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『閉じた書庫』

 部屋の戸の前で星翠が立ち止まる。

 玄関に立った時ほどの緊張は去っていたものの、だからといって自室に人を招き入れることに対する抵抗が丸々消えて無くなる訳ではない。寧ろ、慣れない緊張感という意味では今の方が余程、といった内心であった。

 

「んじゃ、後よろしく」

言うや背を向け立ち止まった静の意図を咄嗟に汲み取れず、星翠と抄帷は共に顔を見合わせた。

「なにしてるの」

 抄帷の至極尤もな言葉に、背を向けたまま静がお手上げの仕草をする。

「調査くんだりで、マジに部屋まで上がり込む必要ねーだろ。異常がありゃそん時ぁ出張るが、そうでないなら待機に甘んじるのが吉だろ」

 終始一貫、徹頭徹尾。自身がここに居ることを快く思っていないらしいその言葉に、思わず星翠が声を挙げる。

「だ、大丈夫!その、見られて困るものとかはない、から!はいっ、どうぞ!!」

 振り返り、言葉の勢いそのままにドアを開けるその姿を見やりながら、

「……お邪魔してる立場で言えたもんじゃねーけどよ。あんまノリで動きすぎるの、オススメしないぜ」

若干気まずそうに呟く静へと向けて、

「…………はい」

自らの考えなしを恥じて、顔を真っ赤に染めた星翠が小さく頷いた。


——————


「うぉ、すげぇ」

 部屋に入るや開口一番、静が驚きの声を挙げた。

「おー」

 続けて入室した抄帷も、間延びした感嘆を。


 シンプルな色調の、整理整頓が行き届いた部屋には、背の高い本棚が複数個並んでいた。それらはどれもギッシリと本で埋め尽くされており、まるで図書館の一角を切り取って、そのまま部屋にしたような景観であった。

「これ全部アンタのか?」

「ぅ、うん。その、ほ、本が好きでして……」

 先程の羞恥を未だ引き摺る星翠が、見れば分かるだろう事をわざわざ言葉にして応える。とは言え、眼前に広がる圧巻の蔵書を前に、抄帷達は特段、彼女の言葉に対しての違和感は感じていない様子であった。

「本の虫、って奴だな……と、悪ぃ。不躾だったな」

「ぃ、いえいえ全然……」

 男性が自室に居る、という極めて特殊な状況に対しての落ち着かなさを以前抱え込んだまま、星翠が挙動不審に陥る。

 だが。それも長くは続かなかった。


「それで、仙波さん。ドッペルゲンガーを目撃したのはどの位置?」

「ぅえ!?え、っと……場所が決まっている訳じゃないんだけど、大体そこの本棚の近く、かな……」

 言いながら指差されたのは、数ある本棚の内でも一際大きく、古めかしい一台であった。

 全六段で構成され、上から二段目には表紙が前面に来る形で三冊のハードカバー本が飾られている。

 示された位置を確認しつつ、抄帷と静が言葉を交わす。

「近くに窓や鏡の類いは無し……見間違いって可能性はなさそうだね」

「だな。モニター類があるでもなし、そもそも光源もねーからな。寝入ってるタイミングで家族の誰かが入ってきた……ってのもねーか。声も掛けずに何してんだよって話だしな」

 二人が本棚の周囲を注意深く観察する。

 余りにも真剣なその様子に、ここまで半ば押し切られる様な形で流されてきた星翠の心中に、ある明確な疑念が浮かんだ。


「流石に取っ掛かりが少な過ぎんな。こんなもん、水中で氷探してんのと変わんねーぜ」

「そうだね……他に何か変わった事とか、思い当たることはないかな?仙波さん」

「え、っと……ごめん、特に思い当たらない、かも」

 申し訳無さそうにする星翠へ、静が手をひらひらと振ってみせる。

「謝ってくれるなよ。別にアンタがどーこーじゃねーからな。そもそも訳わかんねー代物を調べようってんだ、この位は暗礁に引っ掛かってもねーからよ」

 言いつつ、再び抄帷と真剣な面持ちで会話を続ける。

 その姿に、どうしても。星翠は、浮かんだ疑念をぶつけずにはいられなかった。


「あの、二人とも。どうしてそんなに真剣なの……?」

 

 言ってしまってから、聞き方によっては余りに失礼な物言いだったと思い直し、振り返った二人に向けて改めて問い直す。

「ドッペルゲンガーなんて、ちょっと現実っぽくない様な話で……心配してくれてるのはわかるんだけど、ど、どうして私なんかの為にここまでしてくれるのか、とても、不思議、と言いますか……」

 言葉は尻すぼみに、目線は伏せられる。そんな姿に、一度互いに顔を見合わせた後、応えたのは抄帷であった。


「——大した話じゃないのだけれど、少し前……大仰に言うと人生観が変わる様な出来事があってね。それが、私にとってはとても大した話で……今ちょっと、誰かの為に出来る事をやる、っていうのを実践中なんだ。だから、そうだね……仙波さんは友達だけど、今こうしているのはほとんど私自身のためなんだ。だから、迷惑でなければ本当に、気に病んだりする必要ないよ」

 続けて、静が軽く頭を掻いてから口を開く。

「ま、そーいうこった。俺もアンタも、こちらの頑固者の我儘に付き合わされてるばっかってだけの話だ。そんなもんにいちいち気ぃ揉むだけ無駄だぜ」

「静、失礼」

「的確の間違いだろ」

 じとりと睨め付ける抄帷に対し、静が不遜な笑みで応える。


 ——合掌抄帷と花蕗静は、仙波星翠の為に行動している。

 ドッペルゲンガーという荒唐無稽の捜査という、些かオカルトじみた内容でこそあれ、その事実は最早疑いようもない。で、あるにも関わらず。合掌抄帷はそれらの行為を〝自らの為〟と言い切った。その矛盾を紐解く糸口が、星翠にはどうしても見つけられなかった。

「——それで、『何でも屋』、なの?」


 最初に誰が言い出したかはわからない。だが、確かに存在する彼らの渾名。その呼び名の裏の真意を求めて、星翠は今一度尋ねる。

 これに抄帷は——ほんの少しだけ困った様に、

「別に、そんなつもりがあった訳じゃないんだけどね。いつ間にかそんな風に呼ばれてた原因は……そうだね、私かな」


 不意に僅か沈んだその表情が、彼女のどんな感情を映し出したものなのかわからずに、星翠が口籠る。


「——はっ」


 そんな、正体のわからない一瞬の鬱屈を、花蕗静は鼻で笑ってみせた。


「呼び方なんざ、呼びてー奴の勝手に呼ばせときゃいーんだよ。面白半分で首突っ込んでる訳でもねーんだ、知ったこっちゃねーっての」


 ——その言葉が一体、具体的にどんな意味を伴っていたのか、星翠にはわからなかった。

 ただ、その言葉を聞いた抄帷の小さな微笑みは、花蕗静に寄せた信頼の証明のようにも見えた。

 

 そんな二人の姿は星翠の目に、とても羨ましく映った。

 

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