『行動の結果』
光子舞う青空の下。
霧散し消え去った女王、彼女の立っていた場所を半ば放心気味な面持ちで見つめていた抄帷の惚けを払ったのは、隣から聞こえたドシン、という間の抜けた音だった。
見やれば、花蕗静が盛大に尻餅をついていた。
「——静!大丈夫⁉︎」
慌てた様子で膝を突き、その背中に手を添える。そんな気遣いは杞憂でしかないと宣言する様に、静は鼻で笑って見せた。
「気ぃ抜けて転がっただけだ。あんま騒がれると恥じらいで死んじまうぜ」
言葉は常と変わらない。その様子に、ひとまず胸を撫で下ろして、抄帷が脱力する。
そんな少女の様子に自らも安堵しながら——しかし、花蕗静の表情は未だ硬い。
「無傷、か」
その『理由』が、剣を鞘に収めながら呟いた。
「あー。お陰様で五体満足だよ。そんで?避けなきゃ俺ら事呑み込む様なアホでかレーザーぶっ放してくれやがったアンタは味方って事でいーのかよ」
言いながら、静がギロリとボロ布の男を見上げ、睨みつける。男は男で、これに即座に答える事はせず、じっと静を見下ろす。
金髪の青年。
歳の頃は、静達より僅かに上か。日本人のものではないその顔からは年齢を推察することが難しく、幼い少年の様にも、老齢な翁の様にも見える奇妙な顔立ちであった。
加えて。彼の顔の内、見てとれるのは左目付近の一部分だけ——残りは大きな黒い布で覆い隠されており、その全容はわからなかった。
「……ラキエスの結界は無敵じゃない。封露の天印なら防げるが、虐戮の天印を放たれれば君達諸共消し飛ばされていただろう。——それに、奴とあれだけ渡り合っていた君ならば、即座に合わせてくれるとも思ったからな」
「そんな短い文章で三つも四つも知らねー単語出てくるもんかね。結局つまり、どー言う話だよ」
「つまり、あの性悪女には未だ奥の手があるって事!」
場違いなほどに明瞭で快活な声に、思わず静と抄帷は揃って目を見開いた。そんな二人の様子を見やる影が、男の他にもう一つ。彼の背後から、少女が姿を現した。
「こんにちは!お二人とも、本当に怪我はない?」
ひどく小柄な、青髪の少女。
不自然な程に先の尖った耳は、下方向に垂れており。それは明らかに、人間のものとは異なる形であった。
薄水色のローブに身を包み、手には大きな木彫りの杖を携えている。……詳しくない二人でも、その姿には思い当たるものがあった。
「あー……お陰様で、マジに五体満足なんだけど……それよりお嬢さん、一個尋ねてもいーかよ」
「おぉ!お嬢さんだなんて、生意気に気分の良い事言ってくれるじゃない!許してしんぜよう、どうぞなんなりとー」
「……アンタ方二人は、何者だ?」
「自己紹介!おまかせあれー!」
弾ける様な笑みと共に、少女が深くお辞儀をする。
「海峡森のエルフ、〝雷霆の魔法使い〟ラキエスと申します。名前だけでも覚えて帰ってねー!」
抄帷はきょとんと、静はガックリと。
両者の反応を見て、ラキエスはやや不満そうに口を尖らせた。勿論主に、静に対して。
「おー!?人に名を尋ねて聞きながら、その落胆振りよ。失礼してしまう!」
「……あー、確かに。今のは俺が悪い、申し訳ない。ただ、弁明をさせて貰えんなら、いよいよ来るとこまで来たかーって感じで……決してアンタに文句があった訳じゃねーんだ」
「あらま不思議な言い回し!さては生エルフを見るのは初めてだな、少年!」
「ついでに魔法使いも初めてだよ、レディー。全く、麗しい事この上無い」
「口が上手!」
初対面とは思えない……一種異様な意気投合を横目に、抄帷がちらと、ボロ布の青年へと目線を向ける。
「こちらの——いいえ、あなたは?」
エルフの少女……ラキエスへと尋ねかけた言葉の向きを変え、青年へと直接尋ねる。尋ねながらしかし、抄帷の内心は、既にある一つの答えへと辿り着いていた。
——幻想の魔窟。
生み出された異界の参照元。
女王と敵対しながら、決して退かない不撓不屈。
その姿の正体を、抄帷は確信していた。
「……ただの過客だ。名乗れる名は持ち合わせていない。だから今は、専ら『名無し』と呼ばれている」
「——あー。まぁ、だろうなとは思ったぜ」
ラキエスとの会話を打ち切って、静が溜息と共に言葉を吐く。その様子に、青髪の魔法使いは小首を傾げた。
「ウチの坊やを知っているのかい、少年」
「巡り合わせの又聞きで、だけどな。つっても、アンタらに説明したとこで信じてもらうのはムズイだろーけどよ」
言葉に、内心で頷いたのは抄帷だった。
黒鉄の騎士マールス。
君臨する女王デケム。
命のやり取りのみを対話方法としていた彼ら幻想の侵攻者に対して憂慮する必要のなかった、ある疑問。
女王を退け、命を助けられたという行動の結果が示す通り、恐らく目の前の二人は味方と呼んで問題ないだろう。だからこそ、静達には懸念があった。
彼らは果たして、自身らが創作物から産み落とされた幻想であることを自覚しているのか。
『今思考しているこの自分は、誰かによって描かれた創作物であり、実際にはペン一本分の重さも有さない紛い物』。それが仮に真実だとしても、この場でそんな非情を言葉にすることが、二人には憚られたのだ。
だが。
「なるほどなるほど。それ程までに、我々の冒険譚は有名なのだな!誉れ高いな、『名無し』!」
「実感が伴う話ではないがな。それに、そもそもこの戦は人に誇れる様なものではないだろう」
余りにも呆気なく。二人の幻想は、自身らの正体に対しての言葉を口にした。
「——アンタら、それは……」
さしもの静も動揺を顕にする。
そんな少年のしどろもどろする様を愉快気に眺めながら、ラキエスが手にした杖を軽く振ってみせる。
「何を隠そう、私は〝この世界〟随一の、とーっても優れた魔法使いなものでね。斬った張ったは勿論、ちょっとした読心に、相手の過去の体験を読み解くなんて事も出来ちゃうのさ!」
その杖の先が、控え目に静へと向けられる。
「勝手に覗き見た無礼は先に詫びる!しかしそうでもしなければ、今のこの不可解な状況を理解なぞ出来なかったからの!すまんの!」
呆気に取られる二人に向けて、『名無し』は小さく頷く。
「ここ数日——という認識でいいんだろうな。君達の身に起きた幾つかの事柄、透かし見た思考。察するに——俄かには信じ難いが、今の私達は君達の友人の手で創られた存在らしいな」
「——それを、素直に信じられるんですか?」
「ぬはは、それこそ愚問だ女の子!」
抄帷の言葉に応えたのは、ラキエス。
笑顔は穏やかに——しかしその奥の眼差しだけは、余りにも強く。
「身を挺し、身を砕き。友を守ろうと戦い続けてきた君達のこれまでを、一体誰が嘘だと言えるのか!私達は今こうして初めて出会ったけれど——だからこそ、君達に伝えておきたい事がある!」
その先を引き受けた『名無し』の隻眼もまた、魔法使いとまるで同じ光を放っていた。
何者も欺かない。
何者にも侵されない。
強い光を宿らせたその眼差しのまま、
「——私達は、君達の味方だ。シジマ——そして、トバリ」
はっきりと、そう告げた。




