『連綿』
「ま、とりあえず戦況はわかったし、とっとと行くか」
言って立ち上がった静が、ふらりとたたらを踏む。
転倒を恐れて差し出されかけた抄帷の腕を制し、軽く伸びをする。
「ちょっとふらついただけでオタオタしてくれんなよ。言ったろ?万事息災五体満足だってよ」
軽口を叩くその顔色にはしかし、誰の目にも明らかな色濃い疲弊がありありと浮かんでいた。
——花蕗静は超人ではない。
人智を超えた逆理の異能、その運用に用いられるのは生身の肉体。如何にすぐれた運動機能を有していたとしても、人間の範疇に収まる程度の代物。
二夜続けての騎士との戦闘。二日目には急死に一生というところまで追い込まれ、明けて、今。連戦に継ぐ連戦は、花蕗静の体力を根こそぎ奪うには十分過ぎた。
抄帷がきりりと下唇を噛む。
異能を有さない自らが矢面に立つ事に意味はない。故に、一度戦闘が起これば必然、静に頼らざるを得ない。
十分な休息をとって欲しい。
無理承知で無謀に挑む事を乞い願うならば、せめて万全の状態であって欲しい。
望むは容易く、けれど最早そんな暇がある訳もなく。赴くその背中に出来ることが何もないという事実が、少女の両肩に重くのしかかっていた。
「『惑うは謳う。歌うは明ける』」
そんな彼女の思考が、不意に途切れる。
穏やかに紡がれる流麗な言葉。
声の主は、幻想の住人——海峡森の魔法使い。
「『芽吹くは蕗。解けるは白、伸びゆくを眺める』」
木彫りの杖。
自らの背丈と同じ程も長さのある、巨大な杖を軽く振り、その先端を静へと向ける。
「ぁあ?」
静の身体が発光する。
柔くて淡い、新緑色の光が少年の全身を包み込む。
現実では決して目にする事の無かっただろう神秘的な光景に、抄帷は思わず息を呑んだ。
光は僅か。
束の間の幻想は瞬きの間に消え失せ、残されたのはなんら変わらぬ少年の姿。だが、その変化は劇的であった。
「——めっちゃ身体軽」
「え」
「いや、マジ。ごりっごりの整体行った後並」
「分かりづらい」
「すげーって事だよ」
掌を開いて、閉じて。その様を見やりながら、間抜けな会話を幾つか交わした後、静がぱっと顔を挙げる。
「もしかしてあれか。これが世に言う『魔法』って奴か」
「いかにもまさしくそのとーり!」
エルフの少女が胸を張る。
長く垂れた耳がぴこんぴこんと跳ねていた。
「治療や回復はあまり得意じゃないんだけどの、ぐったりお疲れ位だったら全然問題なーし!凄かろう!褒め称えよ!」
「……こんなに認めにくい自己アピそんなねーだろ」
「いやほら、相手は子供なんだし……」
「おおう、失礼ぞトバリ!こう見えて私は五百年程は生きているんだぞ」
「うっわ出たよテンプレバグ年齢。エルフって聞いた時から嫌な予感してたけど、予想通り過ぎて笑うぜ」
「……ちなみにそれ情報ソースどこ?」
「漫画」
「あー……」
「君ら失礼すぎん?」
ぷんすかとヘソを曲げるラキエスを宥めながら、静が愉快げに笑みを浮かべる。
「いやまぁ実際助かったぜ。夏バテ程度にゃ疲れが足にきてたからよ。一先ずこれで振り出しだ、ありがとうよ、魔法使いさん」
「ぬはは。わかればよろしー!」
「……けど、ま。だからこそってやつか——一応言うだけ言っとかねーとな」
ラキエスと『名無し』……それに抄帷まで。静の不可解な言葉に、その場の全員が耳を傾ける。
「さっきも、そんで今もな。助けてもらいっぱなしで足も向けらんねーし、マジで感謝してる……アンタらが俺たちに味方してくれるってのは多分、そーなんだろーよ。けど、だからこそ、だ。——これ以上手ぇ貸す必要ないんじゃねーか?」
「ほう」
「アンタらが先方に圧勝出来る位の戦力だってんなら、そらまぁただ馬乗らせて貰うのはやぶさかじゃねーけどよ。勇者一行で歯が立たねー、そもそも俺らは羽虫並とくりゃ、これが負け戦じゃなくってなんだって話だろ」
「なるほど」
ラキエスが杖を上に挙げる。
「ありがてーのはありがてー。けど、犬死に上等で突っ込んできてる俺らとアンタらじゃ訳違ぇだろ。元々、この喧嘩はアンタらからすりゃ対岸の火事もいーとこだしな」
「言い得てみょおぉぉ、だの」
先端をフリフリと回し、円を描く。
「お目こぼしの同情票も背に腹だけどよ、だからって——……あの、聞いてる?魔法使い」
「おおう、聞いとる聞いとる。だからとりあえず、ちょっと後ろに下がると良い。ほら、トバリも」
言われ、二人目を見合わせる。
意図が汲み取れず、半ば仕方なしにその言葉に従う。
その、一瞬の後。
二人の足元に大きな影。
顔を見上げたのと、その巨躯が地面に降り立ったのは、殆ど同時であった。
「——マージ言ってんのかよ」
「——————」
静は勿論。さしもの抄帷も、余りの衝撃に目を見開き、ぽかんと口を開けるばかりだった。
目測十メートルはあろうかと言う、巨大な体躯。
その身体と同じ程に長い、尾。
大きく広げられた翼もまた、その体躯に見合っただけの巨大。
琥珀色の鱗に覆われた、真紅の目。
初めて見るその姿を言い表す言葉を、二人は知っていた。
「海峡森の守り神と名高い雷翼竜!見るのは初めてかの、少年少女!」
当たり前だ。
その一言すら口からは出ず、二人は呆気にとられるしか無かった。
「さて、驚いてもらったところで、少年!君に年長者としての金言を授けよう、心して聴くと素敵!」
剣と鎧。刃と槍。光の柱に、光放つ剣撃。
それら全ての印象を容易く塗り替える、まさしく虚構……幻想の集大成。
龍という極大の幻想を傍に、魔法使いラキエスは、
「——ごちゃごちゃ、うるさい‼︎‼︎」
言ってる本人が一番うるさい声で、言い放った。




