『丘陵』
「——なるほどね。とは言えなんかアイデアがある訳じゃねー。俺のパラドクスも粗方底が割れてる。勝ち筋はねーぞ」
「わかってる。わかってるけど、それでも。そんな理屈は認められない。そんな常理は、許さない」
わかっている。
合掌抄帷は何者でもない。
戦闘に限れば、紛う事無き単なる足手纏いでしかない。
花蕗静を矢面に立たせ、安全圏で息巻くだけ。滑稽この上ない、愚かしくも身の丈知らずな子供の我儘。そんな事、言われなくてもわかっている。
それでも。
「……勝ち負けはわからない。貴方がそういうなら、きっとそれはそうなんだと思う。それでも、どうしても、嫌だ」
何かを救う為。誰かの助けになる為に、他の誰かに泥を啜らせる。それはきっと仕方がない事で、何もかもを全て攫い拾う事など出来ない。それが出来るとすれば、万能の超人か、法外な英雄か。そのどちらでもない、合掌抄帷に選べる道では無い。
「——だとしても、そんな結末は選ばない」
それを選ぶ事は、自らの生き方の否定に他ならない。
目指した場所が間違っていたと、白旗を挙げるに等しい行為。ならば、そんな道をおいそれと選ぶ訳には、いかない。
「——貴方もそうでしょう?静」
暗澹が覗き込む。
その眼に、一切の疑念の余地はない。
確信とも、断定とも違う……それは、ただの確認だった。
「——簡単に言ってくれるぜ、全く」
潰したゼリー飲料のパッケージをポケットに捩じ込んで、花蕗静は歩き出す。その歩みに、戸惑いの色は無かった。
「悪ぃがマジで策はねーぞ。正真正銘ネタ切れだ。それでもってんなら、後はもう出たとこ勝負しかねーからな」
「わかってる」
その歩みに並び立ち、抄帷は小さく頷いた。
「仙波へのメッセンジャーはアンタに頼むぜ。そこで俺が出張っても美味くなさそうだしな」
「……何て伝えようかな」
「……ま、道中追っ付け考える他ねーだろ」
妙案は無い。良策も同様。勝ち筋なら、当然。
それでも選んだ選択に殉ずる。その一つ思いだけを胸に、合掌抄帷は一歩を踏み出す。
——————
ここ数日で随分と見慣れた門構え。
仙波宅の前で立ち止まり、大きく深呼吸を。その様を見て、静は愉快そうに笑ってみせた。
「今生の別でも切り出しそうな風体じゃねーか。もう少し肩の力抜けよ、ネゴシエーター」
「誰も彼もが貴方ほど強心臓じゃないんだよ。特に、普通の友達相手ならね。気も遣うし、緊張もするよ」
「そいつは結構、殊勝の限りで」
考えがまとまったわけでは無かった。
だが、悠長に思考を巡らせていられるだけの余暇はない。
黒騎士は二度、共に迷う事無く仙波星翠の前に現れた。方法は不明だが、彼らは目的の人物——その位置を正確に把握する術を持っている。
今晩か、あるいはその先か。
どちらにせよ、次の夜が訪れたその時、彼らは再びこの場に現れる。ならば、対策を打てるのは今しかない。
抄帷がスマートフォンを取り出し、それを自身の耳にあてがう。
応答を待つ事、暫し。
「……出ない」
通話が繋がる事はなく、呼び出し音だけが虚しく抄帷の鼓膜を揺らす。
「二度寝……ってタイプにゃ見えねーけどな」
言いながら、静が呼び鈴を鳴らす。だが、これも同じく応答はない。
眉を顰め、もう一度。だが、結果が変わる事はなかった。
——ざらり、と。
喉首を、鈍い刃で撫ぜられるような不穏が、抄帷の胸中に渦巻いた。
静とドラッグストアに出向いて、戻る。要した時間は三十分にも満たない。休日の朝、この時間に家族揃って家を空けるとは考え難い。そもそも抄帷は外出前に、一旦はここに戻る旨を星翠に伝えている。
「——っ」
戦慄。
不穏当極まる沈黙の中、抄帷の表情が青ざめる。
強襲と撤退。
半ば無意識——都合良く、敵の襲撃は夜であると仮定していた、誤った見込み。
沈黙が指し示す答えは、想像に難く無かった。
ばちり、と。二人の視線がかち合う。
言葉による合意は要せず、静がドアノブに手を掛ける。掛けて、一瞬だけその動作を止めた。
——軽い感触。施錠されていない扉は、一息の間に開け放たれるだろう。故にこそ、遂に今、仮定の範疇であった異常事態は厳格な現実として二人の前に横たわった。
「抄帷、俺の後ろだ」
短く指示を出す。抄帷も即座に反応し、静の後方へと身を隠す。
——連日全く休み無しで悪ぃが、もう少し付き合えよ〝超能力〟——!
手を伸ばすは深層。見えざる自身の内、届かざる身体の先。あらゆる敵意を撃ち落とす、迎撃のパラドクスを起動して、静が臨戦体勢をとる。
一瞬の静寂。張り詰めたその緊迫を踏み抜いて、静が扉を開け放った。
「——————は?」
そこには、見慣れた室内の面影は微塵もなく。
眼前には果ての見えぬ、広大な丘陵が広がっていた。




