『真実』
閑静な住宅街。
家々から、各々の住人が何事かと顔を覗かせ、辺りは俄かに喧騒の様相を呈していた。尤も、その要因——防犯アラート自体は所詮一般的なクラクション音でしかないため、誰もそこまでの緊急性や逼迫感を感じている様子はなかった。
そんな仄かなざわめきの中。
薄暗がりの塀の内側で身を屈め、隠しながら。花蕗静は小さく……しかし随分と長い溜息を吐いた。
「よりによってセキュリティ鳴らす、なんてな。確かにコイツは連中からすりゃ正に寝耳に水って訳だ。流石、やるじゃねーか」
言いながら自らの隣……同じく身を屈め息を殺す合掌抄帷へと視線を向けた。
「意表を付けそうな、他に妙案が思い浮かばなかったから。とんだ破れかぶれだったけどね。それに……助けに入るのが遅かった。ごめん」
無表情を常とするその顔が、仄かに青ざめているのを目の当たりにしてしかし、静は殊更何事もなかったかのように笑って見せる。
「アホ抜かせ、バッチリのタイミングだったぜ。それが証拠にほれ、五体満足欠品無しだ。全くもってピンピンしてるぜ」
ぐりぐりと肩から先を回しつつ、自らの健在を誇示する。そしてそれは何も、虚勢やハッタリの類ではなかった。
光の柱に貫かれた四肢は、全くの無傷だった。
不可解と言えばまさにそうではあったものの、継戦不可能な後遺症が残るよりは余程マシ。言葉に偽りは無く、疲弊や消耗を度外視するならば、花蕗静は依然万全の状態を保持していた。
だが、抄帷の表情は晴れない。
「——最初からこうするつもりだったの?」
「ぁあ?なんの話だよ」
「——黒騎士の高潔さを逆手に取って、条件付けの決闘を挑む。その勝利の報酬として、彼らを生み出したパラドクス能力者の素性を吐かせる——全部、最初から考えてたの?」
「買い被りの高見積もりだね。んな孔明よろしくな策士っぷりなんざある訳ねーよ。たまたまが重なったただの話の流れで——」
「——とぼけないで‼︎」
びくりと。静は思わず身を強張らせた。
決して声量があった訳ではない。
だがその言葉には、その声色には。余りに明らかな感情が内包されていた。
「仙波さんを安全圏に置くのはわかる。彼女の不安を少しでも軽くする為に、私が側にいるべきだっていうのも理解出来る。そもそも私は、貴方と違って実際に矢面に立つ事は出来ないのだから、それは仕方がない」
けれど、と。
抄帷は強い眼差しを真っ直ぐ静へと向ける。
「だからと言って、勝手に全部を自分だけで決められるのは、嫌だ」
——合掌抄帷にパラドクス能力は無い。
花蕗静と比肩する運動能力を有している訳では無いし、格闘経験も勿論。そもそもが殴り合いの喧嘩ですら、人生でした事がない。
超然の幻想が相手でなくても。彼女の存在は間違いなく、戦闘の只中にあっては足手纏い以外の何者でも無い。
『それでも』。
「私に出来る事がないのはわかってる。相談されても報告されても、貴方の策に乗るしか道がなかったというのも十二分理解しているつもり。それともまさか、私が泣いて縋って、貴方のウルトラCを邪魔するとでも思った」
「ぃ、いや、別にそんな風にゃ思っちゃいねーけどよ……」
「だったら‼︎」
ぴしゃりと。
静の言い訳を許さない、強い響きと——
「——私には、話して」
等量の脆さを伴った声色で、抄帷は言った。
「相談なんてしなくていい。貴方がそうだと思った事なら、貴方はきっと行くところまで行くのだろうから。それを感情で止めたり、邪魔立てしたりはしない。だからせめて、何を想ってどこに向かうのかだけは、ちゃんと教えて」
呆気に取られたように暫し固まって——やがて観念した様に、静は自らの頭を掻いた。
「——仙波からマールスのキャラクターを聞かされた時から考えちゃいたんだ」
抄帷が顔を上げる。
そちらへと目を向ける事はせず、暗がりへとただ漫然と視線を投げながら、静は続けた。
「蛮族然としたバケモノじゃねー、出来のいい人格者。加えて時代外れな騎士道精神なんて代物を持ち合わせてる様な堅物なら、盤面さえ整えればこっちの誘いに乗るだろってな。ただ、色んな意味で丁半博打だったのは間違いねーし、下手に希望を持たせて〝なんもわかりませんでしたー〟ってなる目も十分あったからよ。上げて落とす様な真似はしたくなかったんだよ」
