『飛翔』
「ひとつ!誤解があるようだから先に言っておこうぞ、少年!私達は何も、年端もいかない無力で健気な子供に同情して力を貸してやろう、なんて上から目線の講釈を垂れているんではないぞ!君の、そしてトバリの今日までが気高く、尊敬に値すると思ったからこそ!足の向く先を揃えて共に征こうと言っているのだ!」
幻想の権化。虚構の頂点たる巨大な龍が、まるで鉱石の様に無機的な虹彩を上空へと向ける。
たったそれだけの、なんて事もない所作はしかし余りにも荘厳で、まさしく現実離れした代物であった。
「私達の旅の始まりは、あの性悪に奪われた国を取り返すべく始まっている!そんな因縁ある相手から、同じ様に何かを奪われ、取り返そうと足掻く者が在る!ならばこれはもう、やるべき事など決まっているとは思わんか!」
ラキエスは笑う。
幼くあどけない表情にふさわしい、無邪気さを伴う笑顔。それは、彼女にとってこの選択が嘘偽りのない、心底からのもので在ることを余りにも雄弁に物語っていた。
「そしてこの選択は誰に強要されたものでもない!虚構でも、紛い物でも!私には私の心があって、魂と呼べるものを宿していると信じている!真偽は関係なく!私は私が信じた私の選択のために、君達と行くと決めたのだ!私が偽物であっても、この選択まで偽物だとは言わせんぞ!」
静が目を見開き、ラキエスを見た。
幼い顔立ち。大きな両目はやや眠たげ。
二つに結ばれた長い青髪。
悪戯っぽく釣り上げられた口角。
どう控えめに見積もっても、自分より遥かに幼い風体の、少女の言葉に。静は、ガリガリと頭を掻くばかりだった。
「責任感結構!覚悟やよし!けれど、それはなにも全部を自分で引き受ける事ではないだろう!……そもそも主、私達抜きで城まで無事辿り着けると思っとるのか?」
「——仰られる通りだ、魔法使い」
静が抄帷へと視線を移す。
このタイミングで、彼が自らを見やった理由に思い至らず、抄帷は僅かに小首を傾げた。そんな様子を小さく笑いながら、少年は自嘲的にもう一度、彼女へ向けたのとは別種の笑みを浮かべた。
「適材適所は座右の銘、のつもりだったんだけどな。追い詰め追い込まれて、変なテンションになっちまってたんだろーな。全く、こんなんだったら勝てる喧嘩も勝てねーわ」
二度、大きく瞬きをして視線を正面に。
幻想より出し仮初の実存。その二人へと、現実の少年は深く頭を垂れた。
「『名無し』さん——それに、ラキエス。俺たちだけじゃ、どーしても勝ちの目がねぇ。だから、アンタ達に助けて欲しい。力を貸してくれ」
『名無し』とラキエスが、互いに目線を交わし合う。
「わかった。最善を尽くそう」
「だーから、最初からそういっとったのに。強情っ張りめ!」
「…………面目次第もねぇ」
穏やかに向けられる、共闘の言葉を受けて、少しだけ困った様な顔をしてから。今一度、静が抄帷を見る。
「初心忘れるべからずって奴だ。俺が俺が、で上手く事が運ぶ訳ねーのはわかってたつもりだったんだけど……悪かった」
「——ううん」
少女が首を振る。
「ずっと最前線を任せ続けてきたから、謝らないで。それに、事が上手くって話をするなら……私の方こそ、だから」
無力を、無知を、無謀を。それでも突き通すと決めた。
その結果取りこぼしていた幾つかを確かめ合って、二人は小さく……本当に細やかに笑い合った。
「——ラキエス」
「なんぞ?」
少年が、魔法使いへと視線を送る。
——場違いなのはわかっている。そもそもこれを言葉にする必然性はなかったし、言ったところでどうなるという話でもない。
元より彼女は幻想の虚構。
仙波星翠のパラドクス解除に成功した後、彼女の人格がどういう変遷を辿るかも知れない、あまりにも刹那的……朝露の様にか細い、非実存。
それでも、言わなければならないと。
花蕗静はもう一度だけ、頭を掻いて……小さく笑う。
