『決算』
「……飛んで追って来るってのはしねーのか」
「彼奴は間違いなく『テサウル』最強の騎士だが、人外ではない。先程の雷翼竜強襲も、『大葬』の能力……あの、質量を持った霧によって造り出した槍を登って来たに過ぎん」
再び集結し、収束し。巨大な一つの塊として、超大な槍を形成する赤い濃霧を見下ろしながらの疑念に返された答を受けて、静が眉を顰めた。
「……もしかしてこのまま空飛んでりゃ良かったりする?」
「せんわアホ、先に私が干からびるわ。それにこの飛行も止むを得ずだしの——来るぞ!」
上空より降り落ちるは、赤黒い影。
地上より舞い上がった濃霧は、上空に滞留する二人の更に上にて渦巻いていた。
飛行する対象を、更に頭上から圧殺する。
空を渡る手段を持たない黒鉄の騎士による、莫大な質量にものを言わせた、武力を超越した量的暴力。
退ける為には高火力かつ広範囲の魔法の運用が必須。
加えて、人体を浮遊させる魔法は消耗が激しい。
これらの理由から、この土壇場に至るまで、ラキエスは上空への退避を実行には移さなかった。
「——ラキエス!降りるぞ!」
言葉の意味を問うより先に、動作は実行に。
上昇した時と同じ様に、弾丸の如き速度で二人の体は地面へと向かう。
「『凍てつく極光と水面、冷え落ちる薄明と安穏。苛む沈黙、立ち消えぬ静寂。彼方に霞む乾雪、幾星霜の微睡。厳冬に在って尚荘厳に、その威光を示す——名を、〝雷霆白雪〟』‼︎」
矢継ぎ早紡がれるは五文節の詠唱。
〝雷霆〟の魔法使い、ラキエス・シーシスの持ち得る最大最強火力の〝冬を裂く雷〟。
轟音と共に天空一帯を焼き払う蒼い稲光に、紅き濃霧は再び掻き消された。その様を見上げ、見送って。黒鉄の騎士は紅き〝城砦穿ち〟——大槍『破碌の大葬』を構え直した。
上方。
人外の速度で突撃する落下速度を、無双の騎士の反射速度が上回る。
上段へと向けられ放たれた一突き。
最短を最速で疾る、流星の煌めき。
戦場駆ける数多の兵の数々を屠り去ってきた、正しく必殺の一撃。
但し相手は常理の外縁——逆理を携えた逆説の異端。
花蕗静の『パラドクス』がある限り……それがどれだけ強力無比であろうとも、単一の攻撃がその命に掛かる事はあり得ない。
右手に握られた赤き槍。
逆説の異能によって迎撃された鋒は下方、地面を深々と抉った。
その、円錐状の鍔を踏み付け、間髪入れずその場で踏み込む。
胸元へ引き寄せられた膝。踏み込みと同時に完了していた予備動作を経て放たれるのは、直線——最短最速を跳ぶ、前蹴り。狙うは、撃ち落とされた槍の重心に引き摺られる形で前方に迫り出した、頭部。
至近距離。
着撃までには半秒も要さないその間合いにおいて、技術の巧拙は最早意味を持たない。
撃てば当たる。にも関わらず、当たらない要因があるとすれば——それこそは正に、両者の力の差。
驚異的な反応速度で首を横に倒し、最短を迫り来た蹴り脚を最小の動作で躱す。
空振った勢いのまま、静の体が大きく前のめりにバランスを崩す。そしてその体躯が、足場ごと大きく持ち上がった。
決して軽くは無いその身体を乗せたまま、槍は真上へと振り上げられた。
まるで枯葉か何かの様に、いとも容易く、その長身が上空へと投げ出される。間髪入れず、マールスが半歩後方へと飛び退く。そして、槍と盾両……腕を大きく広げ、その着地を待ち構える。
花蕗静の『パラドクス』、その最大の弱点。
防御を担う両腕を押さえれば、三手目を防ぐ事が出来ないという、肉体構造上の限界。
仮に。落下に合わせて槍を放ったとしても、それが点の攻撃なら、迎撃は実行されるだろう。ならば、選び取られる動作は、面による挟撃。
着地の瞬間を潰し、その上で『大葬』の濃霧でその身体を刺し貫く。合理の化身、百戦錬磨の騎士の判断は一瞬だった。
迫る着地。
静の両の脚が地に着く、その刹那。
「『駆けるは亜音、疾るは閃光』‼︎」
唱えられた短い詠唱と共に、蒼き雷が低空を這う様に疾った。
大気を引き裂き、空気を焦がす。
上空で放たれた最大出力には遠く及ばない雷撃はしかし、速度……その一点においてのみ、これまで彼女が見せてきたあらゆる魔法の中でも突出した一撃であった。
正しく閃光。
静の蹴りなどとは比べるべくも無い、比喩の枠に収まらない、光の速度で大気を切り裂く三本の稲光。
焼け焦げた空気の匂いだけをその後に残して、雷はマールス・ブロワの両腕と胸部を撃ち抜いた。
無論、打倒を成し得るだけの威力は出ない。
だが、渾身の挟撃を狙ったが故に大きく広げられた体躯……その安定を奪い、たたらを踏ませるには十分な三連撃。
崩れた姿勢、解かれた構えを目にして、静が叫ぶ。
「ワンチャンスだ、ぶっ飛ばせよ!」
着地までの一秒。
ラキエスがその一言の真意に到達するのと、黒鉄の騎士が体勢を立て直したのはほぼ同時。
黒鉄の騎士の眼光が、眼前の花蕗静——後方のラキエス・シーシスを交互に見やる。
それは、一瞬の暇。
