『重複』
見果てぬ丘陵と空の青。
広大無辺な見果てぬ景色。美しも、けれども全く現実味を付帯しない無機的な壮観。その只中に、ただ立ち尽くす私は余りにも矮小で、取るにも足らない一個の存在だった。
——この感覚は知っている。
美しいものを見たから、美しくなれるわけでは無い。
素晴らしいモノと出会えたとて、私自身の価値は変わらない。
結局のところ。私という唯一つに、取り立てるほどの意義や意味なんてありはせず。漠々たる世界の中で、取り残された無知蒙昧の権化でしかなかった。
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目覚めは悪かった。
夢見が悪かったから、という訳ではきっとない。
抱え込んだ——この身には余る異常に対して、心が疲れ果てていたのだろう。勿論、助けを請うている立場でそんな事、まかり間違っても口には出せないけれど。
緩慢な動作で、横たえられていた体を起こす。
微睡とは違う、不明瞭で不鮮明な感覚に、軽い目眩を覚える。目頭を軽く押さえ、何度か瞬きを繰り返す。
「おはよう、仙波さん」
はたと声を掛けられる。
声の方へと視線を向ければ、そこに彼女は座っていた。
合掌抄帷。
同級生で友人。そして今は、私の身を苛んでいる異常解決に尽力してくれている、協力者。
無感情に無表情、機微の少ないその面持ちを、それでも僅かに柔らかく解き、彼女は口の端に笑みを湛えた。
「よく眠れた?」
押さえていた指を離しながら、頷いてみせる。
「うん、ありがとう——抄帷ちゃんは?」
「快眠だった。枕が変わっても眠れるみたい」
伝わりにくいジョークを交えるその姿に小さく笑い返す。
「昨日はその……大丈夫だったの?」
「うん、問題なし。なんらトラブルの類が何事も無かった、とまではいかないけれど、今のところは」
「その——花蕗君も?」
「こちらも問題なし。多分、私達の中で彼が一番元気だと思うよ」
その言葉に胸を撫で下ろしそうになって……止まる。
彼らは、決して言わない。
どれだけの窮地にあっても、どれだけの難局に差し当たっても。弱音や愚痴、怯えの言葉を口にする事は、決して無い。だから、彼女の言葉を額面通り鵜呑みにする事は出来ない。
——————
就寝して暫し。
突然外へと飛び出して行った彼女の向かった先はきっと、なにかのっぴきならない——極めて深刻で逼迫した超常の渦中だったのだと思う。
そんな只中に飛び込んで、全く何事も無かったなんて筈が、ない。
彼らは、踏み越えたのだ。
私などでは想像もつかない様な窮地……或いはいっそ、なんら偽りなき、死地を。
「——仙波さん?」
びくりと。呼びかけられて思わず、身を震わせる。
気付けば伏せていた目線を上げた先には、心配そうにこちらを覗き込む少女の顔があった。
「——ぁ、ごめん。大丈夫……」
大丈夫に決まっている。
だって、私は何もしていないのだから。
自らを苛む異常を打ち払う為にも。尽力してくれている友人達を助ける為にも。何一つ行動するでも無く、そもそもできる事がある訳でも無く。——だから、何もしていない。
だから。傷付く訳がなかった。
——————
「少しだけ席を外すね」
身支度を整えた後。彼女は短く、そう口にした。
「昨晩少し、状況が変わったの。新たにわかった事もあるし、それも踏まえて、今後の方針を静と打ち合わせてくる」
何か差し入れも持って行ってあげないと、と付け加えて。彼女は小さく小さく、微笑んだ。
「——————っ」
私にも何か、と。口にしかけて、けれども言葉は続かなかった。
超然も、超能も——逆理も。何一つ持ち得ないこの身に、一体何ができると言うのか。
何も。まるで何一つ口にも出来ず、ただ沈黙を吐き出すばかりの私へと向けて、掛けられるのはやはり、気遣いの言葉。ただ優しく、あたたかな言葉だった。
「大丈夫。昨日と同じ——この家の近くから離れるような真似はしないし、私達は仙波さんを一人きりにはしない。だから、安心して」
——その優しさが、酷く心苦しく。
申し訳無さと共に……居心地の悪さを、私は感じていた。
————
合掌抄帷が退室した後。
一人取り残された部屋の中。再び私は布団に身を横たえた。
目を閉じて、息を吐く。吐きながら——昨日の会話を思い返す。
花蕗静は言った。
今、私が助けられる側に立っているのは偶然の結果でしか無く。故に、いつの日か。自分達が追い詰められ、追い込まれたその時には、この私が……仙波星翠こそが、そんな自分達を救ってみせろ、と。
「——」
出来る、訳がない。
何一つ持ち得ないこの身が、誰かを救う為の力を有するだなんて事は、あり得ない。そんな生き方は、選べない。
「——————っ」
本当に、自分が嫌になる。
昨日一日を使って、私の心的不安を取り除こうと身を砕いてくれていた彼らの思いやりの全てを、結果私は無碍にしてしまっている。抗えぬその現実にまた、私はどうしようもない無力感に苛まれる。どうにもならない、余りにも不毛な堂々巡り。
その只中で、ぽつりと。
遂に言葉は、口を突いた。
「——どうして私は、こうなんだろう」
どこに宛てた訳でもない。
真実、何か答えを求めていた訳ですらない。
ただ、抱え切れぬ無力感から迸り、こぼれ落ちただけの言葉。
内へと向けられた言葉に応える者などありはせず。自分以外の姿の無い、空っぽの部屋に、その声はただ虚しく反響するばかりであった。
——ならば。
もし、その言葉に応える誰かが在るとすれば。
それは、己自身でしかあり得なかった。
「——————っ!」
息を呑む。
本棚の正面。
先程までは当然、人の姿の一つもありはしなかったその場所に、影が。自らと同じ姿形をした、あり得ぬ姿がもう一つ。
ドッペルゲンガー。
一連のキッカケ、始まりの異常。
自らの似姿を持つ、異質な影。
ただそこにあって黙し。実害の一切はおろか、干渉の類など何一つしてこなかったもう一人の自分。それが今、静かに口火を知る。そしてそれは、
『心配してもらえたのは、嬉しかった?』
ずっと目を背け続けた、私自身の——余りにも見難い、本心を暴き出す言葉だった。




