『現実対幻想』
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閑静な住宅街に、硬質な衝突音が鳴り響く。
爆撃か、或いは炸裂か。尋常ならざる轟音の出所は二つ。
一つは、巨大な槍。
人の背丈程もある、荘厳なる脅威の鋒。幻想の世界においてあらゆる障害、いかなる外敵をもすべからく打ち滅ぼしてきた、赤き恒星。
名を『破禄の大葬』。
軍神マールス・ブロワの代名詞であり、諸国に知らぬ者なき、天下無双の象徴。
もう一つは、徒手空拳。
防具も武器も、その一切を纏わぬ剥き身の肉体。
ただし、その両の拳に握られるは不可侵の超能。
敵意を伴うあらゆる物理干渉を無効化する、常理の外に属する、人ならざる力。
名を『パラドクス』。
何者でもない、花蕗静が持ち得るただ一つのジョーカー。
逆理を以て現実を塗り替える、逆説の異能。
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流星は点。
出発から目的地までを最短距離で穿つ。その巨体からは到底想像も付かぬ、圧倒的な速力を以て花蕗静の頭部を目指す。
刃を向けられるどころの騒ぎではない。
直撃すれば即死どころか、首から上は跡形も無く吹き飛ぶだろう。なればこそ、槍は正しく空を横断する星と変わらない。
隕星は天災。人の身で抗うなど、夢のまた夢。
降り落ちれば最後、身を砕かれ焼き尽くされるが道理。
これまで自らが屠ってきた数多の兵共を、マールス・ブロワは想起していた。
剣聖の名を欲しいままにする、老齢の達人。
西の国にて最優と呼ばれた、稀代の魔術師。
隣国を一夜にして焼き払った、蒼翼の火龍。
難敵だった。
ともすれば、自らが討ち取られていてもおかしくない、瀬戸際の戦い。そんなものを幾つも乗り越えた果てに、今の軍神が存在する。それらの経験と、卓越した戦技が明言する。
——この少年は、異質。
これまで遭遇してきたあらゆる強敵とも、明確に違う何かを持っている。
技術の話だけを論ずるならば、幼稚も幼稚。体捌きも、繰り出される脚技の全ても、余りに稚拙。これまで戦場で出会ってきた敵兵などとは比べるべくも無く、名だたる強敵達とは比較する事すら烏滸がましい。
その程度の存在が、『大葬』による一撃一撃を悉く凌駕するという、異常。かつて一度たりとも巡り会ったことのない、正に逆理そのものであった。
——やはり、あの両腕。
視認も感知も必要とせず、自動反応的に攻撃を撃墜する。その一点……唯一その瞬間の動作のみが、マールスのあらゆる攻撃動作を超越している。
並の人間ならば、到底受け入れることの出来ない不条理。鍛え上げた自らの技巧と、積み上げられた矜持の全てを踏み躙るか如き、遥か格下の存在からの逆襲。見下した先から放たれる、下剋の剣。
しかしながら、静の前に立ち塞がるのは、正真正銘の傑物。数多の戦場を制してきた、古き王国の最強者。
「——やはり先ずは、その両腕を貰い受ける事としよう」
まるで木の枝でも振るうように、巨大な鉄塊が旋回する。
「ご執心は満更ってとこだけど、お生憎一点物でな。そう簡単にゃくれてやれねーよ」
呼応する様に、静の身体が跳ぶ。
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長物相手に空手で特攻を掛ける。
常軌を逸したその選択はしかし、事花蕗静に限れば間違い無く最善手。
迫り来る全ての脅威を『パラドクス』によって迎撃し、近接格闘によって活路を見出す。絶対堅守の自動防御——逆理の盾を持つ彼にのみ許された、安全を担保された捨て身。
騎士の予測通り、発動中花蕗静の『パラドクス』は視認を必要としない。どころか、その他全ての五感による感知を経由する事もない。故に、彼の逆説に死角はない。
加えて。『迎撃』の動作発動時、静の両腕は人間の駆動限界を遥かに超越する。
マシンガンの乱射であろうと、四方八方から槍で穿たれようと。その鋒が彼の命に届く事はあり得ない。
だが、綻びはある。
そしてそれは、昨夜の会敵にて既に露呈している。
静の能力の効果影響はあくまでも『無力化』であり『破壊』ではない。迎撃する事は出来ても、当該対象を殲滅する事は不可能。
想定される突破方法は二つ。
一つは、足場諸共崩落させるような広範囲攻撃。
花蕗静自身の運動能力が人間の範疇に収まっている以上、直接的な凶器を退けようとも、周囲を巻き込む様な大規模攻撃を敢行されれば打つ手はない。
もう一つは、圧力が継続される質量攻撃による両腕の物理拘束。