自動迎撃の逆理と、詠唱を以て高火力を実現する魔法使い。この先の一秒、その戦況を判断するための思考。高速で回転するその逡巡はけれど、今この場においてのみ、決定的な隙となる。
花蕗静は迷わない。
限られた手札、縛られた条件、数少ない選択肢。
異能を持つだけの凡人が、戦場を駆ける本物の兵と渡り合おうというならば、思い悩む暇などありはしない。
思考は行動よりも遥か前に。
後悔や反省を挟む余地も無く。
この一動作だけが、マールス・ブロワ——剛腕無双の幻想、そのあらゆる動作の一歩先を行く。
自ら開いた半歩の間合い。そこから更にもう半歩、雷撃によって押し返された黒鉄の鎧……その眼前。着地と同時に踏み切った、花蕗静の体躯が跳ぶ。
身体能力の全てを最大動員し、高速の旋回と正確な狙いを両立させる。
繰り出されるのは、最後の大技。
回転飛び蹴り——名をアルマーダプランド。
長く続いた戦いを象徴する、カポエイラの一撃。
その一撃が、この一瞬のみ無防備となったマールスの頭部を正確に撃ち抜く。
マールスの体勢が、崩れ落ちる。
崩れながらしかし、次の一手は間を置かず。
不覚の一瞬を省みるよりも速く、ぐらついた体勢のまま——それでも狙いは正確に、花蕗静の喉元へと向けて、槍の一撃が。数多の死地を生き延びた戦士としての本能が、屈服では無く反撃を選んだ。
——————
この一撃。
たった一回きり。
これまで交わされてきた全ての技、思考、行動。それら全てはただ一度だけ……百戦錬磨の剛腕無双、戦場の覇者マールス・ブロワに、やぶれかぶれ——当人の意思が介在しない、反射によるこの一撃を引き出す為のものだった。
今日この一瞬。
積み上げてきた全ては、この一撃の為に——
——————
変幻自在。
鍛え抜かれた思考と、磨き上げられた技術。
それらに裏打ちされた槍術を制する事など、絶対に出来ない。
だが、花蕗静は知っていた。
踏み越えてきた夜の中、学習は完了していた。
搦手、策略……それらが混じらない、真っ向からの一撃。
その初手が狙ってきたのは、常に喉元——頭部だった。
窮地でもない。危機でもない。
それでも、動作は限定した。
選んだつもりで選ばせた、想定可能な一撃。
軌道がわかっているならば、ただ一度だけ——
——————
回避も防御も不可能。決して抗うことの叶わないその一撃を——花蕗静は回避した。
半身を斜に構え。手元に向かうほど大きくなる円錐状の鍔によって体勢を崩されぬ為、右腕を脇に構えて防御を固め、広く開いた脚で全身を支える。
無論、防げる訳がない。
刃が無いとはいえ、相手は超重級の大槍。
剛腕によって突き出された鉄塊が、花蕗静の腕の肉をゴリゴリとこそぎ落としていく。
「——〜——っ‼︎‼︎‼︎」
発狂寸前の激痛。
鮮血が吹き出し、腕はあっと言う間に真紅に染まった。
その様を目撃して、黒騎士マールスはようやく気付いた。
——『パラドクス』が解除されている。
無力な少年である花蕗静が持つ、ただ一つの剣——圧倒強者に並び立つ為の異能の盾を、彼は手放していた。——何の為に。
ガタンと。
マールスの膝が、地に着いた。片膝だけでは自らの自重を支える事は叶わず、前後に開いた両の膝に、土が付く。
頭部に叩き込まれた飛び蹴りは騎士の顎先を叩き、軽微な脳震盪を誘発していた。
無論、致命的では無い。
強固な意思と裏打ちされたその体躯は、絶命しない限り屈服する事はない。だが、それで十分。
超えてきた夜の果て、その決着としては、十二分。
「——着いたな、両膝——!」
言い終わるや、残された左手が槍を握るマールスの手首を掴み——全身の旋回による遠心力を乗せて、振り抜かれる。
関節を捻り上げ、尚強く。単純腕力なら勝負にもならないが、手首と全体重の比較ならば話は別。
後にも先にもこれっきり。花蕗静が、剛腕無双を真っ向から踏み越えた。
黒鉄の騎士の手から、その象徴たる赤き槍が手放された。
——無刀取り。達人による、超絶の実践技術。
目まぐるしく展開される戦闘の只中でこれを成立させる技術は、花蕗静にはなった。故にどうしても、動作の停止点を作る必要があった。
『パラドクス』は花蕗静の意思に関わらず、全ての攻撃動作を弾き飛ばす。自動迎撃が作動している限り、動作の停止は訪れない。
だから、誘い込んだ。
花蕗静とラキエス・シーシス。
二人がかりでただ一度だけ、単調化した一撃に狙いを定めて。
そして。
「『晴れては空、巡るは星』」
花蕗静によって生み出された、ほんのささやかな隙。
一瞬の攻防——途切れる事なき自身への意識が薄らいだその刹那を決して見逃さず、間合いを潰した少女の杖が、マールスの喉元へと向けられる。
唱えられるは一文節。
肉体を飛行、浮遊させる基礎魔法——その、最大出力。
「——私達の勝ちだの」
言葉と共に。
百戦錬磨の怪物、マールス・ブロワの身体は弾丸の様に吹き飛び空の彼方へ——瞬きの間に見えなくなった。




