜ。文句あるかよ、魔法使い」
伏せられた目には光が。
この身には到底不釣り合いな——燦然と輝く実存の煌めきがあった。
「——全く、物好きな男だの。私らは主を騙し、利用して、目的を果たそうとした……そもそも気高き『本物の』ラキエス——『テサウル』の存在ですらないというのに」
「テメーの力が及ばねー望みの為に誰かの力を借りる事を、俺らの世界じゃ利用したとは言わねーよ。騙くらかしたってのはその通りだろうけどよ……それだって、おいそれと言い出せる程ライトな話じゃなかったってだけだろ」
自身は、存在しない。
この感情は、偽物だ。
それを言葉にする痛みなど、大凡想像も付かない。
その痛みが偽物だなどとは、どうしても思えない。
「だから別に、構いやしねーよ。怒っても苛ついてもねー……俺も抄帷もな。だから別に、アンタが何か気に病む必要なんかねーよ」
「……本当に、無茶苦茶な論理だの。整合性も合理も、どこにもないではないか」
「あたぼーよ。何遍も言ってんだろ、俺らは端から逆理だ。そーいう〝当たり前〟に唾吐くのが得意なんだよ。それにテメー、こちとら令和の法治国家育ちだぜ。今時人の生き死にで御涙頂戴なんて流行んねーよ」
「……人の覚悟を掴まえて、無茶苦茶言う奴だの」
「ソイツは失礼。気に障ったかよ、魔法使い」
正しくなどなかった。
それでも、証明してみせた。
空想の五百年も、幻想の解釈も、実存の感情も届かない。
ただ一つ……今目の前に在る自らにだけ届けようとされた、稚拙な想いと言葉は、
「——いいや、えらく気に入った」
遂に確かに、ラキエス・シーシスへと手渡された。
「とは言え、私も主も虫の息だからの。身を削って救ってもらっておいて申し訳ないが、この先の戦い、私は役に立てそうもないぞ——まぁ、それは主も変わらんがの」
「はっ——別にアンタのスペック欲しさにノコノコ出戻った訳じゃねーよ。さっきも言ったろ?あっちはあっちに任せて、俺らは俺らで寛いどきゃいーんだよ」
「——それもそうだの」
——————
幻想対現実。
短くも長い戦いの果て、取り戻されたのはそのどちらかでは無く。故に、二人は緩く笑い合った。
現実に挑んだ現実と、幻想を打ち破った幻想。
交わらぬ筈の二人は並び立ち。
此処に確かに、戦いの幕は下ろされた。
——————
刹那。
花蕗静の視界が、赤く染まった。