「頭ぁ煮詰まっててよ。大分トンチキな事抜かしちまって悪かった——ここでアンタに会えて良かった。ありがとう、助かった」
静の胸元程しかない背丈。故に視線は見上げる形で……けれど目線は同じ高さで。
「気にしなくてよーし!なんたって私は!年長者だからの!」
ラキエスの満面の笑みに、静は肩をすくめた。
——————
「先に、こっちサイドの策だけ共有しとくぜ」
出立を前に、口火を切ったのは静だった。
その場の全員が今一度、少年の言葉に耳を傾ける。
「真っ向からの殴り合いで勝ちの目がねー以上、俺らの勝利条件は仙波だ。アイツを説得して、自力で『パラドクス』を解除して貰うのが一番手っ取り早ーんだが……魔法使い、アイツの今の状況ってわかるか?」
「性悪を読み取った限り、普通に会話は出来る状態みたいだけどの……その『ぱらどくす』とやらが制御下ならば、そもそもこんな状況にはなっていないんじゃない?」
「『パラドクス』は本来、発現した時点でその運用方法を自覚するという特性があるんです。それらしい素振りが今日まで一度もなかったという事は、恐らくなんらかの理由で、仙波さんは自身の『パラドクス』を認識できていないんだと思います」
「ソイツが女王様の差金か、それとも別の要因なのかはわからねーし、今考えても意味ねーから一先ず棚上げだけどな。ともかく、アイツ自身に『パラドクス』を自覚させて、コントロール権を取り戻させる」
「確かにそれが一番分かりやすいだろうが、その為の策はあるのか?」
『名無し』の疑問に、静が顎をくいと動かして、傍の抄帷を指す。
「その為のコイツよ。百パー必勝、とまでは言わねーけどな」
「………………私?」
これもまた、予想外のタイミングであったらしい。矛先を向けられた抄帷自身が面食らった様な風を見せる。
「『パラドクス』ってのぁ、その持ち主のエゴが形になった代物だ。その能力の矛先がいの一番にてめぇに向かってるって事は……ま、そーいうことなんだろ」
自己肯定。或いは、外部からの承認。
それらを求めるという、ごく自然な感情に対する後ろ暗さ。自分の価値を、自ら定義するという当たり前の行為。
「……ソイツのしんどさはよ、アンタが一番よくわかってんじゃねーか」
自らを大切に出来ない。
たった一人しかいない、この世で唯一の自身に価値を見出せない。それは確かに、今尚合掌抄帷の奥底に根付く空虚と瓜二つの姿をしていた。
「俺の言葉じゃ意味がねー。憧れの魔法使いでも、お強い勇者様で届かねー。この一連の件が始まる前から、仙波とお友達やってたアンタの言葉が何より一番、可能性がある」
「……彼女を説得して、説明して、パラドクスを解除させる、か。——どうだろう、自信はない、かな」
乗り越えた……或いは踏み越えた者ならば、同じ境遇の彼女に伝えるべき言葉のひとつもあるだろう。だが、合掌抄帷はそのどちらでもない。
希死念慮には届かない、緩く淡い孤独と虚無。
それらは今も絶えることなく、その内心にて燻り続けている。そんな自分がどうして、誰かの心を動かせるだけの言葉を選び取れるというのか。
「——必要なものは大仰な救いや慰めではない」
押し黙る少女へと向けて、幻想の勇者が口を開いた。
「行先が同じである必要も、歩みを揃える必然もない。ただ、同じ場所をみている……見ていた事がある。そんな細やかな言葉はしかし、時に再び立ち上がり、立ち止まっていた脚を前へと踏み出す勇気にもなり得る。少なくとも、私にはそんな経験がある」
「そうさねー。私らを好いてくれている事と、好いてる者らから向けられる言葉が有難いっていうのはまた別問題だしの。私は悪くないと思うぞ!トバリ!」
穏やかに並び立つ、二つの幻想。
その言葉の力強さに背を押され……今こそ、仙波星翠が何故、『テサウル国物語』を愛してやまなかったか、その理由を少女は垣間見た。
「話は決まりだ——こっから先がオーラスだ。精々締まって行こーぜ」




