『訪問』
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——どうしてこんな事に。
これまで感じたことのない類の緊張に、仙波星翠は身を押し潰される様な心持ちであった。
閑静な住宅街の一角。
目の前には見慣れた一戸建て、その玄関。
自宅正面に立ち尽くしながら一歩も動けず、強張った表情のまま隣に立つ少女へと視線を移す。
肩口までの艶やかな黒髪を、頭の左下側でサイドポニーに纏めた少女。同級生にして友人、合掌抄帷。
深く暗い……それでいて柔らかな煌めきを湛える瞳が星翠の視線に気付く。
「なに?」
真っ直ぐに星翠を見つめながら、短く放たれた言葉。鈴の音を思わせる凛とした響きに思わず背筋を伸ばされる感覚を覚える。そんな内心が極力漏出しない様努めつつ、星翠は首を横に振る。
「ぅ、ううん。なんでも……」
友人を家に招く。
普段から人付き合いが多い方ではない彼女にとって、それは極めて特別な事態であった。というより、中学から付き合いのある結立灯以外の人間を招くのは、高校入学後初めての事であった。
それだけでも、星翠にとっては十分心臓に悪い事態だったのだが、加えて今回は更なるイレギュラーが重なっていた。
「悪ぃ、遅れた」
掛けられた声に思わず肩を振るわせ、恐る恐るその主へと視線を向ける。
百八十を超える長身。
真っ赤に染め抜いた肩口までの長髪を、下の方でシニョンに纏めた髪型。両耳には、普段街で見かけるファッションピアスとは一線を画す、余りに目立つ大振りな金色のフープピアス。その風体はさながらどこかのミュージシャンか、或いはアウトローのチンピラか。どちらにしても、これまでの星翠の人生に登場してきたどんな人間とも異なる、まさに異質な存在感であった。
花蕗静。抄帷と共に『何でも屋まがい』と噂される、校内屈指の有名人。そんなこれまで、関わりを持った事のないタイプの人種が、我が家の前で自らと並び立っている。俄かに理解不能な状況に、軽い目眩さえ引き起こしそうであった。
「どこ行ってたの?それに、それは?」
携えられた紙袋を指差しながら、抄帷が尋ねる。これに静は肩をすくめて、不遜に笑って見せるばかりであった。
「野暮用ってやつだ。ま、どっちみち大した話じゃねーよ」
「なるほど」
そもそも深い説明を求めての言葉でも無かったのだろう。簡単な相槌だけに留め、抄帷がそれ以上を深く言及する事はなかった。
『ドッペルゲンガー』現象の調査。
言葉にすればなんとも奇妙で、些か以上に陳腐ですらあるその目的のため、仙波宅を訪れる段取りになった抄帷と静。その方針が定まった直後、静は今の言葉の通り「野暮用済ませてから向かうからよ、現地集合で頼むわ」なんて言葉を残して一時離脱。今再び合流したのであった。
星翠がちらりと静の顔を盗み見る。
学校での話し合いの折、花蕗静の仙波宅訪問に最後まで難色を示していたのは、他ならぬ静自身であった。その理由が「年頃の女の子が突然、こんなナリの男連れ込むなんざ頭どうかしてんだろ」なんてものだっただけに、尚の事星翠は眼前の少年がどんな人格であるのか判断出来ずにいた。
「んじゃ、ま。よしなに頼むぜ文学少女」
そんな静が、軽い調子で声を掛ける。その声に再び身を震わせつつ、星翠がチャイムを鳴らす。
「はーい」
呼び出しの電子音。その音の残響を掻き消す、明るい声が響いた。
玄関が開けられる。立っていたのは、柔らかな笑顔が印象的な女性であった。
「おかえりなさい、星翠ちゃん。それとー……抄帷さん、ですよね。ようこそ、いらっしゃい」
仙波月波。母の暖かな歓迎の言葉に、星翠の緊張が僅かに緩む。その横で、抄帷が深く腰を折る。
