『選ぶべきもの』
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黒鉄の騎士、その最初の襲撃のあった夜。三人で訪れたドラッグストアに今は二人、花蕗静と合掌抄帷の姿はあった。
「ちゃんとした食事を摂らなくて、大丈夫なの」
「腹パンなっちまうと、集中切れちまうからな。多少飢えてる位のが良い塩梅なんだよ」
栄誉補給のゼリー飲料を飲み下して、静はこともなげに言う。いつもと変わらぬ軽やかさを伴ったその言葉を受け取る抄帷の表情は、暗い。
深刻めいたその悲壮感を、静はやはり軽妙に笑い飛ばしてみせる。
「すげー顔するじゃねーか。この世の終わりでもあるまいに」
「それはそう、だけど……」
「ま、気持ちがわかんねーとまでは言わねーけどな」
幻想より出し超然。その源泉たるは、逆説の異能。
女王との会話の中で否定されなかった『創造主』の存在。仮定は恐らく間違いが無く——なれば当初想定通り、それらの対応策として『パラドクス本体』の身柄を抑える必要はどうしてもある。
だが。露見した誤算は最大にして最悪——彼らの想定、その根本を覆す代物であった。
「——仙波さんが『パラドクス』本体っていうのは、やっぱり間違いないのかな」
「……明確な根拠がある、じゃねーけどな。あくまでも本当に、俺が連中とやり合っての肌感だ」
「——肌感承知で、割合的にはどの程度?」
「……七、八割ってとこか」
抄帷の表情を彩る深刻さが、更に一層深さを増す。それほどに、突き付けられた仮説は信じ難いものであった。
「昨日の夜にも言ったけどな。女王様——アイツは異常だ」
「〝天使〟、だよね」
絶対堅守、全ての害意を迎撃する自動防御のシステム。事物理感情において、あらゆる侵略を許さない花蕗静の逆理を、意図も容易く貫通した光の柱。
両手足を貫かれ、拘束されたその姿を思い出して、抄帷は思わず身を震わせる。だが、静が首はこれに首を振って否定を示す。
「スペック面は別に。まぁ、間違い無くやべーし、真っ向からどうこうって代物じゃねーのは間違いねーけどよ。ただ、この話の本線は野郎のキャラクター性だな」
飲み干したゼリー飲料のパッケージを握りつぶしながら、静は昨晩、自らが対峙した超然の様相を回想する。
「アレは人にゃ靡かねー。謙りもしねーし、下手に出て交渉事に興じるなんてのは尚の事ありえねー。生まれ持ってか、ファンタジーを生きながらえた結果かなんざは知りゃしねーが、アレは正真正銘、マジもんの支配層だ。気まぐれに何かを与える事はあっても、下々からのお情けなんざ一蹴で吹き飛ばす……あれぁそういう手合だろーよ」
君臨者。
飛び抜けた自我と、それを実現するに足る異能。そして付帯する、強靭な兵力。交渉のテーブルに着く必要が、彼女達には無い。その前提条件事、軽々とねじ潰す。彼女達にはそれが可能なのだから。
「誰かの指示で、テメーらのやりたくねー事はやらねー。至ってシンプルな話だろ。そんな連中が小娘一人を総動員でひっ捕えに来てるんだ……これはもう、連中自身の目的としか思えねぇ。その上で、その目的ってのは、連中自身の力じゃどうあっても替えがきかねー代物相手って考えるのが打倒だろ」
「……パラドクス能力者本体による、運用停止」
意図した停止。あるいは、死亡。
源泉たるパラドクスの起源が喪失した時、その干渉の結果である『彼ら』がどうなるのか。答えは、誰にもわからない。
「何らかの理由で仙波がシラ切ってる可能性だってゼロじゃねーだろーけど……まぁ、薄いセンだろーな。だったらだったで、俺らへの救助要請の内容が今とは違うモンになってて然るべきだしな。するってーと、可能性として高そうなのは……」
「——仙波さん自身に自覚が無い、か……」
パラドクス能力者は、その能力の発現と同時に、その全容を認知する。荒唐無稽そのものである逆説の異能、数少ない絶対的なルール。
「ま、元より俺らはパラドクスの専門家でもなんでもねーからな。盲点だったってのは間違いねーけど……今更掘っくり返して考えても仕方ねーわな」
「けど、そうだとすれば……」
区切られた言葉に、静が苦々しく頷く。
「方針替えやむなし、だな」
能力に対しての自覚がないとして、その制御が容易いとは到底思えない。女王討伐の武具生成など、恐らくは不可能だろう。そして、なにより。
「仙波さん——」
仙波星翠の心が、この事実に耐えられるのか。
意図せずとは言え都合二度、自身の同級生を殺害する遠因となった。勿論未遂には違いないが、そんな現実が詳らかになった時、一般人でしかない彼女がその自責に耐えられるのか。答えが出る由はなく、抄帷は言葉の先を口に出来ずにいた。
「——全く、いっつもこんなんばっかだな、俺らは」
そんな鬱屈とした沈黙を、静が破る。
「これが出来ねぇ、あれはどうにもなんねぇ。だからこっちに行ってみるか、だ。味わい深い事この上ない限りだ」
言葉はいつもの軽口。だが、そこに付帯する意味付けは、これまでの比ではない。
——仙波星翠がパラドクス本体である。
静は控え目な数字を提示したが、恐らくこれは最早疑いようもない。ならば、どうするか。
理由は不明だが、彼女のパラドクスは制御を失っている。
その上で、現界している超然達は、人間の範疇に止まらない超能と、埒外な倫理観を有している。能力の規模感は未だ不透明ながら——一般人に被害が及ばない根拠は、どこにもない。
そもそも現時点において、未だ具体的な被害が出ていない事の方がおかしいのだ。
仙波星翠という楔から解き放たれた時、次に女王達がどんな行動に打って出るかは……これはもう皆目見当もつかない。ただ、その結果が誰にとっても幸福な末路である可能性だけは、ない。
止めなくてはならない。
パラドクスとは縁もゆかりも無い、大勢の人々へと被害が拡大する事は、何としても阻止しなければいけない。
——そして。その方法は、余りにも簡単なものだった。
つまり。女王達がやろうとしている事の、逆。
「——————っ」
仙波星翠を、パラドクス使用不可能な状態へと追い込む。
手段を問わなければ、これほど簡単な事はない。
「——絶対が保証される話じゃねーってのはネックだが、どちらにしたってノーリスクだからな」
そう。これは二択ではない。選ぶべき選択肢は、最初から決まっている。
騎士と女王、その法外な力を前にすれば、怪我人どうこうの騒ぎでは最早なくなる。状況によっては、数えきれない死人が出る。そんな結末は、絶対に許されない。
だからこそ。選ぶべき選択肢は、一つしかない。
『故に』。
「——————ふざけるな」
暗澹の底より昏い両の眼を、凍て付くように燃え上がらせて。合掌抄帷は、突き付けられた両天秤を、真っ向から否定した。




