『幕開』
彼方、遠大な景色。
真実味の薄い高解像度の青空と、広大無辺の緑の大地。対比によって描き出されるその美しさはしかし、まさしく言葉の通り現実の光景では無い。
扉の先に待ち受けていた、非現実の光景に、さしもの静も明確な動揺を示した。
「トンネル抜けたらー、って奴か。にしてもコイツはたまげたぜ」
「——これが〝女王〟達の攻撃?」
辺りを見回しながら抄帷が疑問を口にする。ただ、この疑念に対しての回答は即座に提示された。
「——とは、受ける感じがちっと違えな。連中が俺らを仕留める為のやり口としちゃ、偉く凝りすぎな気ぃするしな」
「それはまぁ、確かに……じゃあこれは一体……」
答えは出ない。
ふわり、と。一陣、穏やかな風が吹き抜け、二人の頬を撫ぜる。てんで場違いなその爽やかさに肩をすくめたのは静だった。
「徹夜明けの身体にゃ堪える気候だな。放ってくれりゃ、五分で昼寝できるぜ」
「……相変わらず図太いね。今に始まったことでも無いけれど」
「お褒めに預かり、だ。ま、いくらなんでもそこまでのんびりした事抜かしてられる程に抜けちゃいねーけどな」
言葉を聞きながら、抄帷が改めて静の様子を横目で見る。
パラドクスが反応している様子はない。
それはそのまま、この異常な景観そのものが敵の攻撃に寄らない事の証左であった。勿論、昨晩彼の両手足を貫通した光の柱の様に『非実存故に能力の対象認知から外れている』可能性もゼロではなかったが——
「——だとしても、穏やかすぎる」
「だな。まるで青春映画かファンタジーだぜ」
半ば呆れた様な響きを伴ったその言葉に、はたと抄帷が目を見開く。
丘陵。異界。そして、ファンタジー。
「——『テサウル国物語』」
「ぁあ?」
「静、一度脱出しよう」
花蕗静の仮定が正しく。黒鉄の騎士、君臨する女王が仙波星翠のパラドクスによって創出されたものであったとして。参照元は疑いようも無く、彼女が愛してやまない古典ファンタジー。その上で、もし仮に。創出される物事に制限がないのなら。
「——なるほど、かしこまりだ——」
情報の全て。その言語化を待たず、静が踵を返す。一手遅れで彼もまた、合掌抄帷と同じ結論に辿り着いていた。
眼前広がる荒唐無稽。広大無辺の丘陵は恐らく、『テサウル国物語』の舞台世界。騎士や女王といった個人、その所有物や保持する特異な能力に続き、今まさに『世界そのもの』が顕現している、その結果としての光景だと推察したのだった。
ならば、この場に留まるのは余りにも危険。
そもそも花蕗静のパラドクスをもってして、たった一人の騎士とすら勝負にならなかったのだ。勢力分布が皆目不明、敵のテリトリーの真ん中で身を晒すなど、自殺行為に他ならない。
仙波星翠の救出は絶対。
だが、無策な上に無謀を重ねる事は出来ない。
撤退判断は、妥当だった。
——但し。判断は一歩遅かった。
「——!」
静の腕が跳ぶ。
動作は本人の意思に依らず、故にその事実が指し示すのは『迎撃』の発動。
駆動したのは左腕。向かって背面上方へと振り抜かれる。
咄嗟の判断で、抄帷が静の右手側前方へと身を移す。
金切り声の様な奇怪な轟音。
金属音とは異なる、二人がこれまでの生涯において一度も聞いたことのなかった、不可解な炸裂音が、底抜けの青空の下、遠く反響する。
——なにを撃ち落とした——⁉︎
パラドクスが発動した以上、効果対象には明確な殺意——もしくは殺傷能力が付帯されていた。静がその効果対象を特定できなかった最大の理由は——迎撃完了後振り向いた先に、それらしき物体が何一つ残されていなかったからであった。
花蕗静のパラドクスに、破壊能力はない。
迎撃対象を無傷のまま無効化する事を旨とする異能の結果としては、道理が通らない。
考えられる可能性は、迎撃対象が弾丸の様に目視困難なサイズである事。もしくは——
「——走れ、抄帷‼︎」
声を合図に、二人が扉を背に駆ける。
次の瞬間——上空より飛来する十数本の光の柱が扉を粉砕し、大地に突き立てられた。
「あれは——!」
抄帷が戦慄する。
昨晩。状況打破の為に息を潜めていたその只中で目撃した、光の柱。逆理の徒、花蕗静を組み伏せた異形。目前で巻き起こった破壊はそのまま、最悪の想定が現実である事の証明。
敵兵力が不透明な上、敵陣地のど真ん中。加えて敵は、何らかの方法でこちらの位置を正確に捉えている。
「こらツイてるぜ、やっぱ何でも経験しとくもんだなぁ!」
その中心で、花蕗静が吠える。
言葉の意味を即座に理解して——その上で今再び、抄帷は戦慄を露にした。
——実存しない虚構の光。
物理干渉どころの騒ぎではない、そもそもかつて出会った事の無い未知の異能。材質も、原理も、全てが不明の凶器。
だが、花蕗静の認識は既に書き換えられている。
比喩では無く。
命を賭して挑んだ、無謀な昨晩がなければ最初の一手で全て終わっていた。彼の経験が、花蕗静の逆理を上書きしていた。
——状況は好転してねー。崖っぷちも甚だだ。けどなぁ、無抵抗で嬲り殺せるなんて思うなよ——‼︎
「捌けろ、抄帷!」
鋭く声が飛ぶ。視線は既に中空へ、五体は臨戦の構えへと移行していた。
「仙波攫うならアンタのご存命は必須だ!一撃も喰らうんじゃねーぞ!」
「そんな無茶な——」
「無茶でもやんだよ!」
花蕗静の眼光が鋭さを増す。
辺り全てを射殺さんばかりの鋭利な眼光に、狂気の笑みが乗る。
「腹ぁ括れよ、合掌抄帷!お生憎、博打は始まっちまってんだ!手ぶらの無策で、それでも喧嘩に勝とうってんなら、一歩たりとも退くんじゃねーぞ‼︎」
扉を粉砕した後も残置していた光の柱が、霧散する。
上空より第二波が飛来したのは、それとほぼ同時であった。
走る五体を支配するは逆理。
逆説の異能が、降り注ぐ光の奔流に牙を剥く。




