『仕切』
「——あははは!面白い冗談を言うのね!」
もう一度。くるりと身を翻し、女王は高らかに笑った。
「あの娘に!何一つを持つわけでもない伽藍堂に!この私が平伏すだなんて、本当に!御伽話の様な事を口にするのね!」
静寂に響く笑い声。
その声を踏み躙り、塗り潰したのもまた、笑い声。
「御伽話出身が吠えるじゃねーか。ただまぁ、皮肉の効いた話だとは思うぜ。確かに、アンタらに比べりゃ何一つを持たないってのは間違いじゃねー訳だからな」
言葉の端々、所作の隅々に、微かな悪意が滲んでいた。
絶大な力を有し、幻想を統べる筈の君臨者が、何も持ち得ぬ一市井の小娘に苛立ちを募らせる……冷静に考えずとも、それは余りに不可解な感情の発露であった。
だからこそ。仮説は、確信に変わる。
「で?どーだい。その、何者でもねー小娘一匹に手綱握られるってのは、中々どうして奇抜に映るけどよ。当事者目線の感想をくれよ、女王陛下」
ばきり、と。
空間そのものに亀裂が走った様な錯覚を引き起こす……それは余りにも異質な圧力だった。
絶対君臨者・女王デケム。その全存在が、花蕗静に牙を剥く。先程まで場を満たしていた怪し気な甘美さは影を潜め、蠱惑的な煌めきを放っていた眼光は突き刺す鋒の様相を呈する。
「——面白いわ。けれど少し、言葉の選び方には気をつけた方が良いと思うの。貴方が今暫く、その命を大切にしようという心掛けがあるのならね」
言葉よりも雄弁に、肌を刺す空気が告げる。
不用意な言葉は即、死に直結する。生殺与奪は今、立ちはだかる超然の手の内であると。
だが、もう遅い。
「はっ、一手遅かったな。そのテの揺さぶりならもう意味無いぜ三下。あんだけ最悪をちらつかせておいて、今更その程度で俺を縛れると思うなよ」
花蕗静は、既に諦めている。
自らの命という最大を、彼はすでに手放している。
故に、意味は無い。
「暴力を後ろ楯にしてネゴシエーションしたいんだったら、飴の出し方とちったな——そいつは俺には通じねぇよ」
生存という唯一絶対の揺るがぬ目的。そのただ一つを放棄している以上、花蕗静にその交渉は通じない。
「なるほど。けれど、貴方の尊厳は果たしてどうかしら」
その事実は、女王も肌感で理解していた。
故に言葉の向く先は別方向……決して折れず、退かなかった彼の根底へと差し向けられる。
「貴方は確かに、自らの命に頓着していないのでしょう。けれど、投げ打ったその先……まず間違いなく果たせなくなるであろう自らの矜持に対しても、変わらず同じ事が言えるのかしら」
戦力の差は歴然。
それでも強いて挙げるなら、超然に対抗し得るのは花蕗静を置いて他に存在しない。彼の死亡はそのまま、仙波星翠の絶命を意味する。ならばここで軽々に散る事を由とは出来ない……それこそ、女王の論理。花蕗静の本質ににじり寄った、正鵠を射る言葉。
『故に』。
「同じ話を何遍もさせるなよ。俺は死なねーし、アイツはやらせねー。そんで、アンタらに泡吹かすのは俺じゃねー……良い事教えといてやるよ、マジシャン。アンタらの奇跡が、アンタ方の世界の常識だってんなら、諦めな。俺達は『逆理』だ。常理じゃ俺らを絡め取れねーよ」
空気が、凍る。
たおやかさも、穏やかさも。美しさ以外の全てを置き去りに、女王が狂気を顕にする。
「シジマ。あぁ、シジマ!貴方は本当に美しくて、愛らしくて——愚かしい程健気だわ。殺めてしまうのは口惜しい——やはり貴方は、私のモノになりなさい」
その狂気にこそ、静は笑みを深める。
「ごめんだね、陛下——アンタが話の通じねーバケモノじゃなくて助かったぜ。最後に二つ、言い捨てさせて貰うぜ」
「聞いてあげるわ。貴方の末期の言葉でしょう?」
