『分断』
——————
古き大国、テサウル。
彼の国を守護する最大兵力、誉の騎士団。
腕自慢の猛者共が跋扈する実力主義の騎士団内において、一際鮮烈に輝き、異彩を放つ人物が一人、居た。
圧倒的な膂力。
卓越した観察眼。
絶対的な忠誠心。
そして、『城砦穿ち』の異名を取る魔導兵器『破禄の大葬』。
その名を、マールス・ブロワ。
過去から未来永劫、再び現れる事は無いであろうと囁かれた、稀代の英傑。テサウルの歴史上、最強の騎士。
——————
「——ここで来るか、マールス・ブロワ!」
噴き出す血を大楯で払いながら、悠然とその背を踏む黒鉄の騎士へと向けて、『名無し』が叫ぶ。
「陛下の手を煩わせるのも心苦しかったものでな。貴公らから足を運んで貰って、出向く手間が省けた」
言いつつ、赤き槍を軽く振るう。
鋒を濡らしていた雷翼竜の血が鋭く飛び散る。
「『——照らすは煌々、明けるは——』」
その傍で開始される詠唱。〝雷霆〟ラキエスの眼光が光る。
だが、遅い。
「——っ‼︎」
片手間の様に振るわれた槍の横薙ぎ。
杖を用い、辛うじてこれを防ぎながらしかし、小柄な体躯が後方へと弾かれる。途絶えた詠唱は正しく機能せず、当然魔法は不発に終わった。
「久しいな、〝雷霆〟……尤も、この表現が正しいかはわからんがな」
「——っ、相変わらず生真面目な割に乱暴な男だな。女性は優しく扱えと教えたが、忘れたかの?」
「生憎、人外の下法使いに加える手心を持ち合わせていないものでな」
ラキエスが顔を顰める。
——状況は最悪、どころではない。
事前の策は全て水泡に帰し、今や眼前に具現化された絶望が立ち塞がっている。
立ち向かうにも、逃げおおせるにも狭く、広すぎる空の上。元より無力たる抄帷だけでなく。ラキエスも『名無し』も、次の一手に思い至る事なく、苦々しく状況打破の策ばかりを考えあぐねていた。
「——神様!そのまま落とせ!」
ただ一人。
狂気の逆理、唯一を除いて。
一瞬の間に距離を詰めたのは、花蕗静。
瞬き程の躊躇も含まないその動作を受けて、マールスはその声に喜色を滲ませた。
「——やはり初手は貴公か、シジマ」
「そらそーよ!そんでコイツで王手だ、アンティーク!」
ラキエスとのやりとり。
雷翼竜に乗っている現状。
ワイドスタンスでバランスを取っているその姿。
——マールス・ブロワは、『足場固定』の魔法を知っている。両脚が同時に離れない限り振り落とされることがない、という条件まで含めて。
昨晩の決闘とは訳が違う。
この期に及んで、軍神マールスが馬鹿正直にこの場の全員を相手取る必要性などどこにもない。
迅速かつ、確実な総員の排除。
そして相手は合理を尊ぶ戦場の百戦錬磨。
ならば、狙ってくるのは——
マールスの槍が、再び横薙ぎに振るわれる。
接地している花蕗静の両の脚を払う様に。
花蕗静のパラドクス、そのシステムの大部分は既に割れている。
その事実が、本来無制限に存在する筈の軍神マールス・ブロワの初手を限定する。
より確実に。より迅速に。
固定魔法の無効化による、墜落。
狙いは、余りにも合理的であった。
その合理を、利用する。
払われるよりも先に、両の脚は地面から離れていた。
保身の一切をかなぐり捨てた、渾身の特攻。ただ一度きり、この一撃のみが、黒鉄の騎士の予想を上回った。
首元に掛けられた両脚。
がっしりと頭部を抱え込んだまま、全体重を下方へと掛ける。
「ドラゴン‼︎目一杯だ‼︎」
呼応する様に、雷翼竜が傾きかけていた体躯を更に傾ける。
急斜面と化した足場は安定を欠き、さしものマールスも僅かにバランスを崩す。
そして。その僅かで、十二分。
「——————っらぁ‼︎」
膨大なウェイト差を埋めるための、一瞬の揺らぎ。
よろめいたその刹那を正確に捉えた静の動作は止まらない。
フランケンシュタイナー。
但し、落下地点はマットではなく、投げ出された空中。
「静‼︎」
悲鳴にも似た抄帷の絶叫が響き渡る。
その声と、離れていく雷翼竜……そこに乗り合わせた幻想の仲間達の姿を見やって、静が声を挙げた。
「仙波を頼むぞ、抄帷!」
——誰かがマールスの足止めをしなければならない。
当初の作戦が瓦解した今、最も避けなければならないのは、頂点二人との正面からの交戦。
具体的な策がある訳ではなかった。
武器と呼ぶには余りにも頼りない異能。一般市井の域を出ない自らの技術。ならばこの選択は、どう考えても最善ではないだろう。
それでも、やる。
選ばれたなどとは思わない。そもそもそんな大仰な思考が、あの一瞬に含まれていた訳もない。反応したのは肉体のみだったのだから。
投げ出され、滑落した先で生存できるのか。
よしんば生き残ったとして、闘えるのか。
闘って、万に一つも勝ち目があるのか。
思考は行動の後に。
廻り、錯綜するそんな様々を抱え込み加速する逡巡を、
「全く、無茶苦茶する男だのー!シジマ!」
楽しげな声が、寸断した。
「——————は?」
ふわり、と。
身体が不自然に、中空で停止する。
徒手空拳のまま空に滞留するという、正しく超然以外の何物でもないその体験。そこに何をか思う暇も無く、身体がスルスルと上昇していく。
——パラドクスは発動を保持している。敵意や殺意、悪意の類を伴った全ての干渉は、花蕗静には届かない。加えて今や、女王デケムとの交戦を経て、その効果対象は更に拡大している。
絶対堅守を貫通する干渉があるとすれば、花蕗静の認知から外れた、魔法を超える未知の能力。もしくは——
——敵意も悪意も含まない、善意の力。
花蕗静は見た。
不可思議な力によって、滑り落ちた雷翼竜の背へと引き戻される、その刹那。入れ替わる様にその身を投げ出した、青い髪の少女——その姿を。
目が合う。
それは本当に、一瞬の交錯。
花蕗静は、見た。
「後はまかせよ!だから——そっちも頼むぞ!シジマ」
花の咲く様な笑顔ではっきりと言い切る、魔法使いの姿を。それはとても、これから死地へと赴く者の表情には見えなかった。
「———ふざけんなよ、おい」
呟きは届かない。
辛うじて体勢を立て直した雷翼竜。
「静!」
抄帷の叫びが遠くに聞こえる。
咄嗟に応えることの出来なかった静は、見るでもなく、『名無し』の顔を見た。
伏目がちな目線。
握り締められた拳。
降ろされた鋒。
遂に、花蕗静は理解した。
違和感の正体——その指し示すところを。
だが、遅い。
静が身を乗り出して下方を覗き込む。
既に小さく、鬱蒼とした森の中に吸い込まれていく騎士と魔法使いの姿を見送って——見送ることしかできない自らと、理解出来てしまった現実への苛立ちを込めて。
「——————ラキエス‼︎」
叫び、しかし。
その声が、現実を変えることはなかった。




