『無銘の汀』
莫大な光の奔流。
対個人……自身とその周囲を効果対象とする花蕗静のパラドクス、その規模感を大きく飛び越えた範囲攻撃。その鋒が静の命に届く事は無論、ない。
だがそれも永遠ではない。
花蕗静が生きた人間である以上、あらゆる行動には体力を消費する。そしてそれは、パラドクス運用とて例外ではない。
迎撃待機状態の維持、実際の迎撃動作。発動中、花蕗静の体力は加速度的に消耗する。
絶対堅守には時間制限が存在する。
黒鉄の騎士マールスとの二度の戦闘において、花蕗静がひた隠しにしていた、自らの異能——その、最大最悪の弱点。その露呈は、目前にまで迫っていた。
——考えろ。考えろ考えろ考えろ——!
降り注ぐ光を打ち払いながら、思考を回す。
妙案など、思いつく訳がない。状況は絶望どころか、完璧に詰んでいる。それでも、考える事をやめない。
思考の放棄は敗北の受容。
ならば、手放さない限り敗走ではない。
既に負け仰せた状況で、それでも牙を振るう、弱者の理論。
その矜持を、君臨者が嘲笑う。
束の間の静寂。
一瞬途絶えた光の濁流、その間隙。
息も絶え絶えに上空を見上げて、静が目を見開く。
天空。
静と抄帷を中心に360度。
円環を描く様に展開された、膨大な光の柱。神々しくも無慈悲な白い光が、少年と少女を包囲する。
「さぁ、もっと踊って!シジマ!」
両手を大きく広げ、女王が高らかに謳う。
その表情に慈悲はなく。文字通り、愛玩物を愛でるばかりの純真無垢によって、その眼差しは煌めいていた。
「——舐めやがって」
凶悪な笑みのまま、額に大粒の汗をびっしりと浮かべながら、静が悪態を吐く。
だが、それだけだった。
これ以上の抵抗は、もはや何の意味も持たない。
体力は既に限界寸前。
全方位攻撃の中、抄帷を無傷で守り切れるかはそもそも五分。
勝敗は、ここに決した。
花蕗静と合掌抄帷はここで惨殺される。
それが既定路線。抗うことの叶わない、絶対。
——————
容赦も躊躇いも無く、再び振り下ろされる光の鋒。
それらが、二人を刺し貫く時は、訪れなかった。
「これ、は——?」
「んだ、って——今度は、なんだよ——っ」
ドーム状に広がる、巨大な蒼き光の紗幕。
その中心に静と抄帷を覆い、包み込んだその光を視認して、
「——不粋なものね、困ってしまうわ」
静が、今までとは違う……明確な不快を示した女王を捉えたのと、ほぼ同時。自身らへと降り注ぐ光の柱。その一切が、轟音と共に霧散するのを、彼は目撃した。
蒼き光の役割が防壁であることは、疑いようもなかった。
「——はっ、どこぞの、誰の、登場だよ、ったく」
「わからない。けど、これは……」
陽炎。或いは、流水。
揺らめき煌めき、透過する。包み込むヴェールは、到底この世のモノとは思えない。——そしてここは〝この世〟では無い。
ならば。答えはただ一つ。
「『焼け落ちた空の明星。焼け焦げた夜の声明』」
声は静かに。
けれど、どこまでも明瞭に響き渡る。
「『十六小渡る翁、八獄統べる八逆、七天貫く審判の楔』」
声の出所が知れたわけでは無かった。
それでも、静と抄帷は何の迷いもなく、後方を振り返った。
「『夜の帳、静の先。捧げるは我が心、欲するは安寧の籠。暗澹照らす燦然を、契約の下、今こそ此処に示せ』」
——————
ボロ布を身に纏った、男。
静達から10メートル程……女王との距離、約20メートル。
その手に、飛び道具の類はない。
両手で握られ、天高く翳されていたのは、一振りの剣。
「——なにをする気——?」
抄帷の疑念は余りに真っ当。
彼方遠方より、まさか手にした剣を投擲するわけにもいくまい。
そもそも、彼の構えは大上段。振り下ろす事以外の一切を廃した構え。ならば、次の動作は決まりきっている。
「——まさか、って奴だろ——!」
静が抄帷を抱き抱えて、横に跳ぶ。
男と女王の射線が、開けた。
「『隔てるを払い、遮るを明ける。名を——
——〝無銘の汀〟』」
振り下ろされる鋒。その、刹那。
刃から、光の奔流が奔った。
見上げるほどに高く、震えるほどに速く。
撃ち放たれた光の洪水は、一直線に女王へと向かう。
中途、接触した光のドームを粉々に打ち砕き、尚その速力を微塵も緩める事なく突き進む光が、間も無く女王を飲み込んだ。
「鉄砲水かよ、マジで——そーいうのは特撮の中だけにして貰いてーな!」
息も絶え絶えに悪態を吐く静の眼前を賭けるその光は、最早聳り立つ壁としか認識できない巨大さ。原理のわからない轟音をけたたましく鳴らしながら、輝きを放ち続ける。
数秒の後、光が解けて霧散する。その後には無数の光子と土煙を残して。
その燻りを引き裂いて、無傷の純白が姿を現す。
その姿へと向け、ボロ布の男が歩み寄る。
緩く握られた剣。腕は脱力し、鋒は地面を向いている。
にも関わらず。その刀身からは異質な気配が轟々と漏れ出している。それは、幻想などには縁もゆかりも無い静と抄帷をも圧倒する、濃密な異質。
男が静達よりも僅かに前方の位置まで進んで、立ち止まる。荘厳さとは無縁の、無骨で見窄らしいその姿へと向けて、女王の嘲笑が飛ぶ。
「まったく、いつにも増して不要な時ほど現れるのね、お前。醜いモノには興味が無いと、あれほど言い含めたというのに。恥知らずも極まるわね」
空気が軋む。
言葉以上に、その絶世の美貌から放たれる声には、有無を言わさぬ破滅的な圧力が伴っていた。
だが、男はまるで動じない。
「貴女の都合に合わせる義理はない。そもそも私達の行先に、いきなりその身を晒したのはそちらの方だろう」
「羽虫が鳴くわね。気でも違った?」
「程度の低い罵倒だな。恥知らずはどちらかな」
温度の下がった空気の狭間を、再び一陣突風が吹き抜ける。それを合図に、女王が肩をすくめた。
「またしても興醒めだわ。まぁ、ここまで来れば今更何をか急くこともない訳だし、この場は一先ず預けておくわ。勿論、お前にじゃない。貴女によ、シジマ」
「……あー、ソイツはありがてーや。消えんならとっとと失せてくれ。また後ほどって奴だ」
悪態を吐く余力も最早なく。
手で追い払う仕草をする静を一瞥して、女王が踵を返す。
「貴方の望みはわかっている——待ってるわ、シジマ」
それだけを言い残して、女王の姿は掻き消えた。
現れた時とまるで同じ様に、なんの脈絡も余韻も伴わずに。