「気遣い痛みいる、ってな。一つは、とんだ勘違いだ。俺を殺せても、結局アンタらに勝ちの目はねーよ」
「——へぇ?」
「仙波のボディーガードは俺だけじゃねー。もう一人、とびきり厄介なのがアイツの側についてる。アレをどーこー出来ない限り、アンタらの思い通りにはならねーよ」
「……あぁ、あのもう一人の女の子?あはは、あんなものが貴方の隠し球だっていうの?だとしたら、とんだお笑い草ね!あの子こそは何も無い、本物の伽藍堂じゃない!」
「言ってられんのも今の内だ。ま、言わせて貰えた事には感謝しとくけどな」
「——その素敵な減らず口がいつまで保つか、今から楽しみね」
女王が手を伸ばす。再び、花蕗静の顔へと向けて。
だが。その指先が彼の頬に触れる事は、なかった。
「——当然、死ぬまで」
けたたましいクラクションが、夜の住宅街に鳴り響く。
自家用車の盗難防止アラーム。
単なる防犯上の警告音であり、それ自体に何ら危険性が付帯する代物では無い。余りにも当たり前な、ただの常識。
但しそれは、現実の話。
自動車が存在しない空想世界の存在である女王と騎士にとって、唐突に鳴り響いたセキュリティ音は正真正銘、初めて遭遇する異常。意味する所はおろか、音の出所すらわからない。
不明な轟音。未知というその一点が、恐るるに足らない現実の騒音を、反撃の狼煙へと擬態させる。そして、生まれた一瞬の隙を、花蕗静は逃さない。
——認識を広げろ。
両手足を貫いた光の柱。現実には絶対に存在しないそれらは確かに、肉体を貫通して拘束を成している。
ならばそれらは、物理干渉可能な代物。
そして、干渉可能でさえあれば——
「——————っ!」
花蕗静の全身が駆動する。
体験を通じ、干渉可能と判断された光の柱は、既に能力対象。
今再び振るわれるは、逆理の拳。
『迎撃』のパラドクスが、四肢を封じていた光を諸共打ち砕いた。
「これで振り出しだ、マジェスティ‼︎」
けたたましく鳴り響くセキュリティアラート。それらが現実的な脅威でないと判断した黒鉄の騎士が、再び臨戦体勢をとる。
だが。
「いいえ、仕切り直しよ。シジマ」
その矛を収めさせたのは、他ならぬ——彼が仕えるべき君主の言葉であった。
「無粋も無粋……興が削がれてしまったわ。こんなにも騒がしい只中では、貴方との蜜月を心から愉しめない。貴方もそうでしょう、シジマ」
言葉の通り、女王から発せられていた莫大な狂気は過ぎ去っていた。その表情へと向けて、静は尚食い下がる。
「はっ、やりたい放題してくれて、尻尾巻いて逃げるってかよ。格好の付かねー連中だなぁ?」
「そんなに寂しがらないで。今晩は、というだけなのだから」
女王が踵を返す。
人外めいた黒鉄を傍らに、ドレスは暗夜にたなびいた。
「貴方の事はよくわかったわ、シジマ。貴方の求めるものが変わらないのなら、貴方は必ず、再び私の前に現れる。だから、今日のところはお別れよ、シジマ」
「意趣返しのつもりかよ。良い趣味してるぜ、全く」
「ふふ、ありがとう——また会いましょう、シジマ」
幻想は掻き消え、後には静寂と、夜の闇だけが残された。
溜息を吐いて、静があたりを見回す。
と。周囲の家々から人の姿が。
静寂、というのは虚偽であった。
未だ鳴り止まぬ防犯アラートの音を不審に思った近隣住民達が、様子を伺いに来ていたのだ。
やばい、と思うだけ思いはしたものの。
疲弊による消耗から上手く身動きが取れず、静はその場に転倒してしまった。
慌てて身を起こすものの、その動作に先程までのキレも俊敏性も無い。
どうしたものかと考えあぐねていた所。
「ぅおっ」
乱暴に、その腕を引かれた。