『けれど』。
「——それでもこの件は、アンタが正しい。安見積もりするつもりなんざ更々ありゃしなかったけどよ……それでも確かに、アンタの言う通りだ……悪かった」
ぺこりと、ぎこちなく頭を下げる。その姿を少しの間見やって、
「——いいよ」
短く、抄帷はそれだけを口にした。
「あー、それともう一つ」
ぱっと顔を上げ、静が小さく微笑む。
「マジで助かった、危機一髪って奴だ——ありがとよ、抄帷」
「——————いいよ」
これにも、抄帷はそっぽを向いて、短く答えるばかりであった。
——————
「そいや、仙波は?このどんちゃん騒ぎで未だ寝こけてるのか?」
「流石にまさか。さっき無事を報せるメッセージは送ってあるよ」
「そいつぁ結構……けど、どうやって俺らに気付いたんだ?野郎とやり合ってる間は相変わらず、人っ子一人現れやしなかったのに」
「——音が聞こえたの」
「音?」
抄帷が頷く。
「硬質な、金属的な轟音。ただ、同じ部屋にいた仙波さんが気付いてる様子はなかったから、多分何か条件があるんだと思う」
「条件ねぇ……まったくパラドクス絡みは毎度毎度、そんなんばっかだな」
辟易とした様子の静に、抄帷も頷き、同意を示した。
「不明、不可解ばかり。結局また、彼らの出方を待つしかないのだから、難しいね」
「——いや、収穫はありだ」
だが。その同意は否定される。
花蕗静の言葉によって。
抄帷が微かに目を見開く。
その視線を視界の端に収めながら、静は先程までの会話を思い返していた。
「大手を振って確定情報とは断言できねー上に、そうならそうで事態が好転するって話でもねーけどな。ただ、連中と直にやりとりした肌感で言えば……まぁまず間違いねーだろうな」
「——どういうこと?」
問い返す言葉に、一瞬口籠る。
理由はわからないが、単純に言いにくそうにするその姿に、抄帷は一層首を傾げた。
「まぁ、確信は連中と直接やり合ったからこそ、だな。アイツらは——まぁ、異常だ。特にラスボスの女王様は手に負えねー。交渉や駆け引きの類が通じる手合いでもなさそうだ。そんな連中が、小娘一人に執着する理由はなんだ?」
「それは……パラドクス本体との間に、何か取引の様なものが存在していて、だからこそ、じゃないの」
事前の打ち合わせでも、そのケースについての議論はされていた。
人間の範疇を大きく飛び越える超然の異能。そんな彼らが一般人である仙波星翠を狙うならば、創造主たるパラドクス本体との間に密約が交わされていると考えるのが妥当だ、と。
報酬は恐らく、現界状態の無期限継続。
パラドクスによる召喚が何らかの制限の下実行されていると仮定して、その柵を排する為の一時的な協力関係。
実際、静もつい十数分前まで、この仮説が最も有力であると思っていた。——だが。
現実を超越する幻想。
倫理を弄ぶ絶対性。
アレはもう、そうした合理で縛れるような類の存在では無い。
「これも肌感で申し訳ねーけど、多分連中は誰かに媚びたり協力を仰いだりなんかしやしねー。先ずその必要がねーし、よしんばそんな瀬戸際に立たされても、奴らなら迷わずテメーの舌噛みちぎるだろうぜ」
傲慢不遜の君臨者。
その自我を世界に認めさせるだけの異能。
それでも尚、彼女達が警戒する何かがあるとすれば——それは、自身らの手で制御出来ない終焉。
「パラドクス能力で現れた連中にとって、能力者はとっておきのブラックボックス。ぶっ殺すのは容易いが、その後の自分達がどうなるのかはまるで想像もつかねー。だからこそアイツらは先手を打った——端から連中に、アイツを殺すつもりなんざ更々無かったんだよ」
抄帷の表情が、青ざめる。青ざめて、呟く。
「——それは、あり得ない」
存在する大前提。
能力者は自らの能力を自覚する、というパラドクスの根源的なルール故、一番初めに除外されていた可能性。言葉は尤もらしく、確かにそれは露とも考え及ばなかった思考であった。
だが。パラドクスは逆理の異能。
あり得ない事など、何一つしてあり得ない。
静が口を開く。
辿り着いた、その答えを口にする。
「連中を生み出した——パラドクス能力の本体は、仙波星翠だ」