昨晩の交戦において静を追い詰めた槍と盾による挟撃……あれを再現されれば今度こそ、黒鉄の騎士が生まれた隙を見逃す事はないだろう。
——やられりゃ手がねーんなら、広範囲攻撃の方は考えるだけ無駄だな。警戒すんのは挟み撃ちの一点だけ。昨日みてーにブラインドかまされてもめんどくせーし……攻め手を変えるか——
思考は一瞬。
迫り来る槍を撃ち落とした直後、静の身体が宙を舞う。
右腕は首元、胸部の鎧の縁。左腕は槍を持つ腕、肘関節のやや肩より。勢い良く踏み切られた全身を折りたたみ、左脚は騎士の左側頭、右脚は盾を構える左腕の脇へと滑り込む。跳躍の慣性はそのままに、騎士の腕を逆関節に締め上げる。
飛び付き腕十字。
可動域を超えて伸びて極まった腕。
体格差があったとしても技を解くのはほぼ不可能。加えてこの一撃には背筋力だけでなく、体重と重力落下までが付帯している。
極めた腕諸共、騎士の胴を落とす。技が成立した以上、その結果は既定路線。
「——マジ言ってんのかよ」
冷や汗と共に、静が笑う。
僅かに崩れた体勢。されど、その巨躯が転倒する事はなかった。
踏み締められた両脚。
伸び切った関節のまま、込められる万力。
地に伏せる中途。花蕗静の身体ごと、騎士の腕はピタリと止まった。
——わかりきっていた事。
相手は幻想を根城にする怪物。人の形をしただけの人外。
そのわかりきっていた事実を、〝腕力〟という最もわかりやすい形で再提示され、静は戦慄を覚えていた。
極まった腕に力が籠る。
水底のアンカーが引き揚げられる如く、ゆっくりと。締めあげた静の身体ごと、腕が持ち上がっていく。
顔の高さとほぼ水平の位置で、腕が止まる。黒き騎士と赤髪の少年の視線がぶつかった。
「あー……ご機嫌いかが?」
叩かれた軽口ごと、その身体を圧殺せんと、左腕の盾が静に迫る。これを静の『パラドクス』……逆理の握られた右拳が迎撃する。
しまった、と。静が顔を青ざめさせたのは、その直後。
盾の迎撃に使用する為、鎧を掴んでいた右腕は、当人の意思とは無関係に外された。必然、静の体は中空でバランスを崩した。
騎士が脚を僅かに広げ、地面を踏み締める。
腕力により打ち出され、そして弾かれた盾を即座に押し留め、体の捻りを用いて二撃目を放つ。
天地は逆しまに。
頭から転落する姿勢のまま、こちらも同じ手……右拳による『パラドクス』で迎え撃つ。
轟音と共に弾ける腕と腕、拳と盾。ただし体勢には雲泥の差——万全を保持した騎士が、即座に三度目を目論む。
——なんの——!
予備動作の完了を待たず、先んじて、掴んでいた左手を離す。後方に体を捻り、離した左手を地面に。迎撃後の右手も同じく地に着ける。
重力落下に逆らう事なく伏せられた上体。腰元を捻り繰り出されるのは、反り返る様に放たれる蹴り上げ。
サソリを冠する、カポエイラの脚技。
これもまた、軍神マールスにとって初めて目の当たりにする技であった。
だが、所詮はそれだけ。
奇を衒っただけの変則的な蹴り技など、防御行動をとるまでもない。
踏み締める両脚に、更なる力を。
この一撃の後、崩れた体勢ごと圧殺する。
百戦錬磨の思考は一瞬にも満たない。
経験に裏打ちされた、卓越した状況判断。数多の兵共を屠続けた、戦場の覇者。
「——あ」
故に、見誤る。
今自身が相対しているのは、戦場を駆ける兵士でも、誇りを護る騎士でも無く。口八丁に手八丁、全てを掻き集めて、掻き回す。逆理を握り締めた、取るにも足らない二枚舌である事を。
驚いた様な表情と、間抜けな声。
千載一遇のタイミングを棒に振って、攻撃動作が停止する。反り蹴りは動き出しの位置で留められ、その目線は騎士の後方へと向けられていた。
つまらないブラフ。そう断じる事は無論容易い。
だが。少年自らが手放した一撃を見舞うチャンスと、無防備を晒せす事のリスク。その両天秤が、騎士の厳然たる思考に、ほんの微かな亀裂を生む。
隙というには余りか細い。
だが、相対するは花蕗静。
逆理の異能『パラドクス』を除いて、もう一つ。
軍神マールスにすら匹敵し得る、花蕗静もう一つの能力。
心の機微を。
動作の違和感を。
決して見逃さぬ、異常なまでの観察眼。
一瞬。ほんの微かに踏み締めが緩んだその重心が揺れるのを視認するよりも速く。停止した脚を引き戻し、軸足を起点に体正面を騎士へと向ける。
矢継ぎ早の旋回運動。
今度は反りでは無く、側面から。
大ぶりでありながらもあまりに鋭い、曲線を描く蹴撃。
エスコルピアオン改め、エスドブラード。
蠍を隠れ蓑にした大蛇の一撃が、剛腕無双の騎士を捉えた。