「合掌抄帷と申します。お邪魔します」
「いえいえ、とんでもない。どうぞどうぞ、中へ——」
和かに対応していた月波の挙動が、強張り固まる。その視線の先には、花蕗静の姿。
娘が男の友人を連れてきたというだけでも、仙波家にとってはあり得ない程のイレギュラー。その上当該の人物は、どう贔屓目に見積もっても、星翠とは余りに掛け離れた雰囲気。月波の反応は至極真っ当であったし、娘である星翠をもってしても、母の次の言動はまるで予想がつかなかった。
そんな一瞬の緊張を破ったのは、花蕗静の挨拶だった。
「こんにちは、突然お伺いしてしまい申し訳ないです。星翠さんと同じ学校の、花蕗静と申します」
月波が——ついでに星翠と抄帷までもが、目を丸くする。驚愕する三者を他所に、静が月波へ、手にしていた紙袋を差し出す。
「これ、もし良ければ。お邪魔するなら、と両親に持たされたものでして、ご家族の皆さんで召し上がってください」
「——あら、わざわざ、ご丁寧にありがとうございます」
月波が紙袋を受け取りながら、ぺこりと軽く腰を折る。その姿へ、柔らかな笑みを向けながら、
「お口に合えばいいんすけど。改めて、本日はお世話になります」
深く頭を下げる静を、結局終始、星翠と抄帷は絶句したままであった。
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「いやー、おばさんびっくりしちゃった。まさかお友達っていうのが男の子で、それもこんなに礼儀正しい男前だなんて思わなかったもの!」
招かれ、脱いだ靴を揃えている背中に声を掛けられた静が、軽く頭を掻いてみせる。
「うろ覚えの付け焼き刃ですけどね。ご不快でなけりゃ、よかったです」
「お母さん、も、もういいから——……!」
そんな二人のやり取りに星翠が割って入り、静達を自室のある二階へ、そそくさと押しやっていく。
「なにか必要な物とかがあったら声掛けてねー!」という月波の声を背に階段を上がる三人。
「……詐欺師」
月波の気配が遠ざかるのを確認してから、抄帷がぼそりと呟いた。これに静も声の調子を落としたまま、
「ただの処世術だっての。こんなナリしてんだ、人より気ぃ使わねーと帳尻が合わねーんだよ」
さも、なんでも無いことの様に言い切った。
「あの手土産取りに帰ってたの?家まで?」
「いや?駅近の百貨店で買ってきた」
「……ご両親から、ってのは?」
「同級生が身銭切って手土産、だと逆に気ぃ遣わせるだろ。親から持たされたってしといた方が心象いいんだよ」
「やはり詐欺師」
「うっるせー」
「——っ」
不毛なやり取りを続けていた静と抄帷が、揃って先頭を歩く星翠へと注視する。見やれば彼女は口元を押さえ、小さく身を震わせ——笑いを堪えていた。
「——っと、ご、ごめんなさい。笑うつもりは、その、なかったんだけど……」
思わず漏れ出た笑みを引っ込め、申し訳なさそうに俯く星翠。その姿を見て、静が軽く口角を上げる。
「その調子だぜ、お嬢さん」
「え?」
予想外の言葉に戸惑う星翠を一瞥してから、静と抄帷が軽く目線を交わす。
「無理難題は承知だけどよ、何も今から鬼の首取りに行こうってんじゃねーんだ。そんでここはアンタのホームだ。肩の力抜いて、ドーンと構えとけよ」
「力になりたいと言うのは本当だけど、仙波さんに嫌な思いをさせるつもりはないから。なんでも、嫌な事は嫌って言ってね」
「ゴリ押しで押し掛けといてどの口で言ってんだ、てめーは」
「うるさいよ、この二枚舌」
「——っ」
再び。笑いを堪え体を震わせる星翠を見やり、二人はようやく不毛な言い争いをやめたのであった。




